第9話「浮気写真は既に手元にある」
記者会見が終わった後、私は控え室に戻った。
本間が、ソファに座って顔を覆っていた。
彼女の隣には、柊弁護士が座り、何か話しかけている。
私が入ると、本間が顔を上げた。
「莉央さん……」
「大丈夫?」
私は、彼女の隣に座った。
「大丈夫じゃ、ないです……私、莉央さんを裏切って……」
「もう、その話はおしまい」
私は、彼女の手を握った。
「あなたは、脅されていた。そして最後に、真実を話してくれた。それで十分」
本間は、また涙を流した。
でも、今度は少しだけ笑っていた。
「莉央さん……変わりましたね」
「え?」
「前は、もっと……何というか、完璧主義で、隙を見せない人でした。でも今は——」
本間は、私の目を見た。
「強いけど、優しい。そんな感じがします」
私は、少し驚いた。
確かに、一周目の私は違っていた。
完璧でいなければいけない、弱みを見せてはいけない、そう思い込んでいた。
でも、失敗して、やり直して——今は、違う。
「ありがとう」
私は、本間に微笑んだ。
「でも、まだ終わってないの」
「え?」
「桐生の嘘は暴いた。でも、まだ出していない証拠がある」
柊弁護士が、眉をひそめた。
「まだ、何かあるのか?」
私は、鞄からタブレットを取り出した。
画面を操作し、ある写真を表示する。
そして、柊に見せた。
彼の目が、わずかに見開かれた。
「……これは」
「桐生の、浮気相手」
私は、静かに言った。
画面には、桐生と女性が手をつないで歩いている写真が映っていた。
場所は、都内の高級ホテルの前。
日付は——三ヶ月前。
つまり、私との婚約が正式に発表された直後だ。
「この女性は?」
柊が尋ねた。
「桐生グループの広報担当。名前は、相楽美咲。二十六歳」
私は、画面をスクロールした。
次の写真には、二人がホテルのロビーに入っていく様子が映っていた。
その次の写真には、同じホテルから二人が出てくる様子。
時刻は、三時間後だった。
「これを、なぜ今日の会見で出さなかった?」
柊が尋ねた。
私は、タブレットを閉じた。
「出す必要がなかったから」
「必要がない?」
「今日の目的は、桐生の計画的な陥れ行為を暴くこと。浮気は、それとは別の問題」
私は、立ち上がった。
「この写真は——別のタイミングで使う」
柊は、腕を組んだ。
「どういうタイミングだ?」
「桐生が、反撃してきた時」
私は、窓の外を見た。
夕日が、ビルの間に沈んでいく。
「今日の会見で、桐生は完全に立場を失った。でも、彼は諦めないはず。桐生家には、資金も人脈もある。必ず、何らかの形で反撃してくる」
「なるほど……それを見越して、切り札を残しておいたわけか」
柊は、納得したように頷いた。
「だが、それは危険な賭けでもあるぞ。もし相手が予想外の手段で来たら——」
「大丈夫」
私は、振り返った。
「私、もう一度同じ失敗はしない」
柊と本間は、私を見つめた。
そして、柊が小さく笑った。
「……お前、本当に変わったな」
その夜、私は自宅に戻った。
リビングのソファに座り、スマホを開く。
SNSは、今日の記者会見で持ちきりだった。
『水瀬莉央、完全勝利じゃん』
『桐生蓮、最低すぎる』
『社長令嬢、めちゃくちゃ冷静だった』
『あの証拠の出し方、完璧だった』
コメントは、ほとんどが私を擁護するものだった。
一周目とは、正反対。
あの時は、私を罵るコメントで溢れていた。
私は、画面を閉じた。
世論は、変わった。
でも、これで終わりじゃない。
スマホが震えた。
着信——父からだった。
私は、通話ボタンを押した。
「もしもし」
『莉央、今日はよくやった』
父の声は、穏やかだった。
「ありがとう、お父さん」
『だが、気を抜くな。桐生家は、まだ動いてくる』
「わかってる」
『会社の方も、いくつか動きがあった。取引先から、関係継続の打診が来ている』
私は、少し驚いた。
一周目では、取引先は次々と離れていった。
でも今回は——。
「それは、いい知らせだね」
『ああ。お前が今日、堂々と真実を語ったからだ。企業は、信用できる相手と取引したい。お前は、その信用を勝ち取った』
父の言葉が、胸に響いた。
「お父さん……」
『莉央、お前はもう、守られるだけの娘じゃない。これからは——』
父は、少し間を置いた。
『一緒に、会社を支えてくれ』
私は、目を見開いた。
「え……?」
『お前に、経営に参加してほしい。取締役として、正式に』
取締役。
一周目では、考えたこともなかった立場。
私は、ただの社長令嬢で、会社の飾りでしかなかった。
でも今回は——。
「……考えさせて」
『ああ、急がなくていい。ただ、お前にはその資格がある。今日の会見で、それがよくわかった』
「ありがとう」
通話を切った後、私は深く息を吐いた。
取締役。
経営に、直接関わる立場。
それは、新しい戦場だ。
でも——悪くない。
スマホが、再び震えた。
今度は、メッセージ。
送り主は——鏑木だった。
『水瀬さん、お疲れ様でした。明日、記事を公開します。タイトルは「社長令嬢、沈黙を破る」でどうでしょうか?』
私は、少し笑った。
そして、返信した。
『いいですね。ただ、一つ訂正を。「沈黙を破る」じゃなくて「真実を語る」の方が、正確かもしれません』
すぐに返信が来た。
『なるほど。では「社長令嬢、真実を語る」で行きます。あと——独占インタビュー、明後日でも大丈夫ですか?』
『大丈夫です。お願いします』
メッセージを閉じた後、私はタブレットを開いた。
再び、あの写真を表示する。
桐生と、相楽美咲。
二人が、手をつないで歩いている写真。
この写真は、まだ公開していない。
でも、必要な時が来る。
桐生が反撃してきた時。
あるいは、桐生家が何らかの圧力をかけてきた時。
その時、この写真が——切り札になる。
私は、タブレットを閉じた。
窓の外を見ると、夜景が広がっていた。
東京の光が、無数に瞬いている。
一周目では、この景色を見る余裕もなかった。
ただ、絶望に沈んでいた。
でも今は、違う。
私は、立っている。
そして——まだ、戦える。
「浮気写真は、既に手元にある」
私は、小さく呟いた。
桐生蓮。
あなたが次に何をしてくるか、私は知っている。
そして——その時、この写真が、あなたを完全に沈める。




