第7話「婚約者の嘘、初手で潰します」
スタジオライトの下、桐生蓮が深く頭を下げた。
会場が静まり返る。
記者たちのペンを持つ手が、一斉に止まった。
「本日は、皆様にご報告があり、この場を設けさせていただきました」
桐生の声は、低く、誠実そうに響く。
一周目と、まったく同じトーン。
まったく同じ、演技。
彼は顔を上げ、カメラ目線で言った。
「私、桐生蓮は、婚約者である水瀬莉央との婚約を、本日をもって解消いたします」
会場が、ざわついた。
フラッシュが、一斉にたかれる。
記者たちが身を乗り出し、カメラのレンズが私に向けられる。
私は、表情を変えなかった。
ただ、静かに前を向いている。
一周目では、この瞬間、私は唇を噛んでいた。
でも今回は、違う。
「婚約解消の理由ですが——」
桐生は、少し間を置いた。
演出だ、と私は思った。
記者たちの注目を、最大限に集めるための。
「私個人の不徳ではなく、婚約者側の言動に起因するものです」
会場が、再びざわついた。
記者の一人が、手を挙げた。
「具体的には、どのような言動でしょうか?」
桐生は、困ったような表情を作った。
「……詳細は控えさせていただきますが、企業間の信頼関係を損なう行為がありました」
「それは、水瀬コーポレーション側の問題ということですか?」
「そのように、解釈していただいて構いません」
記者たちのペンが、一斉に走る。
私は、隣に座る柊弁護士を、チラリと見た。
彼は、小さく頷いた。
——まだだ。
桐生に、もっと話させる。
嘘を、積み重ねさせる。
その方が、後で崩した時の効果が大きい。
「水瀬さんとの関係は、当初は良好でした」
桐生は、続けた。
「しかし、次第に価値観の相違が見え始め……私としても、家族としても、このまま結婚に進むことは困難だと判断しました」
別の記者が、質問した。
「価値観の相違とは?」
「たとえば、企業経営に対する考え方です。水瀬さんは、やや……感情的な判断をされることが多く、それがビジネスの場で問題になることがありました」
感情的。
私は、その言葉を聞いて、心の中で笑った。
一周目では、この言葉が世論を決定づけた。
『社長令嬢、感情的な性格が原因で婚約破棄』
そんな見出しが、翌日のネットを埋め尽くした。
でも今回は——。
「それでは、水瀬さんにもお話を伺いたいのですが」
記者の一人が、私にマイクを向けた。
「本日の婚約破棄について、どうお考えですか?」
私は、ゆっくりと顔を上げた。
カメラが、私を映している。
全国に、リアルタイムで。
私は、静かに言った。
「少し、よろしいですか」
会場が、静まった。
記者たちが、一斉に私を見る。
桐生の表情が、わずかに変わった。
——予定外だ、という顔。
一周目では、私は何も言わなかった。
だから、彼は驚いている。
私は、マイクを自分の方に引き寄せた。
「本日の婚約破棄について、私からもお話しさせていただきたいことがあります」
「え……ああ、はい。どうぞ」
司会者が、慌てて答えた。
私は、柊弁護士に目配せした。
彼は、立ち上がり、会場後方のスタッフに合図を送った。
プロジェクターが、起動した。
スクリーンに、何かが映し出される。
記者たちが、一斉にそちらを見た。
そこに映っていたのは——メールだった。
桐生蓮から、取引先担当者へ送られたメール。
日付は、一週間前。
内容は——。
『水瀬との契約は、記者会見後に見直す予定です。婚約解消により、水瀬コーポレーションとの関係も再考せざるを得ない状況になります』
会場が、凍りついた。
記者たちが、一斉にカメラを構える。
フラッシュが、スクリーンを照らす。
桐生の顔色が、変わった。
「これは——」
彼が何か言おうとした瞬間、私は続けた。
「このメールは、本日の記者会見が開かれる一週間前に送られたものです」
私の声は、冷静だった。
感情を、一切込めていない。
ただ、事実を述べているだけ。
「つまり、桐生さんは一週間前——いえ、おそらくもっと前から、婚約破棄を計画していました」
記者の一人が、立ち上がった。
「水瀬さん、これは本物ですか?」
「はい。メールのヘッダー情報も含め、すべて保存してあります。必要であれば、第三者機関による検証も可能です」
私は、柊弁護士を見た。
彼は、頷いた。
「こちら、弁護士の柊と申します。本メールの真正性については、私が証明できます」
会場が、再びざわついた。
桐生は、マイクに手を伸ばした。
「それは……経営判断として、念のため取引先に状況を説明しただけで——」
「では、こちらもご覧ください」
私は、彼の言葉を遮った。
スクリーンが、切り替わる。
今度は、別のメール。
送信者は——週刊誌記者、南條。
宛先は、桐生蓮。
内容は——。
『水瀬莉央に関する情報、引き続きお願いします。記事の方向性は、こちらで調整します。"感情的な令嬢"というラインで進めますので、それに沿った情報をいただけると助かります』
会場が、騒然とした。
記者たちが、一斉に立ち上がる。
「桐生さん、これはどういうことですか!」
「週刊誌と組んで、情報操作をしていたんですか!」
質問が、飛び交う。
桐生は、顔面蒼白になっていた。
「それは……私は、そんな指示は——」
「こちらの返信メールには、桐生さんのアドレスから送信された内容が含まれています」
私は、淡々と続けた。
「『了解しました。秘書の本間から、追加情報を提供します』と」
スクリーンが、再び切り替わる。
今度は、本間から南條へ送られたメール。
私のスケジュール。
私的な会話の記録。
そして——「莉央さんは、最近感情的になることが多い」という、嘘の報告。
会場の空気が、完全に変わった。
記者たちの視線が、桐生に集中する。
彼は、もう何も言えなくなっていた。
私は、マイクに向かって静かに言った。
「私が感情的だと言われました。でも、これらの証拠を見ていただければわかる通り——感情ではなく、計画的に私を陥れようとしていたのは、どちらでしょうか」
会場が、静まり返った。
カメラが、桐生と私を交互に映す。
私は、立ち上がった。
「以上が、私からの説明です。質問があれば、お受けします」
記者たちが、一斉に手を挙げた。
でも、私は桐生を見た。
彼は、椅子に座ったまま、うつむいていた。
一周目では、私がこの姿だった。
でも今回は、立場が逆転している。
私は、静かに微笑んだ。
初手で、潰した。
彼の嘘を。
彼の計画を。
そして——彼の立場を。
記者会見は、まだ続く。
でも、勝負はもう——ついている。




