第6話「記者会見は戦場だと私は知っている」
記者会見、前日。
私は、会社の会議室で柊弁護士と向かい合っていた。
時刻は、午後八時を回っている。
テーブルの上には、想定問答集、証拠資料、そして——明日のシナリオ。
「もう一度、確認するぞ」
柊は、ペンを手に取った。
「桐生が婚約破棄を宣言した後、記者たちが君に質問を投げかける。その時、君は何と答える?」
私は、資料を見ずに答えた。
「『少しよろしいですか』と、発言の機会を求めます」
「その後は?」
「『本日の婚約破棄について、私からもお話しさせていただきたいことがあります』と前置きして、証拠資料の提示を始めます」
柊は、頷いた。
「順番は?」
「まず、桐生から送られてきたメール。取引先への根回しの内容。次に、週刊誌記者・南條とのやり取り。そして、秘書・本間が情報を流していた証拠」
「提示の方法は?」
「プロジェクターで、画面に映します。記者たちにも、印刷した資料を配布します」
柊は、チェックリストに印をつけた。
「感情的な発言は?」
「しません」
「もし、桐生が反論してきたら?」
「冷静に、事実だけを述べます。『こちらが証拠です』と」
柊は、ペンを置いた。
「……完璧だ」
「本当に?」
「ああ。ただし——」
柊は、私の目を見た。
「明日、本当にそれができるかどうかだ」
「できます」
「根拠は?」
私は、少し躊躇した。
そして、言った。
「……私、あの会見を、もう一度経験したくないんです」
柊は、眉をひそめた。
「もう一度?」
「言い方が悪かったです。つまり——失敗は、もう許されないってことです」
柊は、しばらく私を見つめていた。
そして、小さく頷いた。
「わかった。なら、信じよう」
彼は、資料をまとめ始めた。
「明日は、午後二時開始だったな」
「はい」
「一時半には、会場に入れ。プロジェクターの動作確認と、資料の配置を確認する」
「わかりました」
「それと——」
柊は、鞄から小さなICレコーダーを取り出した。
「これを、ポケットに入れておけ。会見の一部始終を録音する。後で、証拠になる」
私は、レコーダーを受け取った。
「ありがとうございます」
「礼はいらん。これは、戦いだ。勝つための準備をしているだけだ」
柊は、立ち上がった。
「じゃあ、明日。早めに来い」
「はい」
会議室を出た後、私はエレベーターホールで立ち止まった。
スマホを取り出すと、いくつかのメッセージが届いていた。
一つは、桐生から。
『明日、よろしくね。緊張すると思うけど、大丈夫。僕がちゃんとフォローするから』
私は、画面を見つめた。
フォロー。
笑わせる。
彼がするのは、フォローじゃない。
処刑だ。
でも、今回は——処刑されるのは、彼の方だ。
私は、返信しなかった。
次のメッセージは、鏑木から。
『明日、最前列で待ってます。資料、しっかり撮影できる位置を確保しました』
私は、短く返信した。
『ありがとうございます。よろしくお願いします』
そして、最後のメッセージ。
父からだった。
『莉央、明日は俺も会場に行く。心配するな。お前は、お前の言葉で話せ』
私は、目を閉じた。
一周目では、父はこのメッセージを送ってこなかった。
いや——送ってきたのかもしれない。
でも、私が見なかった。
見る余裕が、なかった。
今回は、違う。
私は、返信した。
『お父さん、ありがとう。大丈夫。今回は、ちゃんと戦える』
送信。
エレベーターが到着し、ドアが開いた。
私は、中に入った。
鏡に映る自分を見る。
顔色は、悪くない。
目に、迷いはない。
私は、準備ができている。
その夜、自宅に戻った私は、ベッドに横たわった。
でも、眠れなかった。
明日の会見のシミュレーションが、頭の中で何度も再生される。
桐生が、マイクの前で婚約破棄を宣言する。
記者たちが、私に質問を投げかける。
私が、手を挙げて発言を求める。
そして——証拠を、提示する。
一周目とは、違う結末。
私は、スマホを手に取った。
画面を開き、保存してある動画を再生する。
それは、一周目の記者会見——ではない。
そんなものは、存在しない。
でも、私の記憶の中には、鮮明に残っている。
あの日の屈辱。
あの日の無力感。
あの日の——沈黙。
私は、動画を止めた。
いや、止めたのは、ただの黒い画面だった。
実際には、何も映っていない。
でも、私には見える。
あの会見が。
あの悪夢が。
「もう、繰り返さない」
私は、スマホを置いた。
目を閉じ、深呼吸する。
明日は、戦場だ。
でも、私は恐れない。
なぜなら——私は、戦い方を知っているから。
翌日、午後一時。
私は、ホテルの会見場に到着した。
スーツは、ネイビー。
髪は、きっちりとまとめた。
メイクは、控えめに。
感情を見せない、冷静な女性として。
会場に入ると、すでにスタッフが準備を進めていた。
長テーブル、椅子、マイク、プロジェクター。
すべて、一周目と同じ配置。
私は、自分の席——テーブルの端を確認した。
そして、スタッフに声をかけた。
「すみません、プロジェクターの動作確認をさせていただけますか?」
スタッフは、少し驚いた顔をしたけれど、すぐに頷いた。
「どうぞ」
私は、USBメモリを取り出し、プロジェクターに接続した。
画面に、資料が映し出される。
メールのスクリーンショット。
契約書類。
週刊誌とのやり取り。
すべて、問題なく表示された。
私は、USBメモリを抜き、ポケットにしまった。
「ありがとうございます」
スタッフに礼を言い、私は会場の後ろに移動した。
記者たちが、少しずつ入場し始めている。
その中に——鏑木の姿があった。
彼は、最前列の席に座り、カメラを構えていた。
私と目が合うと、彼は小さく頷いた。
私も、頷き返した。
そして、入口の方を見ると——父が入ってきた。
スーツ姿で、いつもの厳格な表情。
彼は、私を見つけると、ゆっくりと近づいてきた。
「莉央」
「お父さん」
「準備は、できてるか」
「うん」
父は、私の肩に手を置いた。
「お前は、強い。忘れるな」
「……忘れない」
父は、後方の席に座った。
柊弁護士も、会場に入ってきた。
彼は、私の隣の席——補佐席に座る予定だ。
「大丈夫か?」
「大丈夫です」
「なら、いいが——」
柊は、私の表情を見て、少し目を細めた。
「お前、本当に落ち着いてるな。逆に心配になる」
「心配しないでください。ちゃんと、わかってますから」
そして——午後二時が、近づいてきた。
会場は、記者で埋め尽くされていた。
生中継のカメラが、三台設置されている。
すべて、一周目と同じ。
でも、一つだけ違うことがある。
今回の私は——準備ができている。
入口のドアが開き、桐生が入ってきた。
白いワイシャツに、紺のスーツ。
爽やかな笑顔で、記者たちに会釈している。
彼は、私の隣——テーブルの中央に座った。
「やあ、莉央」
彼は、私に微笑みかけた。
「緊張してる?」
私は、彼を見た。
そして、静かに言った。
「いいえ。全然」
桐生の笑顔が、一瞬だけ固まった。
でも、すぐに元に戻る。
「そっか。なら、よかった」
彼は、前を向いた。
私も、前を向いた。
会場の時計が、午後二時を指した。
司会者が、マイクの前に立った。
「それでは、本日の記者会見を始めさせていただきます」
スタジオライトが、点灯した。
私の顔を、照らす。
でも今回は——まぶしいとは思わなかった。
なぜなら、私は知っているから。
この光の先に、何があるのかを。
記者会見は、戦場だ。
そして私は——戦う準備ができている。




