第5話「今回は黙らないと決めた悪役令嬢」
翌日、午前十時。
私は、会社の自分のオフィスにいた。
デスクの上には、資料の山。
記者会見用の想定問答集、契約書類のコピー、そして——桐生の裏を示すメールのプリントアウト。
ドアがノックされた。
「どうぞ」
入ってきたのは、本間だった。
二十九歳。有能な秘書として、私を三年間サポートしてくれていた——はずの女性。
「おはようございます、莉央さん」
彼女は、いつも通りの笑顔で挨拶した。
私も、いつも通りに返す。
「おはよう。今日のスケジュール、確認させて」
「はい。午前中は社内会議が十一時から。午後三時に、柊弁護士との面談です」
本間は、タブレットを操作しながら言った。
「桐生様からは、スケジュール変更についてのご連絡がありました。『無理しないでね』とのことです」
私は、資料から顔を上げずに答えた。
「そう。ありがとう」
「あの……莉央さん」
本間の声が、少し躊躇いがちになった。
私は、彼女を見た。
「なに?」
「記者会見のこと、大丈夫ですか? 何か、お手伝いできることがあれば……」
彼女の表情は、心配そうに見えた。
演技が上手い、と私は思った。
一周目では、この優しさを本物だと信じていた。
でも今は、違う。
彼女は、情報を引き出そうとしている。
私が何を準備しているのか、どんな資料を持っているのか、誰と接触しているのか。
すべて、桐生と南條に報告するために。
私は、微笑んだ。
「ありがとう。でも、大丈夫。記者会見は、形式的なものだから」
本間の目が、わずかに揺れた。
「……そうですか」
「うん。桐生も『心配ない』って言ってたし」
私は、あえて桐生の言葉を引用した。
本間は、少し安心したような表情を見せた。
「そうですよね。桐生様が、莉央さんを困らせるようなことをするはずがありませんものね」
私は、頷いた。
心の中で、リストに印をつける。
本間——裏切り者。確定。
「じゃあ、会議の準備、お願い」
「承知しました」
本間は、オフィスを出ていった。
ドアが閉まると同時に、私は息を吐いた。
演技は、疲れる。
でも、必要だ。
今は、まだ何も知らないふりをしていた方がいい。
スマホが震えた。
メールの通知。
送り主は——鏑木京介。
昨日送ったメールへの返信だ。
私は、すぐに開いた。
『水瀬様
ご連絡ありがとうございます。
お話、ぜひ伺いたいです。
本日午後五時、私のオフィスでお会いできますか?
場所は添付の地図をご参照ください。
鏑木京介』
私は、カレンダーを確認した。
午後三時、柊弁護士との面談。
その後なら、時間が取れる。
私は、返信した。
『鏑木様
ありがとうございます。
午後五時、伺います。
水瀬莉央』
送信。
これで、今日中に二人の味方を確保できる。
弁護士と、記者。
記者会見は、明後日。
時間は、ギリギリだ。
でも——間に合わせる。
午後三時。
私は、会議室で柊弁護士と向かい合っていた。
柊誠。四十五歳。父の大学時代の友人で、企業法務に強い弁護士。
彼は、私が持ってきた資料を一通り目を通した後、顔を上げた。
「……これは、かなり悪質だな」
「そう思います」
「桐生蓮は、最初から婚約破棄を計画していた。そして、君を『問題のある婚約者』として公の場で糾弾することで、水瀬コーポレーションとの取引を優位に進めようとしている」
柊は、メールのプリントアウトを指で叩いた。
「しかも、週刊誌を使って世論を誘導し、君の社会的信用を失墜させる。これは、名誉毀損だけじゃなく、業務妨害にも該当する可能性がある」
「訴えられますか?」
「訴えられる。ただし——」
柊は、腕を組んだ。
「記者会見で、君がどう動くかによる」
「どういうことですか?」
「もし、記者会見で桐生の発言を黙って受け入れれば、世間は『認めた』と判断する。そうなると、後から訴訟を起こしても、世論は味方してくれない」
私は、頷いた。
「だから、記者会見の場で反論する必要がある」
「そうだ。ただし——」
柊は、私の目を見た。
「感情的になってはいけない。証拠を淡々と提示し、事実を語る。それだけでいい」
「わかってます」
「本当にか?」
柊の声は、少し厳しかった。
「君は、婚約者に裏切られる。公の場で、嘘をつかれる。その時、冷静でいられるか?」
私は、柊の目を見返した。
「……いられます」
「なぜ、そう言い切れる?」
私は、少しだけ躊躇した。
そして、言った。
「私、もう一度同じ失敗をするわけにはいかないんです」
柊は、眉をひそめた。
「同じ失敗?」
「……言い方が悪かったです。つまり、この機会を逃したら、もう取り返しがつかないってことです」
柊は、しばらく私を見つめていた。
そして、小さく頷いた。
「わかった。なら、私も全力でサポートする。記者会見には、私も同席しよう」
「ありがとうございます」
「ただし、一つ条件がある」
「条件?」
「記者会見の前日、リハーサルをさせてくれ。君が何を話すか、どう証拠を提示するか、すべて確認したい」
私は、即答した。
「もちろんです」
柊は、立ち上がった。
「なら、明日の夜、ここに来い。想定問答を全部洗い出す」
「はい」
会議室を出た後、私は廊下で立ち止まった。
一周目では、私は一人で会見に臨んだ。
誰にも相談せず、誰の助けも借りずに。
結果は、惨敗だった。
でも今回は、違う。
弁護士がいる。
父がいる。
そして——これから会う記者も、味方になってくれるはずだ。
私は、時計を確認した。
午後四時半。
鏑木のオフィスまで、三十分。
ちょうどいい。
午後五時。
私は、古いビルの三階にある小さなオフィスの前に立っていた。
ドアには『鏑木京介事務所』と書かれたプレート。
ノックすると、中から声がした。
「開いてます」
ドアを開けると、そこには資料と本が山積みになった部屋があった。
奥のデスクに座っていた男性が、顔を上げた。
「水瀬さん?」
「はい」
鏑木京介。三十代半ば。無精髭を生やし、ラフなシャツを着た男性。
でも、その目は鋭かった。
彼は、立ち上がって私に椅子を勧めた。
「どうぞ。で——何の話ですか?」
私は、椅子に座り、鞄から資料を取り出した。
「記者会見の話です」
「ああ、桐生蓮との婚約発表の件ですね」
「違います」
私は、資料を彼の前に置いた。
「婚約破棄の会見です」
鏑木の目が、わずかに見開かれた。
「……どういうことですか?」
「明後日の記者会見で、桐生は私との婚約を破棄すると発表します。そして、私に非があるように見せかける」
鏑木は、資料を手に取った。
メールのコピー、契約書類、週刊誌とのやり取り。
彼は、一枚一枚を丁寧に読んでいった。
数分後、彼は顔を上げた。
「……これは、スクープですね」
「そうです。だから、あなたに取材してほしい」
「なぜ、私に?」
私は、彼の目を見た。
「あなたは、企業不正を追ってる。真実を報道する記者だと、調べました」
鏑木は、少し笑った。
「調べた、ですか」
「はい」
「でも、僕はフリーです。大手メディアほどの影響力はない」
「それでいいんです」
私は、言った。
「大手は、スポンサーの顔色を伺う。でも、あなたは違う。真実だけを書く」
鏑木は、資料を見つめた。
そして、私を見た。
「……水瀬さん、あなた、何か変わりましたね」
「え?」
「いや、失礼。ただ——社長令嬢って、もっとこう……お嬢様然としてるイメージでした」
私は、苦笑した。
「私も、昔はそうだったかもしれません」
「昔?」
「……今は、違います」
鏑木は、少し考えるように目を閉じた。
そして、言った。
「わかりました。取材します。ただし、条件がある」
「条件?」
「記者会見、最前列で取材させてください。そして——会見後、独占インタビューを」
私は、頷いた。
「いいです」
「なら、契約成立ですね」
鏑木は、手を差し出した。
私は、その手を握った。
彼の手は、意外と温かかった。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
オフィスを出た後、私は夜の街を歩いた。
空は、すでに暗くなっていた。
スマホを取り出し、ノートを開く。
味方リストに、新しい名前を追加する。
柊弁護士——確保完了。
鏑木京介——確保完了。
そして、明日は最終リハーサル。
記者会見は、明後日。
私は、立ち止まり、夜空を見上げた。
星は、見えなかった。
でも、それでいい。
私は、自分の道を照らす光を、自分で作る。
「今回は、黙らない」
私は、静かに誓った。
悪役令嬢と呼ばれても、構わない。
私は、真実を語る。




