第4話「裏切る人間リスト、すでに完成しています」
午後三時。
私は、父の会社——水瀬コーポレーションの社長室の前に立っていた。
重厚なドアの前で、一度深呼吸する。
ノックをすると、中から父の声が聞こえた。
「入れ」
ドアを開けると、父はデスクの向こうに座っていた。
水瀬隆一郎。五十六歳。この会社を一代で築き上げた男。
彼は、書類から顔を上げて私を見た。
「座れ」
私は、応接ソファに腰を下ろした。
父も、デスクから立ち上がり、向かいのソファに座る。
少しの沈黙の後、父が口を開いた。
「記者会見の件だが……何か問題があるのか?」
私は、頷いた。
「お父さん、桐生のこと、どう思ってる?」
父の眉が、わずかに動いた。
「……急にどうした」
「答えて」
私の声は、いつもより低かった。
父は、腕を組んだ。
「有能だと思っている。桐生グループの次期CEOとして、申し分ない。お前との婚約も、双方にとって良い選択だと判断した」
「じゃあ、彼が嘘をついていたら?」
父の表情が、変わった。
「……どういうことだ」
私は、鞄からタブレットを取り出した。
画面を操作し、いくつかのファイルを開く。
「これ、見て」
父に、タブレットを渡した。
画面には、メールのやり取りが表示されている。
桐生が、取引先の担当者に送ったメール。
そこには、こう書かれていた。
『水瀬との契約は、記者会見後に見直す予定です。婚約解消により、水瀬コーポレーションとの関係も再考せざるを得ない状況になります』
父の顔色が、変わった。
「……これは、いつのものだ」
「一週間前」
私は、静かに答えた。
「つまり、記者会見で婚約破棄を発表することは、すでに決まっていた。そして、それをきっかけに、うちの会社との取引を切るつもりだった」
父は、画面を見つめたまま黙っていた。
私は、続けた。
「他にもある」
別のファイルを開く。
今度は、週刊誌記者・南條とのやり取り。
『水瀬莉央に関する情報、引き続きお願いします。記事の方向性は、こちらで調整します』
そして、返信。
『了解しました。秘書の本間からも、追加情報を入手しています』
父の目が、鋭くなった。
「本間……お前の秘書か」
「そう。彼女は、桐生側に買収されてる。私のスケジュール、会社での発言、すべて流されてる」
父は、タブレットを私に返した。
「……なぜ、今まで黙っていた」
「気づいたのが、最近だから」
嘘だ。
本当は、一周目で気づいた。
でも、それは言えない。
父は、深く息を吐いた。
「記者会見は、三日後だったな」
「うん」
「お前は、どうしたい」
私は、父の目を見た。
「会見は、予定通り開く。でも、私も準備する」
「準備?」
「桐生が何を言おうと、私には証拠がある。メール、契約書類、取引先とのやり取り。すべて、保存してある」
父は、少し考えるように目を閉じた。
そして、言った。
「柊を呼べ」
「え?」
「弁護士の柊だ。お前の話を聞かせろ。そして、会見に同席させる」
私は、目を見開いた。
一周目では、私から父に頼んだ。
でも今回は、父の方から動いてくれた。
「……ありがとう」
「礼を言うな。お前は俺の娘だ。守るのは当然だ」
父は立ち上がり、デスクの電話に手を伸ばした。
私は、ソファに座ったまま、小さく息を吐いた。
やっと、一歩進んだ。
父が電話をかけている間、私はスマホを取り出した。
画面には、いくつかの通知が表示されている。
その中の一つ——本間からのメッセージ。
『莉央さん、明日のスケジュール確認です。午前中は社内会議、午後は桐生様とのお食事の予定が入っていますが、よろしいですか?』
私は、メッセージを見つめた。
一周目では、このスケジュールに従った。
でも今回は——。
私は、返信した。
『午後の予定、キャンセルして。代わりに、柊弁護士とのアポを入れておいて』
送信。
数秒後、本間から返信が来た。
『承知しました。桐生様には、私からご連絡しておきます』
私は、画面を消した。
本間は、このメッセージも南條に流すだろう。
そして、桐生に報告する。
「莉央が、急に弁護士と会う予定を入れた」と。
それでいい。
彼らに、少しずつ焦りを感じさせる。
でも、本当の狙いは見せない。
父が電話を切り、私の方を向いた。
「柊は、明日の午後に時間を取れるそうだ。会社に来てもらう」
「わかった」
「莉央」
父が、私の名前を呼んだ。
私は、顔を上げた。
「お前、何かあったのか?」
「……え?」
「お前は、昔から強がる性格だった。でも、今日のお前は違う。強がってるんじゃなくて——本当に、強くなったように見える」
私は、言葉に詰まった。
父の言葉は、正しい。
一周目で、私は強がっていただけだった。
でも今は、違う。
私は、本当に強くなった。
失敗を知っているから。
裏切りを知っているから。
そして、やり直せる機会があるから。
「……お父さん、私ね」
私は、ゆっくりと言葉を選んだ。
「もう、守られるだけの娘じゃいたくない。自分で、戦いたい」
父は、少しだけ目を細めた。
そして、小さく笑った。
「そうか。なら、好きにしろ。ただし——」
「ただし?」
「困った時は、頼れ。俺は、お前の父親だ」
私は、頷いた。
「……うん」
社長室を出た後、私はエレベーターホールで立ち止まった。
スマホを取り出し、ノートアプリを開く。
先ほど書いた「裏切る人間リスト」を見る。
桐生蓮。
滝川弁護士。
本間。
南條。
全員、把握済み。
そして——味方リストも、更新する。
父。
柊弁護士。
あと、必要なのは——。
私は、画面をスクロールした。
一周目で、炎上の後に唯一私を擁護してくれた記者がいた。
名前は、鏑木京介。
彼は、フリーのジャーナリストで、企業不正を追うのが専門だった。
一周目では、会見の後に接触してきた。
でも今回は、私から接触する。
会見の前に。
私は、連絡先を検索し、メールを作成した。
件名:『情報提供の申し出』
本文:『鏑木様。水瀬莉央と申します。三日後の記者会見について、お話ししたいことがあります。お時間をいただけないでしょうか』
送信。
これで、準備は整い始めた。
証拠、弁護士、そして——真実を報道してくれる記者。
エレベーターが到着し、ドアが開いた。
私は、中に入った。
鏡に映る自分を見る。
表情は、冷静だ。
もう、泣かない。
もう、黙らない。
「裏切る人間は、全員把握済み」
私は、小さく呟いた。
三日後の記者会見。
今回は、私が主導権を握る。




