第31話「家族の食卓」
株主総会の準備に追われる日々が続いていた。
でも、今日は特別な日だった。
両親と柊を交えた、四人での食事会。
私は、レストランの個室で少し緊張していた。
「莉央、そんなに緊張しなくても」
母が、優しく微笑んだ。
「でも……」
「大丈夫よ。柊さんは良い方でしょう?」
母の言葉に、私は頬が熱くなった。
その時、ドアがノックされた。
「失礼します」
柊が、入ってきた。
紺色のスーツが、よく似合っている。
「お待たせして申し訳ありません」
「いえいえ、こちらこそ」
父が、立ち上がって柊を迎えた。
「柊弁護士、いつもお世話になっています」
「こちらこそ、水瀬社長」
柊が、丁寧に挨拶した。
そして、母に向かって深く頭を下げた。
「初めまして、柊翔太と申します」
「初めまして。莉央の母、雅子です」
母が、柔らかく微笑んだ。
「いつも娘がお世話になっているそうで」
「いえ、むしろ莉央さんに助けられています」
柊が、私を見て微笑んだ。
私は、視線を逸らした。
五人が席に着き、料理が運ばれてきた。
「柊さん、お酒は飲まれますか?」
父が、尋ねた。
「はい、いただきます」
「では、乾杯しよう」
父がグラスを掲げた。
「莉央の副社長就任と、柊弁護士との良いパートナーシップに」
「乾杯」
四人のグラスが、軽い音を立てた。
食事が始まると、母が柊に話しかけた。
「柊さん、弁護士になったきっかけは何だったんですか?」
「父が弁護士だったんです」
柊が、答えた。
「子供の頃から、父の仕事を見ていて。困っている人を助ける姿が、かっこいいと思いました」
「素敵ですね」
母が、嬉しそうに言った。
「お父様は、今も?」
「いえ、五年前に亡くなりました」
柊の表情が、少し曇った。
「そうでしたか……」
母が、申し訳なさそうに言った。
「いえ、大丈夫です」
柊が、微笑んだ。
「父は最後まで、『正義のために戦え』と言っていました。その言葉を、今も胸に刻んでいます」
私は、柊のそんな一面を初めて知った。
父が、柊に尋ねた。
「柊弁護士、率直に聞きたい。莉央をどう見ている?」
私は、思わず父を見た。
「父さん……」
「いや、聞いておきたいんだ」
父が、真剣な目で柊を見た。
「娘は、まだ若い。経営者として、まだまだ未熟だ。でも、可能性はある」
「あなたから見て、莉央はどうですか?」
柊が、少し考えてから答えた。
「莉央さんは、私が出会った中で最も成長力のある人です」
柊の声が、穏やかだった。
「婚約破棄という困難を乗り越え、会社を守るために全力で戦っている。その姿勢に、私はいつも尊敬の念を抱いています」
私は、胸が熱くなった。
「それに……」
柊が、私を見た。
「莉央さんは、人の痛みが分かる人です。強いだけではなく、優しさも持っている」
「だから、きっと素晴らしい経営者になれると信じています」
私は、涙が出そうになった。
母が、柊の手に触れた。
「柊さん、娘をよろしくお願いしますね」
「はい」
柊が、深く頷いた。
「必ず、お守りします」
父が、満足そうに頷いた。
「良い。信頼できる男だ」
私は、恥ずかしさと嬉しさで、顔が真っ赤になった。
「ちょっと、みんな……」
「あら、莉央、照れてるの?」
母が、いたずらっぽく笑った。
「照れてないよ」
「嘘。顔が赤いわよ」
母と父が、笑った。
柊も、優しく微笑んでいる。
私は、この温かい空気が心地よかった。
食事が進むにつれて、会話も弾んだ。
母が、私の子供時代の話をし始めた。
「莉央ね、小さい頃は本当におてんばだったのよ」
「母さん、やめて……」
「五歳の時、近所の男の子と喧嘩して、勝ったこともあるのよ」
柊が、驚いた顔をした。
「本当ですか?」
「本当よ。この子、負けず嫌いなの」
母が、楽しそうに話す。
「でも、優しい子でもあったわ。捨て猫を拾ってきて、必死に世話をしたこともあった」
「母さん……」
私は、恥ずかしくなった。
でも、柊が興味深そうに聞いている。
「その猫は、今も?」
「いえ、三年前に亡くなりました」
私が、答えた。
「タマって名前でした。最期まで、一緒にいられて良かった」
「莉央さんらしいですね」
柊が、優しく言った。
父が、グラスを置いた。
「柊弁護士、一つ聞きたい」
「はい」
「あなたは、莉央のことを……どう思っている?」
父の質問に、場が静まった。
柊が、私を見た。
そして、父を見て答えた。
「正直に言います」
柊が、深く息を吸った。
「私は、莉央さんを尊敬しています。仕事のパートナーとして、これ以上の人はいないと思っています」
「そして……」
柊が、少し躊躇った。
「それ以上に、一人の人間として、大切に思っています」
私は、心臓が高鳴った。
父が、じっと柊を見つめた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「分かった。お前を信頼しよう」
「ありがとうございます」
柊が、深く頭を下げた。
母が、嬉しそうに微笑んでいる。
私は、何も言えなかった。
食事が終わり、レストランを出た。
「柊さん、今日は本当にありがとう」
母が、柊に言った。
「また、一緒に食事しましょうね」
「ぜひ、お願いします」
父も、柊と握手した。
「娘を、頼む」
「はい」
両親が先に帰り、私と柊は二人きりになった。
「歩きませんか?」
柊が、提案した。
「うん」
私たちは、並んで夜の街を歩いた。
しばらく沈黙が続いた後、柊が口を開いた。
「良いご両親ですね」
「うん。最近、気づいたの」
私は、空を見上げた。
「一周目では、家族との関係が上手くいかなかった。でも、今は違う」
「一周目?」
柊が、不思議そうに尋ねた。
私は、はっとした。
「あ、いえ……以前は、っていう意味」
「そうですか」
柊は、それ以上追及しなかった。
私たちは、小さな公園のベンチに座った。
「莉央さん」
「はい」
「今日、お父様の前で言ったこと……本当です」
柊が、私を見た。
「私は、あなたを大切に思っています」
私は、柊の目を見た。
真剣で、優しい目だった。
「柊さん……」
「でも、今は答えを急ぎません」
柊が、微笑んだ。
「まずは、株主総会を乗り越えましょう。それから、ゆっくり考えてください」
私は、頷いた。
「ありがとう」
「こちらこそ」
柊が、私の手に触れた。
「莉央さんと一緒にいると、僕も前を向ける気がします」
私たちは、しばらく星空を見上げた。
こんな普通の時間が、一番幸せかもしれない。
仕事も大切。
会社も大切。
でも、こういう穏やかな時間も、大切にしたい。
「帰りましょうか」
柊が、立ち上がった。
「うん」
私たちは、また並んで歩き出した。
心地よい沈黙が、二人を包んでいた。
家に帰ると、母が待っていた。
「おかえり、莉央」
「ただいま」
「柊さん、良い方ね」
母が、嬉しそうに言った。
「うん」
私は、素直に答えた。
「母さん、今日はありがとう」
「何が?」
「柊さんを、温かく迎えてくれて」
母が、私を抱きしめた。
「当たり前よ。あなたを大切にしてくれる人は、私たちも大切にするわ」
「ありがとう」
私は、母の温もりを感じた。
家族がいる。
信頼できる仲間がいる。
そして、柊がいる。
私は、本当に恵まれている。
この幸せを、絶対に守りたい。
だから、株主総会も必ず勝つ。
私は、決意を新たにした。




