29話「黒崎の逆襲」
全社ミーティングから三日後。
私は、父の社長室にいた。
父の表情が、珍しく険しい。
「莉央、これを見ろ」
父が、資料を私に渡した。
それは、取引先企業からの報告書だった。
「中堅商社の山本物産から連絡があった」
父が、腕を組んだ。
「グローバル・キャピタルから接触があったそうだ」
私は、資料を読んだ。
黒崎が、山本物産に対して「より有利な条件での取引」を持ちかけていた。
「他にも?」
「ああ。今朝だけで、三社から同様の報告があった」
父が、窓の外を見た。
「黒崎は、直接買収が失敗したから、今度は取引先を切り崩しにかかっている」
私は、歯を食いしばった。
「卑怯な……」
「卑怯だが、効果的だ」
父が、私を見た。
「取引先を失えば、売上が減る。株価も下がる。そうなれば、買収のチャンスが生まれる」
「どうすればいいですか?」
「取引先を訪問しろ」
父が、即座に答えた。
「直接会って、関係を強化するんだ。数字や条件だけじゃない。信頼で繋がっているということを、思い出させろ」
私は、頷いた。
「分かりました」
その日の午後、私は緊急の対策会議を開いた。
柊、本間、そして営業部の田中部長が集まった。
「状況は分かっているな」
私が、口を開いた。
「黒崎が取引先に圧力をかけている。私たちは、これに対抗しなければならない」
「具体的には?」
田中が、尋ねた。
「私が直接、主要取引先を訪問します」
私は、リストを見せた。
「山本物産、佐々木商事、東和トレーディング。この三社は特に重要です」
「一人で?」
「いいえ」
私は、田中を見た。
「田中部長、同行をお願いします。営業のプロの視点が必要です」
「承知しました」
田中が、力強く頷いた。
柊が、口を開いた。
「法的な観点から言えば、黒崎のやり方はグレーゾーンです。違法ではないが、倫理的には問題がある」
「でも、止められない」
私は、悔しそうに言った。
「はい。だからこそ、正攻法で対抗するしかありません」
柊が、資料を開いた。
「取引先との契約内容を確認しましょう。私たちの強みを明確にして、それを前面に出すべきです」
本間が、メモを取りながら言った。
「莉央さんの知名度も、今は武器になります。メディア露出の効果を、取引先にもアピールできます」
私は、頷いた。
「それと……」
私は、三人を見渡した。
「黒崎の提案内容を把握したい。どの取引先に、どんな条件を出しているのか」
「情報収集ですね」
田中が、理解した。
「取引先との関係を利用して、情報を集めます」
「お願いします」
翌日、私は田中部長と共に山本物産の本社を訪れた。
応接室で、山本社長が私たちを出迎えた。
「水瀬副社長、わざわざお越しいただき恐縮です」
「いえ、こちらこそ。お時間をいただきありがとうございます」
私は、丁寧に挨拶した。
お茶が出された後、山本社長が口を開いた。
「正直に申し上げます。グローバル・キャピタルから、かなり魅力的な条件を提示されました」
「どのような?」
「取引量を倍にする。価格も、現在より5%上乗せする、と」
山本社長が、少し申し訳なさそうに言った。
「これは、経営判断として無視できない条件です」
私は、深く息を吸った。
「山本社長、一つ質問してもよろしいですか?」
「どうぞ」
「グローバル・キャピタルとの取引は、長期的に見て本当に安全だと思われますか?」
山本社長が、眉をひそめた。
「どういう意味でしょう?」
「黒崎康介の過去の買収案件を、調べたことはありますか?」
私は、資料を取り出した。
「これは、黒崎が過去十年間で買収した企業のリストです」
山本社長が、資料を見た。
「買収後、平均三ヶ月で大規模なリストラが行われています。そして一年以内に、事業の大部分が売却されている」
私は、別のページを開いた。
「取引先も、例外ではありません。北海道の食品会社は、黒崎の傘下に入った後、取引先の半数を切り捨てました」
山本社長の表情が、変わった。
「つまり……」
「黒崎の目的は、短期的な利益です」
私は、真剣な目で山本社長を見た。
「今は魅力的な条件でも、いずれ切り捨てられる。それが、黒崎のやり方です」
田中部長が、続けた。
「水瀬コーポレーションは違います。山本物産との取引は、もう15年になります」
「15年間、一度も契約を破ったことはありません。それが、私たちの誇りです」
山本社長が、しばらく考え込んだ。
「水瀬副社長……」
「はい」
「率直に言って、あなた方の誠意は感じます。でも、経営は感情だけではできません」
山本社長が、申し訳なさそうに言った。
「条件面で、対抗できますか?」
私は、覚悟を決めた。
「価格の上乗せは難しいです。でも、他の面で価値を提供できます」
「他の面?」
「私たちの新規事業です」
私は、プレゼン資料を開いた。
「環境配慮型製品の開発が進んでいます。これは、欧米市場で高い需要があります」
「山本物産も、この事業に参画していただけませんか?」
山本社長の目が、輝いた。
「新規事業への参画……」
「はい。共に成長しましょう。短期的な利益ではなく、長期的なパートナーシップを」
私は、手を差し出した。
山本社長が、しばらく私の目を見つめた。
そして、私の手を握った。
「分かりました。水瀬コーポレーションとの取引を続けます」
私は、安堵した。
「ありがとうございます」
「こちらこそ。あなたのような経営者がいれば、水瀬コーポレーションの未来は明るい」
山本社長が、微笑んだ。
オフィスに戻ると、本間が待っていた。
「莉央さん、佐々木商事からも連絡がありました。黒崎からの提案を断った、と」
「本当?」
「はい。先方は『長年の信頼関係を大切にしたい』と」
私は、嬉しくなった。
「他の取引先は?」
「東和トレーディングは、まだ検討中とのことです。明日、訪問の予定ですよね」
「ええ」
その夜、私は柊に電話した。
「二社は確保できました。でも、東和トレーディングが不安です」
「どうして?」
「東和の社長は、かなりシビアな人だと聞いています。感情よりも、数字で判断する」
柊が、少し考えてから言った。
「ならば、数字で勝負しましょう」
「でも、価格では勝てない」
「価格だけが数字じゃありません」
柊が、説明した。
「リスクも数字です。黒崎と取引するリスクを、具体的な数字で示せばいい」
私は、目が覚めた気がした。
「そうか……」
「明日の訪問まで、資料を作りましょう。僕も手伝います」
「ありがとう、柊さん」
「当然です。僕らは、チームですから」
柊の言葉に、私は心が温かくなった。
チーム。
そう、私は一人じゃない。
信頼できる仲間がいる。
黒崎がどんな手を使おうと、私たちは負けない。
私は、決意を新たにした。
「明日、必ず東和トレーディングも守ってみせます」
「信じています」
柊の声が、優しかった。
電話を切った後、私は窓の外を見た。
夜の街が、きらめいている。
黒崎との戦いは、まだ続く。
でも、私は恐れない。
守るべきものがある。
そして、支えてくれる人たちがいる。
私は、深く息を吸った。
明日も、戦いだ。
でも、私は前に進む。
必ず、勝ってみせる。




