第27話「水瀬莉央、ブランドになる」
母との和解から、一週間が過ぎた。
私は、副社長室で山積みの雑誌を見つめていた。
テーブルの上には、三冊の女性誌が並んでいる。
PRESIDENT WOMAN、日経WOMAN、そしてVERY。
全て、私への取材オファーだった。
「信じられない……」
私は、呟いた。
本間が、お茶を淹れながら微笑んだ。
「当然ですよ。莉央さんは今、最も注目される女性経営者の一人です」
「でも、私はまだ副社長で……」
「それが良いんです」
本間が、お茶を私の前に置いた。
「完成された社長ではなく、成長途中の次世代リーダー。読者は、そこに共感するんです」
私は、雑誌の企画書を一つずつ確認した。
PRESIDENT WOMANは、『次世代のリーダーたち』という特集。
日経WOMANは、『働く女性が憧れる女性経営者』。
VERYは、『強く、美しく、自分らしく生きる』。
どれも、魅力的な企画だった。
「全部受けるべきでしょうか?」
私は、本間に尋ねた。
「父と柊さんに相談しましょう。でも、私は受けるべきだと思います」
本間が、真剣な表情で言った。
「これは、莉央さん個人のブランド価値を高めるだけではありません。水瀬コーポレーション全体のイメージ向上にも繋がります」
私は、頷いた。
その日の午後、父と柊を交えた会議が開かれた。
「三誌とも、受けるべきだ」
父が、即座に言った。
「理由は?」
私は、尋ねた。
「黒崎対策だ」
柊が、資料を開いた。
「黒崎は、必ずまた動いてくる。次は、もっと巧妙な手を使うはずです」
「それと、メディア露出がどう関係するの?」
「防波堤になる」
父が、腕を組んだ。
「お前が注目されればされるほど、黒崎は迂闊に動けなくなる。世間の目があるからな」
柊が、頷いた。
「その通りです。さらに、莉央さん個人と会社のブランド価値が上がれば、株主の支持も強固になります」
「でも……」
私は、少し不安だった。
「注目されるということは、批判も増えるということですよね?」
「その通り」
父が、真剣な目で私を見た。
「だが、お前はそれに耐えられる。今のお前なら」
私は、父の言葉を噛み締めた。
一周目の私なら、世間の注目に耐えられなかっただろう。
でも、今は違う。
私は、覚悟を決めた。
「分かりました。三誌とも、受けます」
翌週、最初の撮影が始まった。
PRESIDENT WOMANの撮影は、オフィスで行われた。
カメラマンが、何度もシャッターを切る。
「はい、もう少し笑顔で」
「顎を少し引いて」
「完璧です!」
撮影の合間に、編集者がインタビューを始めた。
「水瀬さん、まず最初に。婚約破棄の記者会見について、今の率直なお気持ちを聞かせてください」
私は、少し考えてから答えた。
「正直に言えば、あの瞬間は人生で最も屈辱的な経験でした」
編集者が、メモを取りながら頷いた。
「でも、あの経験があったから、今の私があります」
「と、言いますと?」
「私は、あの会見まで『社長の娘』でしかなかった。自分の意思で人生を選んできたつもりでしたが、実際は周囲の期待に応えているだけだった」
私は、胸元のペンダントに触れた。
「でも、あの日から変わりました。自分の人生は、自分で決める。誰にも奪わせない。そう決めたんです」
編集者の目が、輝いた。
「素晴らしい。読者の方々は、きっと共感すると思います」
インタビューは、一時間以上続いた。
私の経営方針、働き方改革への取り組み、そして今後のビジョン。
全てに、正直に答えた。
「最後に、同じように理不尽な状況に直面している女性たちに、メッセージをお願いします」
私は、少し考えてから、ゆっくりと口を開いた。
「理不尽な状況は、必ず変えられます。でも、一人では難しい」
「一人では?」
「信頼できる仲間を見つけてください。家族でも、友人でも、同僚でも。支え合える人がいれば、どんな困難も乗り越えられます」
私は、微笑んだ。
「そして、自分を信じてください。あなたは、あなたが思っているよりもずっと強いはずです」
撮影が終わり、オフィスに戻ると、スマートフォンに大量の通知が来ていた。
SNSだ。
撮影の様子を、カメラマンがSNSに投稿していた。
コメント欄には、たくさんの反応があった。
『かっこいい!』
『憧れる!』
『こんな上司が欲しい』
『でも、やっぱり親の七光でしょ』
『婚約破棄されたのは自業自得じゃない?』
好意的なコメントもあれば、批判的なコメントもある。
私は、スマートフォンを置いた。
全てに反応していたら、キリがない。
「気にしなくていいんですよ」
本間が、優しく言った。
「批判する人は、どんなことをしても批判します。大切なのは、応援してくれる人たちのために頑張ることです」
私は、頷いた。
その夜、柊のオフィスで打ち合わせをしていた。
「メディア露出、順調ですね」
柊が、微笑んだ。
「でも、これからが本番です。注目が高まれば高まるほど、批判も増えます」
「覚悟はできてます」
私は、答えた。
「それと……」
柊が、少し躊躇うように言った。
「ご両親との食事の件、日程を決めましょうか」
私は、少しドキドキした。
「そうですね。来週の週末はどうですか?」
「大丈夫です」
柊が、手帳に書き込んだ。
「楽しみにしています」
柊の笑顔を見て、私は少し安心した。
この人なら、きっと両親にも好印象を与えるだろう。
そして、私も——
私は、自分の気持ちを押し殺した。
今は、仕事に集中しなければ。
でも、心のどこかで。
柊との未来を、少しだけ想像している自分がいた。
翌日、VERYの編集部から連絡が来た。
編集者の佐藤という女性が、直接オフィスを訪れた。
「水瀬さん、お時間をいただきありがとうございます」
佐藤は、30代半ばくらいの、落ち着いた雰囲気の女性だった。
「私たちの特集は、少し他誌とは違うアプローチを考えています」
「どんな?」
「表面的な成功ストーリーではなく、『裏側』を描きたいんです」
佐藤が、真剣な目で私を見た。
「水瀬さんの強さだけではなく、迷いや葛藤も。完璧な女性像ではなく、人間としての水瀬莉央を」
私は、少し驚いた。
「正直に言っていいですか?」
「もちろんです」
「それは……怖いです」
私は、率直に答えた。
「私の弱さを見せることで、批判が増えるかもしれない」
「その可能性はあります」
佐藤が、頷いた。
「でも、完璧な人間なんていません。弱さを見せることで、もっと多くの人があなたに共感するはずです」
私は、少し考えた。
そして、決心した。
「分かりました。やりましょう」
「本当ですか?」
「はい。私の全てを、見せます」
佐藤が、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。きっと、素晴らしい記事になります」
その夜、私は一人でオフィスに残っていた。
窓の外では、夜景が広がっている。
メディア露出が増えることで、私の人生はまた変わっていく。
注目が集まれば、批判も集まる。
でも、それでいい。
私は、もう逃げない。
自分の選択に、責任を持つ。
スマートフォンが、振動した。
柊からのメッセージだった。
『お疲れ様です。夜遅くまで大丈夫ですか?』
私は、微笑んで返信した。
『大丈夫です。もうすぐ帰ります』
『無理しないでくださいね。莉央さんの笑顔が、一番大切ですから』
私は、顔が熱くなった。
柊は、いつもこうして私を気遣ってくれる。
この人は、本当に——
私は、スマートフォンを握りしめた。
今はまだ、答えを出すときじゃない。
でも、いつか。
いつか、この気持ちに正直になれる日が来る。
その日まで、私は前に進み続ける。
強い女性として。
でも同時に、人間らしい弱さも持った、水瀬莉央として。
私は、オフィスの明かりを消して、夜の街へと歩き出した。




