第24話「男の社会的死亡」
鏑木の記事が掲載されてから、わずか三日後。
世界は、激変していた。
私は、会社のデスクでニュースを見ていた。
『グローバル・キャピタル、業務停止命令』
アナウンサーの声が、淡々と事実を告げている。
『金融庁は、同社の不正会計と投資家保護義務違反を認定し、六ヶ月間の業務停止命令を出しました』
画面には、グローバル・キャピタルのオフィスビルが映し出されている。
エントランスには、報道陣が群がっていた。
『また、代表の黒崎氏に対しては、証券取引法違反の疑いで検察が捜査を開始したもようです』
私は、スマホを見た。
SNSは——沸騰していた。
『グローバル・キャピタル、ついに終了』
『黒崎、逮捕間近か』
『被害企業は何社?』
コメントは、次々と流れていく。
でも——私の心は、複雑だった。
勝利——と言えるのだろうか。
確かに、黒崎の脅威は去った。
水瀬コーポレーションは、守られた。
でも——。
スマホが震えた。
柊からだった。
「もしもし」
『水瀬さん、ニュース見てるか?』
「はい」
『黒崎は、完全に終わった』
柊の声には、安堵が混じっていた。
『君の会社は——安全だ』
「ありがとうございます」
私は、窓の外を見た。
「でも——これで、本当に終わりなんでしょうか」
『どういう意味だ?』
「黒崎は——倒れました。でも、桐生蓮も——」
私は、言葉を選んだ。
「同じように、社会的に終わりました」
『……そうだな』
柊は、少し沈黙した。
『君は、彼らの末路を見て——何を思う?』
「正直——わかりません」
私は、正直に答えた。
「彼らは、間違ったことをした。だから、代償を払った」
「でも?」
「でも——一人の人間の人生が、終わるのを見るのは——辛いです」
柊は、しばらく黙っていた。
そして——優しく言った。
『それが、君の優しさだ』
「優しさ——」
『ああ。敵だった人間にも、同情できる。それは——弱さじゃない』
柊の声は、温かかった。
『人間らしさだ』
その日の午後、思いがけない連絡が入った。
鏑木からだった。
「もしもし、水瀬さん」
『鏑木さん、どうしました?』
「実は——桐生蓮の件で」
私の心臓が、一瞬止まった。
「桐生——蓮?」
『はい。彼が——記者会見を開くそうです』
「記者会見——」
『桐生グループの破産と、彼個人の自己破産について』
私は、デスクに座った。
「いつですか?」
『今日の午後五時。都内のホテルです』
鏑木は、少し躊躇してから言った。
『水瀬さん——見に行きますか?』
私は、少し考えた。
桐生蓮——。
一周目で、私を公開処刑した男。
婚約を破棄し、企業買収を企み、そして——敗北した男。
彼の最後を——見届けるべきだろうか。
「行きます」
『わかりました。場所を送ります』
午後四時半。
私は、都内のホテルの会見場にいた。
柊も、隣に座っている。
「本当に、見る必要があるのか?」
柊は、心配そうに私を見た。
「もう、過去のことだ」
「わかっています」
私は、前を見た。
「でも——彼がどう終わるのか、見届けたいんです」
「なぜ?」
「一周目で——私が終わったように」
私は、小さく呟いた。
「今度は、彼が終わる番です」
会場には、記者たちが集まり始めていた。
カメラが、何台も設置されている。
午後五時。
会見場のドアが開いた。
そして——桐生蓮が入ってきた。
一周目の、あの記者会見とは——まったく違う姿だった。
スーツは、しわだらけ。
髪も、乱れている。
顔色は、青白く。
目には——生気がなかった。
彼は、テーブルの前に座った。
マイクに向かって、口を開く。
「本日は——お集まりいただき、ありがとうございます」
声は——震えていた。
「桐生グループ、代表取締役の桐生蓮です」
会場が、静まり返った。
「この度——桐生グループは、民事再生法の適用を申請いたしました」
記者たちが、一斉にペンを走らせる。
「負債総額は——約百五十億円に上ります」
桐生は、資料を見た。
その手が——震えている。
「これは——私の経営判断の誤りによるものです」
深々と、頭を下げた。
「株主の皆様、取引先の皆様、従業員の皆様——」
彼の声が、詰まった。
「本当に——申し訳ございませんでした」
記者が、手を挙げた。
「桐生さん、不正会計の責任は?」
桐生の顔が、さらに青ざめた。
「すべて——私の責任です」
「個人としての責任は、どう取るつもりですか?」
「自己破産を——申請します」
会場が、ざわついた。
「個人保証の額は?」
「約——五十億円です」
私は、息を呑んだ。
五十億円——。
それは、彼の人生のすべてを奪う金額だった。
別の記者が、質問した。
「水瀬莉央さんとの婚約破棄について——今はどう思いますか?」
桐生の目が——会場の後方を見た。
そして——私と目が合った。
彼の表情が、歪んだ。
「水瀬莉央さんには——」
彼は、立ち上がった。
「心から——お詫びしたいと思います」
会場が、静まり返った。
「私は——すべてを、間違えました」
桐生は、カメラに向かって深く頭を下げた。
「婚約破棄も。企業買収も。すべて——間違いでした」
その姿を見て——。
私は、何も感じなかった。
怒りも。
悲しみも。
満足感も。
ただ——空虚だった。
これが——復讐の果てなのだろうか。
会見後、私と柊は会場を出た。
エレベーターホールで、柊が言った。
「どうだった?」
「どうって——」
私は、答えられなかった。
「気持ちの整理は、ついたか?」
私は、首を振った。
「よくわかりません」
エレベーターが到着し、私たちは中に入った。
一階のロビーに降りると——。
「水瀬さん」
背後から、声をかけられた。
振り返ると——桐生蓮が、立っていた。
一人で。
スーツは、相変わらずしわだらけ。
でも、目だけは——真剣だった。
「少し——お時間よろしいでしょうか」
柊が、私の前に出ようとした。
でも、私は彼を制した。
「いいです」
私は、桐生を見た。
「何の話ですか?」
「謝罪です」
桐生は、深く頭を下げた。
「ちゃんとした——謝罪を」
私は、しばらく彼を見つめた。
そして、答えた。
「必要ありません」
「でも——」
「桐生さん」
私は、静かに言った。
「あなたは、もう——終わったんです」
桐生の顔が、青ざめた。
「終わった——」
「会社も。個人としても。社会的に——終わったんです」
私は、彼の目を見た。
「それで、十分です。これ以上、何もいりません」
桐生は、唇を噛んだ。
「でも——俺は——」
「桐生さん」
私は、柊の腕を取った。
「もう、関わらないでください」
私たちは、歩き始めた。
桐生は——その場に、立ち尽くしていた。
タクシーの中で、柊が言った。
「冷たかったな」
「そうですか?」
「もう少し、感情的になってもよかったんじゃないか?」
柊は、私を見た。
「一周目の——」
柊は、言葉を止めた。
「一周目?」
私は、驚いた。
柊——気づいていたのか。
「君は、時々変なことを言う」
柊は、微笑んだ。
「一周目、二周目——まるで、人生をやり直したかのように」
私は、言葉を失った。
「でも——」
柊は、前を向いた。
「それが何であれ、関係ない」
「関係——ない?」
「ああ。君が、何を経験したのか——俺には想像もできない」
柊は、私の手を握った。
「でも、今の君は——強い」
その温かさに、涙が出そうになった。
「ありがとうございます」
「礼はいらない」
柊は、窓の外を見た。
「桐生蓮は——社会的に死んだ」
「はい」
「でも、君は——生きている」
柊は、私を見た。
「そして——これからも、生きていく」
私は、頷いた。
「はい」
その夜、私は自宅で一人考えていた。
桐生蓮の——最後の姿。
あの会見。
あの謝罪。
そして——あの表情。
彼は、すべてを失った。
会社。
地位。
信用。
未来。
これが——婚約破棄の本当の代償。
彼が払った代償。
でも——私が得たものもある。
父の信頼。
会社での地位。
本当の味方たち。
そして——。
スマホを見た。
柊からのメッセージが届いている。
『今日はお疲れ様。君の強さが、君の優しさだ。それを忘れないでほしい』
私は、微笑んだ。
返信する。
『ありがとうございます。柊さんがいてくれて——本当に良かった』
送信後、私は窓の外を見た。
夜空には、星が輝いている。
桐生蓮は——社会的に死んだ。
でも、私は——生きている。
そして——愛されている。
信頼されている。
大切にされている。
デスクの引き出しを開けた。
そこには——婚約指輪があった。
桐生蓮との——過去の証。
私は、それを手に取った。
もう、返すこともできない。
彼は、すべてを失ったのだから。
ジュエリーボックスに、それをしまった。
「さようなら、桐生蓮」
私は、小さく呟いた。
「あなたの物語は——終わりました」
ボックスを閉じた。
そして——前を向いた。
桐生蓮の物語は、終わった。
でも、私の物語は——まだ続いている。
副社長への道。
新しい敵との戦い。
そして——。
スマホが、再び震えた。
柊からだった。
『それと——君に会いたい。仕事じゃなく、プライベートで』
私の心臓が、早く鼓動した。
これは——。
『明日、時間ある?』
私は、少し考えた。
そして——返信した。
『はい。お待ちしています』
送信後、私は頬が熱くなるのを感じた。
プライベートで——。
それは、どういう意味だろう。
でも——嫌じゃない。
むしろ——楽しみだった。
鏡を見た。
そこには——強い女性が映っていた。
でも、同時に——。
恋をする、一人の女性の顔もあった。
「男の社会的死亡」
私は、小さく呟いた。
「一つの物語が終わり——新しい物語が始まる」
窓を閉じた。
ベッドに横たわり、目を閉じた。
明日——柊さんと会う。
何を話すのだろう。
何を聞かされるのだろう。
でも——怖くない。
むしろ——。
「おやすみなさい」
私は、微笑みながら呟いた。
そして——深い眠りについた。
夢の中では——。
私と柊が、並んで歩いていた。
ビジネスパートナーとして——ではなく。
もっと——違う関係として。




