第20話「世論を支配する」
翌日、私は柊のオフィスで新たな情報を聞いていた。
「黒崎について、もっと詳しい情報が入った」
柊は、パソコンの画面を見せた。
そこには、グローバル・キャピタルの買収履歴が表示されている。
「過去十年間で、二十三社を買収」
「二十三社——」
「そのすべてで、同じパターンが繰り返されている」
柊は、画面をスクロールした。
「まず、経営陣を味方につける。買収に同意させる」
「それは、普通の買収ですね」
「ああ。でも、その次が問題だ」
柊は、別のページを開いた。
「買収後、三ヶ月以内に大規模なリストラを実行。従業員の三割から五割を削減する」
私は、息を呑んだ。
「三割から五割——」
「そして、一年以内に事業を売却するか、会社を解体する」
画面には、廃墟となった工場の写真が表示されていた。
「これは——」
「北海道の食品会社だ。グローバル・キャピタルに買収された後、工場を閉鎖。二百人の従業員が職を失った」
柊の声は、怒りを含んでいた。
「黒崎のやり方は、企業再生ではない。企業破壊だ」
私は、写真を見つめた。
廃墟となった工場。
閉ざされた門。
これが——水瀬コーポレーションの未来になるかもしれない。
「もう一つ、重要な情報がある」
柊は、別の資料を取り出した。
「黒崎は、世論操作を得意としている」
「世論操作?」
「ターゲット企業のネガティブキャンペーンを展開する。SNS、週刊誌、匿名掲示板——あらゆる手段を使って、企業イメージを破壊する」
柊は、私を見た。
「そして、株価が下がったところで買い叩く」
私の背筋が、冷たくなった。
世論操作——。
それは、一周目で私が経験したことだった。
桐生蓮による、世論を使った攻撃。
あの悪夢が——また繰り返されるのか。
「水瀬さん」
柊の声で、我に返った。
「大丈夫か? 顔色が悪い」
「大丈夫です」
私は、深呼吸した。
「ただ——世論操作と聞いて、少し」
「不安になった?」
「……はい」
柊は、椅子から立ち上がった。
窓の外を見ながら、口を開いた。
「確かに、世論は怖い。一度炎上すれば、消火するのは難しい」
「では——」
「でも」
柊は、私を見た。
「世論は、味方にもできる」
私は、柊を見つめた。
「味方に——?」
「そうだ。黒崎は、ネガティブキャンペーンで世論を操作する。なら、君は——」
柊は、微笑んだ。
「ポジティブな行動で、世論を味方につければいい」
その日の午後、私は会社の会議室にいた。
集まっているのは、各部署の部長たち。
山田、田中、そして——吉田。
私は、プレゼン資料を開いた。
「本日は、新しい施策について提案があります」
全員が、スクリーンを見た。
「水瀬コーポレーション、企業イメージ改革プロジェクト」
田中が、興味深そうに前のめりになった。
「具体的には?」
「三つの柱があります」
私は、スライドを進めた。
「第一に、働き方改革。残業時間の削減、リモートワークの導入、育児休暇の充実」
山田が、頷いた。
「第二に、社会貢献活動。地域清掃、教育支援、環境保護」
「第三に——」
私は、全員を見渡した。
「従業員の声を聞く仕組み。定期的な面談、匿名の意見箱、経営層との対話会」
吉田が、口を開いた。
「それは——コストがかかりますね」
「短期的には、そうです」
私は、吉田を見た。
「でも、長期的には企業価値の向上に繋がります」
「企業価値——」
「従業員が働きやすい環境を作れば、生産性が上がります。社会貢献活動で、企業イメージが向上します」
私は、別のスライドを見せた。
「そして——世論が味方につけば、黒崎のような買収者から会社を守れます」
会議室が、静まり返った。
山田が、口を開いた。
「つまり——これは、黒崎対策でもある、ということですか?」
「はい」
私は、正直に答えた。
「黒崎は、ネガティブキャンペーンで世論を操作します。でも、私たちが先にポジティブなイメージを確立すれば——」
「黒崎の攻撃を、跳ね返せる」
田中が、私の言葉を継いだ。
「素晴らしい戦略です」
でも——吉田は、懐疑的な表情だった。
「本当に、効果があるんでしょうか?」
「あります」
私は、断言した。
「世論は、数字よりも強い。人々の心を掴めば——会社は守れます」
会議後、私は田中と二人きりになった。
「水瀬さん、さっきの提案——本気ですか?」
「もちろんです」
「でも、コストが——」
「田中さん」
私は、彼を見た。
「お金で買えないものがあります」
「買えないもの?」
「信頼です。従業員の信頼、社会の信頼、そして——株主の信頼」
私は、窓の外を見た。
「それを失えば、いくらお金があっても会社は守れません」
田中は、しばらく黙っていた。
そして——頷いた。
「わかりました。広報部として、全力でサポートします」
「ありがとうございます」
その日の夕方、私は製造部のフロアにいた。
従業員たちに、直接話すために。
「皆さん、お疲れさまです」
私は、マイクを手に取った。
作業を止めた従業員たちが、私を見ている。
「突然お邪魔して、申し訳ありません」
私は、深呼吸した。
「本日は、皆さんにお伝えしたいことがあって来ました」
従業員たちが、静かに聞いている。
「水瀬コーポレーションは、今、変わろうとしています」
私は、一人一人の顔を見た。
「働き方を変えます。残業を減らし、休暇を取りやすくします」
ざわめきが起こった。
「でも——」
私は、声を強めた。
「それは、皆さんをリストラするためではありません」
従業員たちの表情が、変わった。
「むしろ、逆です。皆さんに、もっと働きやすい環境を提供したい」
私は、微笑んだ。
「なぜなら——皆さんこそが、この会社の宝だからです」
一人の従業員が、手を挙げた。
「質問してもいいですか?」
「もちろんです」
「本当に、実現できるんでしょうか? 理想論じゃなく」
私は、頷いた。
「実現します。そのために、私が取締役になりました」
私は、従業員を見つめた。
「約束します。皆さんを守ります」
その言葉に——拍手が起こった。
最初は小さな拍手だったが、徐々に大きくなっていく。
私の目に、涙がにじんだ。
これが——信頼。
これが——私が守りたいもの。
その夜、私は柊に報告していた。
「従業員たちと、直接話しました」
「どうだった?」
「最初は不安そうでしたが——最後は、拍手してくれました」
私は、微笑んだ。
「これが、スタートです」
「いいスタートだ」
柊は、パソコンを開いた。
「実は——もう効果が出始めている」
「え?」
「SNSを見てくれ」
画面には、投稿が表示されていた。
『水瀬コーポレーションの取締役、工場で従業員と対話してた』
『働き方改革、本気みたい』
『こういう経営者、応援したくなる』
私は、驚いた。
「もう、広まってる——」
「誰かが、動画を撮ってSNSにアップしたようだ」
柊は、微笑んだ。
「これが、世論の力だ」
私は、画面を見つめた。
ポジティブなコメントが、次々と投稿されている。
「でも——黒崎は、このまま黙っていないでしょう」
「ああ。おそらく、ネガティブキャンペーンを仕掛けてくる」
柊は、私を見た。
「でも、君はもう準備ができている」
「準備?」
「ポジティブなイメージを先に確立した。これが、最強の防御だ」
柊は、立ち上がった。
「世論は、数字よりも強い。人々の心を掴めば——黒崎の攻撃も、跳ね返せる」
私は、頷いた。
「わかりました」
「それと——」
柊は、別の資料を見せた。
「明日、大手メディアの取材が入る」
「取材?」
「君の働き方改革について、テレビ局が特集を組みたいと」
私は、驚いた。
「もう?」
「SNSで話題になったからな」
柊は、微笑んだ。
「これが、世論を支配するということだ」
帰りのタクシーの中で、私はスマホを見ていた。
SNSには、私に関する投稿が増えている。
ポジティブなものが、ほとんど。
『水瀬莉央、本物のリーダーかも』
『従業員を大切にする経営者、素敵』
『こういう会社で働きたい』
でも——中には、批判的なコメントもある。
『本当に実現できるの?』
『理想論じゃない?』
『株主は納得するのか?』
私は、画面を閉じた。
批判は、必ずある。
でも——それに負けない。
なぜなら——私には、信念があるから。
従業員を守る。
会社を守る。
そして——世論を味方につける。
タクシーが、自宅に到着した。
部屋に戻り、窓の外を見た。
夜空には、星が輝いている。
一周目では——世論は、私の敵だった。
でも今回は——味方にする。
黒崎が、どんな手を使おうと。
私は——負けない。
スマホが震えた。
柊からのメッセージだった。
『明日の取材、頑張れ。君なら大丈夫だ』
私は、微笑んだ。
返信する。
『ありがとうございます。頑張ります』
送信後、私は鏡を見た。
そこには——強い女性が映っていた。
もう、泣いていない。
もう、恐れていない。
私は——戦える。
「世論を支配する」
私は、小さく呟いた。
「操るのではなく——正しい行動で、自然に味方につける」
それが——私のやり方。
黒崎とは、違うやり方。
でも——これこそが、最強の武器。
窓を開けた。
夜風が、頬を撫でる。
冷たいけれど——心地よかった。
明日からも、戦いは続く。
でも——私には、味方がいる。
従業員たちも。
柊も。
そして——世論も。
私は、窓を閉じた。
ベッドに横たわり、目を閉じた。
明日の取材。
どんな質問が来ても——答えられる。
なぜなら——私は、嘘をついていないから。
本当に、従業員を守りたい。
本当に、会社を良くしたい。
その想いは——本物だから。
「おやすみなさい」
私は、小さく呟いた。
そして——深い眠りについた。
夢の中では——。
水瀬コーポレーションの未来が、明るく輝いていた。




