第19話「記者たちが私を追い始める」
黒崎との面談から三日後。
私は、会社の広報室にいた。
デスクには、複数の雑誌と新聞が積まれている。
すべて、私に関する記事だった。
『水瀬莉央氏、取締役就任』
『桐生グループとの法廷闘争に勝利した女性経営者』
『次世代リーダーとして注目される社長令嬢』
田中広報担当が、説明してくれる。
「ここ一週間で、水瀬さんに関する問い合わせが急増しています」
「問い合わせ——ですか?」
「はい。取材依頼、インタビュー、雑誌の特集——」
田中は、リストを見せた。
そこには、十以上のメディア名が並んでいた。
「こんなに——」
「水瀬さんは、今注目の人物なんです」
田中は、微笑んだ。
「特に、働く女性からの関心が高い」
私は、記事をめくった。
そこには、法廷での写真が掲載されている。
スーツ姿で、証拠資料を提示している私。
冷静な表情。
でも——どこか強い意志を感じさせる。
「これらの取材、どうしましょうか?」
田中が、私を見た。
「すべて断る? それとも——」
「少し、考えさせてください」
私は、リストを見つめた。
メディアの注目。
それは——諸刃の剣だ。
うまく使えば、会社のイメージ向上に繋がる。
でも、失敗すれば——炎上する。
一周目の、あの悪夢のように。
「田中さん」
「はい」
「信頼できる記者は、いますか?」
「信頼できる——」
田中は、少し考えた。
「鏑木さんなら」
「鏑木さん——」
私は、その名前に安心した。
彼なら、真実を報道してくれる。
「では、鏑木さんにだけ、インタビューを受けます」
「わかりました。他の取材は?」
「丁重にお断りしてください」
その日の午後、私は鏑木と会っていた。
会社近くのカフェ。
静かな個室で、彼はノートを開いていた。
「水瀬さん、改めてお時間をいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ」
私は、コーヒーを飲んだ。
「いつも、真実を報道してくださって」
「それが、ジャーナリストの仕事ですから」
鏑木は、ペンを構えた。
「それで——今日は何を?」
「実は、相談があります」
私は、周囲を確認してから声を落とした。
「他の記者たちが——私を追い始めているんです」
鏑木の表情が、変わった。
「追う?」
「取材依頼が殺到しています。でも——」
私は、不安を口にした。
「何を聞かれるのか、わからなくて」
鏑木は、ため息をついた。
「おそらく——プライベートなことです」
「プライベート?」
「あなたの恋愛関係、家族のこと、過去のこと——」
鏑木は、申し訳なさそうに言った。
「ビジネスの話だけでは、記事が売れません。読者が求めているのは——」
「人間的な部分、ですか」
「そうです」
鏑木は、ノートを置いた。
「特に——柊弁護士との関係について、噂が広がっています」
私の心臓が、跳ねた。
「柊さんとの——関係?」
「法廷でも、記者会見でも、常に一緒にいましたから」
鏑木は、スマホを取り出した。
「SNSでも、話題になっています」
画面には、投稿が表示されていた。
『水瀬莉央と柊弁護士、いい感じじゃない?』
『あの二人、お似合い』
『ビジネスパートナー以上の関係?』
私は、画面から目を逸らした。
「これは——誤解です」
「誤解——ですか?」
鏑木は、私を見た。
その目には、ジャーナリストとしての鋭さがあった。
「本当に?」
「……」
私は、答えられなかった。
誤解——と言い切れるだろうか。
柊さんとの関係は、確かにビジネスパートナー。
でも——。
最近、彼と話すとき、心臓が早く鼓動する。
彼の微笑みを見ると、胸が温かくなる。
それは——。
「水瀬さん」
鏑木の声で、我に返った。
「はい」
「私からのアドバイスです」
鏑木は、真剣な顔で言った。
「もし、他の記者から恋愛について聞かれたら——曖昧にしないでください」
「曖昧にしない?」
「はっきりと答える。『今は仕事に集中している』『プライベートなことは話せない』——どちらでもいいです」
鏑木は、前に身を乗り出した。
「中途半端な答えは、憶測を呼びます。そして、憶測は——」
「記事になる」
「その通りです」
私は、頷いた。
「わかりました」
カフェを出た後、私は一人で歩いていた。
柊さんとの関係——。
それについて、考えたくなかった。
いや、考えるのが——怖かった。
今、私には仕事がある。
黒崎との戦い。
株主の説得。
会社の未来。
恋愛なんて——考えている暇はない。
でも——。
スマホが震えた。
柊からのメッセージだった。
『今夜、時間あるか? 株主リストが完成した。一緒に確認したい』
私は、画面を見つめた。
彼の言葉は、いつも簡潔で、的確。
仕事のパートナーとして、完璧だ。
でも——それだけだろうか。
返信する。
『はい。何時にしましょうか?』
すぐに返事が来た。
『七時に、事務所で。夕食も用意しておく』
夕食——。
私の胸が、また温かくなった。
仕事の打ち合わせなのに。
夕食を用意してくれるなんて。
『ありがとうございます。伺います』
送信後、私は深呼吸した。
落ち着け。
これは、仕事だ。
ただの——仕事。
午後七時。
私は、柊のオフィスにいた。
デスクには、株主リストと——サンドイッチとサラダが並んでいた。
「簡単なものだが」
柊は、少し照れくさそうに言った。
「コンビニで買ってきた」
「ありがとうございます」
私は、微笑んだ。
「でも、お気遣いなく」
「気遣いじゃない」
柊は、椅子に座った。
「君が、ちゃんと食事を取っているか心配だっただけだ」
その言葉に、私の胸が熱くなった。
心配——してくれている。
「では、いただきます」
私たちは、サンドイッチを食べながら、株主リストを確認した。
「大口株主は、五人」
柊は、リストを指した。
「まず、佐伯商事——すでに味方だ」
「はい」
「次に、三菱系の機関投資家——こちらは中立」
「説得が必要ですね」
「ああ。そして——」
柊は、三番目の名前を指した。
「東和ホールディングス。こちらは——」
「問題ありそうですね」
「なぜそう思う?」
「名前を見たことがあります」
私は、記憶を辿った。
「確か——桐生グループと取引があった」
柊は、驚いた顔をした。
「よく覚えているな」
「一周目で——」
私は、慌てて口を止めた。
危ない。
「一周目?」
「いえ、一度見たら忘れない性格なので」
誤魔化した。
柊は、少し不思議そうな顔をしたが、追及しなかった。
「ともかく、東和ホールディングスは警戒が必要だ」
「彼らが、黒崎側につく可能性がある」
「そうだ」
柊は、別の資料を取り出した。
「そして——最も問題なのが、この二人」
画面には、二つの名前が表示されていた。
『神谷グループ 代表:神谷誠一郎』
『西日本投資 代表:池田隆』
「この二人は?」
「どちらも、過去にグローバル・キャピタルと取引がある」
柊の声は、低かった。
「つまり——黒崎の息がかかっている可能性が高い」
私は、リストを見つめた。
五人の大口株主。
そのうち、味方は一人。
中立が一人。
敵が——三人。
「厳しいですね」
「ああ。だから——」
柊は、私を見た。
「君が、直接説得する必要がある」
「私が?」
「そうだ。社長令嬢として——いや」
柊は、微笑んだ。
「交渉人として」
私は、頷いた。
「わかりました。やってみます」
「その意気だ」
柊は、コーヒーを飲んだ。
「明日、まず中立の機関投資家から接触しよう」
その後、私たちは仕事の話を続けた。
でも——時折、会話が途切れる。
そんな時、柊が私を見ている。
私も、柊を見ている。
そして——お互い、慌てて目を逸らす。
この空気は、何だろう。
仕事の打ち合わせなのに。
なぜか——居心地がいい。
「水瀬さん」
「はい」
「最近、疲れているんじゃないか?」
柊の声は、優しかった。
「取締役就任、黒崎との対峙、メディアの注目——一度に色々起こりすぎた」
「大丈夫です」
「本当に?」
柊は、私の目を見た。
「無理をしていないか?」
その眼差しに、私の胸が締め付けられた。
心配してくれている。
本当に——心配してくれている。
「少しだけ——疲れているかもしれません」
私は、正直に答えた。
「でも、立ち止まれない」
「なぜ?」
「守らなければならないものが、たくさんあるから」
私は、窓の外を見た。
「会社。従業員。家族——」
そして——あなた。
最後の言葉は、声にならなかった。
「水瀬さん」
「はい」
「一人で抱え込まないでくれ」
柊は、私の手に触れた。
温かい感触。
「俺がいる。本間もいる。鏑木もいる」
「……」
「君は、一人じゃない」
その言葉に、涙が出そうになった。
一周目では——私は、一人だった。
誰も信じられなくて。
誰も頼れなくて。
でも今は——違う。
「ありがとうございます」
私は、微笑んだ。
「柊さんがいてくれて——本当に、良かった」
柊も、微笑んだ。
「俺も、君と出会えて良かった」
その言葉の意味を、深く考える前に。
柊は、資料をまとめ始めた。
「さて、今日はこのくらいにしよう」
「はい」
私は、立ち上がった。
「お世話になりました」
「また明日」
オフィスを出る時、振り返った。
柊は、窓の外を見ている。
その背中が——なぜか、寂しそうに見えた。
帰りのタクシーの中で、私はスマホを見た。
SNSには、相変わらず私に関する投稿がある。
『水瀬莉央、最近メディアに出てる』
『柊弁護士との関係、気になる』
『仕事人間っぽいけど、恋愛してるのかな』
恋愛——。
私は、画面を閉じた。
今は、仕事に集中したい。
黒崎との戦い。
株主の説得。
会社の未来。
でも——心のどこかで。
柊さんのことを、考えている。
彼の優しさ。
彼の強さ。
彼の——微笑み。
タクシーが、自宅に到着した。
「ありがとうございました」
部屋に戻り、ベッドに横たわった。
天井を見つめながら、今日の出来事を振り返る。
記者たちが、私を追い始めている。
私生活まで——探ろうとしている。
でも——それは、怖くない。
なぜなら——。
私には、守ってくれる人がいるから。
味方がいるから。
そして——。
スマホが震えた。
柊からのメッセージだった。
『無事に帰れたか? 気をつけて休んでくれ』
私は、微笑んだ。
返信する。
『はい。ありがとうございます。柊さんもお疲れさまでした』
送信後、私は胸に手を当てた。
心臓が、まだ早く鼓動している。
これは——。
恋、なのだろうか。
でも——今は、考えない。
今は、仕事に集中する。
恋愛は——すべてが落ち着いてから。
私は、目を閉じた。
明日からも、戦いは続く。
記者たちの注目。
黒崎の脅威。
株主の説得。
でも——私は、一人じゃない。
だから——大丈夫。
「記者たちが私を追い始める」
私は、小さく呟いた。
「でも、私には——味方がいる」




