第17話「昨日の味方は今日の敵」
桐生蓮との法廷闘争に完全勝利してから、二週間が過ぎた。
私は、水瀬コーポレーションの会議室にいた。
テーブルを囲むのは、父と主要部署の部長たち。
製造部長の山田、営業部長の田中、そして——財務部長の吉田。
父が、口を開いた。
「本日は、重要な議題がある」
全員が、父を見た。
「莉央を、取締役に任命したい」
会議室が、静まり返った。
山田部長が、眉をひそめた。
「社長、それは——」
「何か問題があるか?」
父の声は、穏やかだが有無を言わせぬ迫力があった。
「いえ、問題というわけではありませんが——」
山田は、私を見た。
「水瀬さんは、まだお若い。経営の経験も——」
「経験は、これから積む」
私は、静かに言った。
「確かに、私には経営の実績はありません。でも——」
私は、全員を見渡した。
「この会社を守りたい。従業員の皆さんを守りたい。そのために、学ぶ覚悟はあります」
田中部長が、頷いた。
「私は、賛成です」
「田中——」
山田が、驚いた顔をした。
「水瀬さんは、桐生グループとの戦いで会社を守ってくれました」
田中は、私を見た。
「あの時、もし水瀬さんがいなければ、私たちの会社は買収されていたかもしれません」
営業部長の言葉に、何人かが頷いた。
でも——財務部長の吉田は、黙っていた。
ただ、じっと私を見つめている。
その目に、何か——冷たいものを感じた。
「山田部長」
父が、山田を見た。
「お前の懸念はわかる。だが、莉央には可能性がある」
「……わかりました」
山田は、ため息をついた。
「ただし、条件があります」
「条件?」
「水瀬さんには、まず各部署を回っていただきたい」
山田は、私を見た。
「製造、営業、財務、すべての現場を経験してから、経営に参加していただく」
私は、頷いた。
「もちろんです」
「それなら、賛成します」
山田は、父に向かって頭を下げた。
「吉田部長は?」
父が、財務部長を見た。
吉田は、少し考えてから答えた。
「私も、賛成です」
でも——その声には、どこか棘があった。
会議が終わった後、私は廊下を歩いていた。
その時、背後から声をかけられた。
「水瀬さん」
振り返ると、山田部長が立っていた。
「お疲れさまです」
「少し、お時間よろしいですか?」
山田の表情は、会議室とは違って——深刻だった。
「はい」
私たちは、誰もいない応接室に入った。
山田は、ドアを閉めてから口を開いた。
「実は——お伝えしたいことがあります」
「何でしょうか?」
「吉田部長のことです」
私の心臓が、一瞬止まった。
「吉田部長が——どうかしましたか?」
山田は、声を落とした。
「彼が、桐生グループと接触していました」
「接触?」
「会社の機密情報を、流していた可能性があります」
私は、息を呑んだ。
一周目では——この事実に、気づかなかった。
いや、気づけなかった。
すべてが崩壊した後だったから。
「証拠は?」
「確実なものはありません。ただ——」
山田は、スマホを取り出した。
「これを見てください」
画面には、レストランでの写真が映っていた。
吉田部長と——見知らぬ男性。
「この男性は?」
「桐生グループの経理担当です」
私は、写真を見つめた。
「これだけでは、証拠にはなりません」
「わかっています。だから、会議では何も言いませんでした」
山田は、スマホをしまった。
「でも、水瀬さんには知っておいていただきたかった」
「なぜ、私に?」
「あなたが、取締役になるからです」
山田は、真剣な目で私を見た。
「会社には、敵がいます。外部だけではなく、内部にも」
「……」
「気をつけてください」
その日の夕方、私は柊弁護士のオフィスにいた。
「吉田財務部長が、内通者の可能性?」
柊は、私が持ってきた写真を見ていた。
「はい。山田部長が教えてくれました」
「山田という人物は、信用できるのか?」
「できると思います。彼は、最初は私の取締役就任に反対していました」
私は、コーヒーを飲んだ。
「でも、条件付きで賛成してくれた。そして、この情報をくれた」
「なるほど」
柊は、ノートパソコンを開いた。
「吉田財務部長について、調べてみよう」
キーボードを叩く音が、静かに響く。
数分後、柊が顔を上げた。
「興味深い情報が出てきた」
「何ですか?」
「吉田の銀行口座に、三ヶ月前、三千万円の入金があった」
私は、驚いた。
「三千万円?」
「送金元は——ペーパーカンパニーだが、辿っていくと桐生グループに繋がっている」
柊は、画面を私に見せた。
「これは——」
「買収されていた、ということだ」
私は、画面を見つめた。
三千万円。
それだけの金で、会社の機密情報が売られていた。
「どうする?」
柊が、私を見た。
「すぐに解雇するか?」
私は、少し考えた。
一周目なら——感情的になって、すぐに解雇していただろう。
でも、今は違う。
「いえ」
「いえ?」
「泳がせます」
柊は、意外そうな顔をした。
「泳がせる?」
「吉田は、まだ自分が疑われていることに気づいていません」
私は、柊を見た。
「なら——逆に利用できます」
「利用?」
「偽の情報を流すんです。吉田を通じて」
柊は、少し考えてから頷いた。
「なるほど。吉田に偽情報を掴ませ、それが桐生側に流れるのを確認する」
「はい。そうすれば——」
「桐生側が、その情報を元に動く。そして、失敗する」
柊は、微笑んだ。
「君、本当に成長したな」
「成長——ですか?」
「ああ。一ヶ月前の君なら、こんな冷静な判断はできなかっただろう」
柊は、コーヒーを飲んだ。
「感情ではなく、戦略で動けるようになった」
私は、少し複雑な気持ちだった。
それは、褒め言葉なのだろうか。
それとも——私が、冷たくなったということなのだろうか。
「ただし」
柊が、真剣な顔で言った。
「吉田の監視は続ける。証拠を固めた上で、最終的には解雇する」
「わかりました」
「それと——」
柊は、別の資料を取り出した。
「新しい敵について」
「新しい敵?」
「グローバル・キャピタルという投資会社だ」
私は、資料を受け取った。
表紙には、『グローバル・キャピタル 企業分析報告書』と書かれている。
「この会社が——何か?」
「君の会社に、興味を持っている」
柊の声は、低かった。
「買収の動きが、すでに始まっている」
私は、資料を開いた。
そこには——。
『水瀬コーポレーション 買収可能性:高』
私の手が、震えた。
桐生との戦いは、終わった。
でも——新しい戦いが、もう始まっていた。
「代表は、黒崎という男だ」
柊は、別のページを指した。
そこには、男性の写真があった。
50代前半。
鋭い目つき。
冷酷そうな表情。
「この男は、敵対的買収を得意としている」
「敵対的買収——」
「ああ。経営陣の同意なしに、株を買い占めて会社を乗っ取る」
柊は、私を見た。
「桐生蓮とは、違うタイプの敵だ」
「どう違うんですか?」
「桐生は、感情で動いた。だから、隙があった」
柊は、黒崎の写真を指した。
「でも、この男は違う。完全に計算で動く」
私は、写真を見つめた。
黒崎——。
この男が、次の敵。
「準備が必要だ」
柊が、立ち上がった。
「黒崎が動き出す前に、対策を立てる」
「はい」
私も、立ち上がった。
でも——心の中では、不安が渦巻いていた。
桐生との戦いで、私は勝った。
でも、それは——二周目だったから。
すべてを知っていたから。
でも今回は——。
私は、何も知らない。
黒崎が、いつ、どう動くのか。
一周目の記憶は、ここまでだった。
つまり——ここからは、未知の領域。
その夜、私は自宅で一人考えていた。
ノートを開き、リストを書く。
【現在の状況】
味方:
父(水瀬隆一郎)
柊弁護士
本間(元秘書)
鏑木
山田部長
田中部長
敵:
吉田部長(内通者)
黒崎
不明:
他の従業員の忠誠心
株主の動向
黒崎の具体的な計画
リストを見つめながら、私は深呼吸した。
昨日の味方が、今日の敵になる。
それは——企業の世界では、当たり前のことなのだろう。
でも、それでも——。
私は、戦わなければならない。
この会社を守るために。
従業員たちを守るために。
そして——自分の未来を守るために。
スマホが震えた。
父からのメッセージだった。
『莉央、よくやった。明日から、各部署での研修を始めてくれ。まずは製造部からだ』
私は、返信した。
『わかりました。頑張ります』
送信後、窓の外を見た。
夜空には、星が輝いている。
でも——その美しさの裏に、何が隠れているのか。
私には、もうわからない。
二周目の記憶は、ここまで。
ここからは——本当の、未知の戦い。
でも——私は、もう一人じゃない。
味方がいる。
経験がある。
そして——覚悟がある。
「昨日の味方は、今日の敵」
私は、ノートを閉じた。
「なら、今日の敵を——明日の味方にすればいい」
吉田を利用する。
黒崎を出し抜く。
そして——勝つ。
私の戦いは、まだ終わっていない。
むしろ——今から、本当の戦いが始まる。




