第16話「法廷での最終決戦」
法廷の日が、やってきた。
午前十時。
私は、東京地方裁判所の前に立っていた。
灰色の建物が、威圧的にそびえている。
隣には、柊弁護士と宮本弁護士。
そして、父も付き添ってくれていた。
「莉央、準備はいいか?」
柊が、私の顔を見た。
「はい」
私は、鞄を握りしめた。
中には、すべての証拠が入っている。
USBメモリ、録音データ、写真、資料。
すべて、この日のために準備してきたもの。
「なら、行こう」
私たちは、建物の中に入った。
廊下を歩き、法廷の前に到着する。
ドアの前には、すでに傍聴人が並んでいた。
その中に——鏑木の姿もあった。
彼は私を見つけると、親指を立てた。
私も、小さく頷いた。
ドアが開き、法廷の中に入る。
原告側——桐生蓮と、その弁護団が座っていた。
桐生は、紺のスーツを着ている。
表情は、固い。
彼の隣には、滝川弁護士。
そして、他に三人の弁護士が控えている。
大手法律事務所の弁護士たちだ。
私たちは、被告側の席に座った。
法廷は、静まり返っている。
午前十時三十分。
裁判長が入廷した。
「それでは、第一回口頭弁論を開廷します」
裁判長の声が、法廷に響く。
「原告側、訴状の内容を陳述してください」
滝川弁護士が、立ち上がった。
「はい。原告・桐生蓮は、被告・水瀬莉央による名誉毀損行為により、多大な損害を被りました」
滝川は、資料を読み上げた。
「被告は、記者会見という公の場で、原告に関する虚偽の情報を流布しました。具体的には——」
彼は、指を折った。
「一、原告が計画的に被告を陥れようとしたという虚偽。二、原告が週刊誌と癒着していたという虚偽。三、原告が不正会計に関与していたという虚偽」
滝川は、裁判長を見た。
「これらの発言により、原告の社会的信用は著しく失墜し、企業としても甚大な被害を受けました。よって、損害賠償五億円を請求します」
裁判長は、頷いた。
「被告側、反論をどうぞ」
柊弁護士が、立ち上がった。
「被告側は、原告の主張をすべて否認します」
柊の声は、低く、力強かった。
「被告が記者会見で述べたことは、すべて事実です。虚偽は一切ありません」
柊は、資料を取り出した。
「そして、本日——それを証明する証拠を、提出いたします」
裁判長は、眉を上げた。
「証拠とは?」
「まず、証拠一号。原告から被告に送られたメールです」
柊は、USBメモリを提出した。
書記官がそれを受け取り、パソコンに接続する。
法廷のモニターに、メールが表示された。
桐生から取引先へ送られたメール。
『水瀬との契約は、記者会見後に見直す予定です』
傍聴席が、ざわついた。
桐生の表情が、こわばった。
柊は、続けた。
「これは、原告が記者会見の一週間前に送ったメールです。つまり、婚約破棄は計画的だったことの証拠です」
滝川が、立ち上がった。
「異議あり。このメールが本物である保証はありません」
裁判長が、柊を見た。
「真正性は?」
「第三者機関による検証済みです。ヘッダー情報、送信サーバーの記録、すべて確認されています」
柊は、検証報告書を提出した。
裁判長は、それを確認し、頷いた。
「証拠として、採用します」
滝川は、苦々しい顔で座った。
柊は、次の証拠を提示した。
「次に、証拠二号。週刊誌記者・南條と、原告とのメールのやり取りです」
モニターが、切り替わった。
南條から桐生へのメール。
『水瀬莉央に関する情報、引き続きお願いします』
そして、桐生からの返信。
『了解しました。秘書の本間から、追加情報を提供します』
傍聴席が、再びざわついた。
裁判長が、桐生を見た。
「原告、このメールについて、何か言うことは?」
桐生は、立ち上がった。
その顔は、青白かった。
「それは……私の意図とは違う形で——」
「意図とは違う?」
柊が、割り込んだ。
「では、どういう意図だったのですか? 週刊誌に情報を流し、被告を『感情的な女性』として報道させる——これが、意図と違うと?」
桐生は、何も言えなくなった。
柊は、さらに証拠を提示した。
「証拠三号。原告の顧問弁護士・滝川による、被告への脅迫の録音です」
法廷に、音声が流れた。
滝川の声。
『今ならまだ間に合います。昨日の発言を撤回し、公に謝罪する。そうすれば、訴訟は取り下げます』
傍聴席が、どよめいた。
裁判長が、滝川を見た。
「滝川弁護士、この録音について、説明を」
滝川は、立ち上がった。
その額には、汗が浮かんでいた。
「これは……法的なアドバイスとして——」
「脅迫ではないと?」
宮本弁護士が、立ち上がった。
「裁判長、公益通報者保護法により、真実を語った者に対して訴訟をちらつかせることは、明確な脅迫行為です」
裁判長は、頷いた。
「その通りです。滝川弁護士、この行為は弁護士倫理にも反します」
滝川は、座り込んだ。
もう、反論できない。
柊は、最後の証拠を提示した。
「そして、証拠四号。原告の不正会計に関する、内部告発者の証言です」
モニターに、加藤の証言が表示された。
文字起こしされた内容が、スクロールしていく。
『桐生グループの売上水増しは、桐生蓮の指示でした』
『架空取引を計上し、株主に虚偽の報告をしていました』
『私が内部通報しても、桐生蓮の指示で揉み消されました』
法廷が、静まり返った。
裁判長は、桐生を見た。
「原告、これらの証拠について、反論はありますか?」
桐生は、立ち上がろうとした。
でも、足が震えていた。
彼は、何も言えなかった。
裁判長は、深くため息をついた。
「原告側、反論がないようなので——」
「待ってください」
私は、立ち上がった。
法廷の視線が、私に集まる。
柊が、驚いた顔で私を見た。
「莉央、何を——」
「裁判長、被告である私からも、一言よろしいでしょうか」
裁判長は、少し考えた。
そして、頷いた。
「どうぞ」
私は、深呼吸した。
そして、桐生を見た。
「桐生さん、あなたは私を名誉毀損で訴えました。でも——」
私は、鞄から一枚の写真を取り出した。
それを、裁判長に提出する。
書記官がそれをスキャンし、モニターに表示した。
桐生と、相楽美咲が手をつないでいる写真。
傍聴席が、騒然とした。
私は、続けた。
「これは、私との婚約が発表された直後の写真です。桐生さんは、婚約中に別の女性と交際していました」
私は、桐生を見た。
「あなたは、私が『企業間の信頼関係を損なう行為をした』と主張しました。でも——不誠実だったのは、どちらですか?」
桐生は、もう何も言えなかった。
ただ、その場に立ち尽くしているだけ。
裁判長は、資料を見渡した。
そして、言った。
「原告側、反論がないようです。本件については——」
裁判長は、ゆっくりと言葉を続けた。
「被告の主張を、全面的に認めます」
法廷が、どよめいた。
「原告の訴えは、棄却します。そして——」
裁判長は、桐生を見た。
「原告・桐生蓮による一連の行為は、悪質な名誉毀損未遂、及び恫喝行為と認定します」
ガベルが、打ち下ろされた。
「閉廷します」
法廷を出た後、私は廊下で立ち止まった。
勝った。
完全に、勝った。
柊が、私の肩に手を置いた。
「莉央……お前、最後の写真——あれは、計算していたのか?」
「はい」
私は、頷いた。
「法廷で出すのが、最も効果的だと思ったので」
宮本も、笑った。
「完璧でした。あれで、完全にトドメを刺しましたね」
父が、私を抱きしめた。
「莉央……よくやった」
「お父さん……」
私は、父の胸で目を閉じた。
鏑木が、廊下を駆けてきた。
「水瀬さん! 完全勝訴ですね!」
「はい」
私は、微笑んだ。
「これで、本当に終わりました」
鏑木は、カメラを構えた。
「一枚、撮らせてください。勝利の瞬間を」
私は、カメラの前で微笑んだ。
でも、その笑顔は——疲れも、少しだけ滲んでいたかもしれない。
長い戦いが、終わった。
一周目では、敗北した戦い。
でも二周目では——完全勝利で、終わった。




