第15話「届いた訴状」
訴状が届いたのは、予告通り翌日だった。
私は会社の会議室で、柊と宮本の二人の弁護士と共に、その内容を確認していた。
訴状には、こう書かれていた。
『被告・水瀬莉央は、原告・桐生蓮の名誉を著しく毀損し、虚偽の事実を公にした。これにより、原告は社会的信用を失い、多大な損害を被った。よって、損害賠償五億円を請求する』
宮本が、訴状を置いた。
「……典型的なスラップ訴訟ですね」
「スラップ?」
私が尋ねると、宮本は頷いた。
「Strategic Lawsuit Against Public Participation。日本語では『恫喝訴訟』と呼ばれます」
柊が、補足した。
「つまり、本気で勝つつもりじゃない。訴訟を起こすことで相手を黙らせ、金銭的・精神的に追い詰めるのが目的だ」
私は、訴状を見つめた。
「でも、桐生は——本気かもしれません」
「なぜそう思う?」
「五億円という金額。これは、本気で勝つつもりじゃなければ請求しない額です」
宮本は、腕を組んだ。
「確かに……桐生側は、何か切り札があると考えているのかもしれません」
「切り札?」
「例えば、水瀬さんが証拠を違法に入手したという主張。あるいは、証拠そのものが捏造だという反論」
私は、少し考えた。
一周目では、ここまで進まなかった。
記者会見で終わってしまった。
だから、桐生が法廷で何をしてくるのか——正確には、わからない。
でも——。
「大丈夫です」
私は、二人を見た。
「どんな反論が来ても、対応できます」
柊が、鋭い目で私を見た。
「莉央、お前——まだ何か隠してるな?」
「隠してるわけじゃないです。ただ、準備してるだけ」
「何を?」
私は、鞄からUSBメモリを取り出した。
テーブルの中央に置く。
「この中に、すべてが入っています」
宮本が、USBを手に取った。
「これは?」
「加藤さんの証言録音。桐生グループの不正会計資料。そして——」
私は、スマホを取り出した。
画面を操作し、ある写真を表示する。
桐生と相楽美咲の写真。
二人が手をつないで、ホテルに入っていく写真。
柊の目が、見開かれた。
「これは……」
「桐生の浮気写真です。日付は、私との婚約が発表された直後」
宮本は、写真を凝視した。
「この女性は?」
「桐生グループの広報担当、相楽美咲。二十六歳」
私は、画面をスクロールした。
次の写真、その次の写真。
すべて、桐生と相楽の親密な様子を捉えている。
「これらの写真、いつから持っていたんですか?」
宮本が尋ねた。
「記者会見の前から」
「なぜ、今まで出さなかったんですか?」
私は、スマホを閉じた。
「タイミングです」
「タイミング?」
「はい。記者会見では、桐生の計画的な陰謀を暴くことが目的でした。浮気は、それとは別の問題」
私は、二人を見た。
「でも、法廷では——これが、決定打になります」
柊が、腕を組んだ。
「どういうことだ?」
「桐生は、私が『企業間の信頼関係を損なう行為をした』と主張していました。でも実際は——」
私は、写真を再び表示した。
「婚約者として不誠実だったのは、桐生の方です。この写真が証明しています」
宮本は、納得したように頷いた。
「なるほど……婚約破棄の正当性を争う場合、どちらに非があったかが重要になる」
「そうです。桐生が私を訴えるということは——法廷で、婚約破棄の理由を再度争うことになる」
私は、微笑んだ。
「そして、その時にこの写真を出せば——桐生の主張は、完全に崩れます」
柊は、深く息を吐いた。
「莉央……お前、最初からこれを計算していたのか?」
「はい」
私は、USBメモリとスマホをテーブルに並べた。
「記者会見、脅迫の録音、不正会計の証言、浮気写真——すべては、この法廷のためです」
二人の弁護士は、黙って私を見つめた。
そして、柊が小さく笑った。
「……お前、本当に恐ろしい女だな」
「恐ろしい?」
「褒めてるんだ」
柊は、立ち上がった。
「こんなに完璧に準備された依頼人、初めてだ」
宮本も、笑った。
「同感です。正直、私が何をすればいいのかわからないくらい」
私は、少し照れくさくなった。
「いえ、お二人がいてくれるから、安心して準備できました」
柊が、私の肩に手を置いた。
「莉央、法廷は来月だ。それまで、油断するな」
「はい」
「桐生側も、必ず何か仕掛けてくる。それに対応する準備も——」
「もう、してあります」
私は、ノートパソコンを開いた。
画面には、想定問答集が表示されている。
【桐生側の想定される主張と反論】
主張1:証拠が違法に入手された 反論:すべて正当な手段で入手。メールは自分宛のもの、録音は脅迫の証拠として必要
主張2:証拠が捏造である 反論:第三者機関による検証済み。メールのヘッダー情報、録音の音声分析、すべて本物
主張3:水瀬側が計画的に陥れた 反論:陥れたのは桐生側。時系列で証明可能
主張4:婚約破棄は正当だった 反論:浮気写真を提示。不誠実だったのは桐生側
柊と宮本は、画面を見て顔を見合わせた。
「……完璧だな」
「ええ、まったく」
私は、画面を閉じた。
「すべては、会見当日のために準備しました。そして——すべては、この法廷のために」
宮本が、尋ねた。
「水瀬さん、一つ聞いてもいいですか?」
「はい」
「あなたは——なぜ、ここまで完璧に準備できるんですか?」
私は、少し躊躇した。
本当のことは、言えない。
二周目だなんて。
でも——。
「……経験です」
「経験?」
「以前、準備が足りなくて失敗したことがあります。だから、今回は——絶対に、失敗しないように」
宮本は、深く頷いた。
「なるほど……だから、これほど慎重に」
柊が、訴状を鞄にしまった。
「なら、こちらも全力で応えよう。来月の法廷——完全勝利を目指す」
「お願いします」
会議が終わった後、私は会社の屋上に出た。
夕日が、ビル群の間に沈んでいく。
スマホを取り出し、カレンダーを確認する。
法廷は、四週間後。
長いようで、短い。
私は、これまでの道のりを思い返した。
一周目の記者会見。
あの屈辱。
あの絶望。
そして——二周目。
証拠を集め、味方を作り、計画を立てた。
すべては、この法廷のために。
スマホが震えた。
メッセージ——鏑木からだった。
『水瀬さん、訴訟の件、記事にしてもいいですか?』
私は、返信した。
『もちろんです。ただし、タイトルは「桐生蓮、五億円の恫喝訴訟」でお願いします』
すぐに返信が来た。
『了解です。明日の朝刊に載せます』
私は、画面を閉じた。
世論も、味方につける。
証拠も、完璧に揃える。
弁護士も、最高のメンバー。
もう、負ける要素はない。
でも——油断はしない。
一周目で学んだ。
油断した瞬間、すべてが崩れると。
「すべては、会見当日のために」
私は、夕日を見つめながら呟いた。
いや——正確には。
「すべては、この法廷のために」
来月の法廷。
そこが、最後の戦場。
そして——私の、完全勝利の舞台。




