第14話「逃げ場のない男を用意する」
宮本が独立を決めた翌日。
私は、とある喫茶店にいた。
窓際の席で、コーヒーを飲みながら誰かを待っている。
時刻は、午後三時。
ドアのベルが鳴り、一人の男性が入ってきた。
三十代前半。スーツ姿だが、どこか疲れた表情。
彼は、店内を見回し、私を見つけると近づいてきた。
「水瀬さん……ですか?」
「はい。座ってください」
男性は、向かいの席に座った。
彼の名前は——加藤。
桐生グループの経理部に勤める、中堅社員だ。
私は、コーヒーを彼にも注文してから、口を開いた。
「お時間をいただき、ありがとうございます」
「いえ……でも、なぜ私なんですか?」
加藤は、不安そうな顔をしていた。
私は、タブレットを取り出した。
画面を操作し、ある資料を表示する。
「加藤さん、あなたは桐生グループの経理部で働いています。そして——この不正会計に、気づいているはずです」
画面には、桐生グループの財務資料が表示されていた。
加藤の顔色が、変わった。
「これ……どこで手に入れたんですか?」
「それは言えません。でも、本物です。そして、あなたもこれが本物だとわかっているはずです」
私は、彼の目を見た。
「桐生グループは、売上を水増ししている。架空の取引を計上し、株主に虚偽の報告をしている」
加藤は、何も言わなかった。
でも、その沈黙が——肯定だった。
私は、続けた。
「加藤さん、あなたは経理担当として、この不正に気づいていた。でも、上司に報告しても揉み消された」
「……なぜ、それを」
「調べました」
私は、別の資料を表示した。
「あなたが三ヶ月前、内部通報窓口に匿名で通報した記録。でも、それは桐生蓮の指示で無視された」
加藤は、テーブルに手をついた。
その手は、震えていた。
「水瀬さん……あなたは、何者なんですか?」
「ただの社長令嬢です」
私は、タブレットを閉じた。
「でも、真実を知りたいと思っている」
加藤は、深く息を吐いた。
「真実……ですか」
「はい。そして、あなたにも——真実を語ってほしい」
加藤は、私を見た。
その目には、恐怖と——少しだけ、希望が見えた。
「もし、私が証言したら……私は、クビになります」
「なりません」
「え?」
「加藤さん、あなたは内部通報者です。公益通報者保護法により、あなたを解雇することはできません」
私は、資料を彼の前に置いた。
「それに、もし桐生グループが不当な扱いをするなら——私が、あなたを雇います」
加藤の目が、見開かれた。
「雇う……?」
「はい。水瀬コーポレーションの経理部に。給与は、今より二割増しで」
加藤は、言葉を失っていた。
私は、続けた。
「加藤さん、あなたは正しいことをしようとした。でも、潰された。それは、理不尽です」
私は、彼の目を見た。
「だから、もう一度チャンスをあげたい。正しいことを、最後まで貫くチャンス」
加藤は、震える手でコーヒーカップを持った。
一口飲んで、深呼吸した。
「水瀬さん……もし、私が証言したら——桐生グループは、終わります」
「それが、真実なら」
「真実です」
加藤は、はっきりと言った。
「桐生グループの不正会計は、数年前から続いています。売上の水増し、架空取引、裏金の作成——すべて、桐生蓮の指示です」
私は、レコーダーを取り出した。
「録音してもいいですか?」
加藤は、少し躊躇した。
そして、頷いた。
「……いいです。もう、黙っていられない」
私は、レコーダーのスイッチを入れた。
「では、最初から聞かせてください」
一時間後。
加藤の証言は、すべて録音された。
桐生グループの不正会計の実態。
桐生蓮の関与。
そして——それを隠蔽するために、内部通報を揉み消していた事実。
すべてが、明らかになった。
加藤は、疲れた顔をしていた。
「これで……私は、もう後戻りできませんね」
「後戻りする必要はありません」
私は、レコーダーを鞄にしまった。
「加藤さん、あなたは正しいことをしました」
「でも……桐生グループを敵に回すことになる」
「大丈夫です」
私は、微笑んだ。
「桐生グループは、もうすぐ——逃げ場がなくなります」
加藤は、私を見た。
「逃げ場?」
「はい」
私は、スマホを取り出した。
画面には、いくつかのファイルが表示されている。
証拠の数々。
「記者会見での嘘。週刊誌との癒着。脅迫の録音。そして——今日の、不正会計の証言」
私は、ファイルを一つ一つ確認した。
「これらすべてを組み合わせれば、桐生蓮には——もう、逃げ場がありません」
加藤は、息を飲んだ。
「水瀬さん……あなたは、最初から——」
「はい」
私は、画面を閉じた。
「最初から、逃げ場のない状況を作るつもりでした」
その夜、私は自宅で作戦を整理していた。
デスクの上には、ノートパソコンとタブレット。
画面には、これまでに集めた証拠がすべて表示されている。
【証拠リスト】
記者会見での虚偽発言
週刊誌・南條との癒着メール
秘書・本間への脅迫(録音あり)
滝川弁護士による脅迫(録音あり)
不正会計の内部証言(加藤の証言)
浮気写真(未使用)
六つの証拠。
そのうち、五つは既に準備完了。
残るは、浮気写真だけ。
私は、タブレットを開いた。
画面には、桐生と相楽美咲が手をつないでいる写真が表示されている。
この写真は、まだ出していない。
なぜなら——タイミングが、すべてだから。
スマホが震えた。
メッセージ——柊からだった。
『莉央、明日、桐生側から正式な訴状が届く。名誉毀損で、損害賠償五億円を請求している』
私は、画面を見つめた。
五億円。
大金だ。
でも——。
私は、返信した。
『問題ありません。こちらも準備があります』
柊からの返信。
『お前、また何か隠してるな?』
私は、少し笑った。
『隠してるわけじゃないです。ただ、タイミングを待ってるだけ』
『タイミング?』
『はい。桐生が法廷に立つ時——そこが、最後の舞台です』
柊からの返信は、しばらく来なかった。
そして、一言。
『……お前、怖いくらいに冷静だな』
私は、画面を閉じた。
冷静。
そう、私は冷静だ。
なぜなら、一周目で失敗したから。
感情的になって、準備が足りなくて、すべてを失った。
でも今回は、違う。
今回は——完璧に、準備した。
私は、ノートパソコンを開いた。
新しいファイルを作成し、タイトルをつける。
【最終段階:法廷での決着】
そして、箇条書きで作戦を書き出す。
1. 桐生の訴訟を受ける
法廷に引きずり出す
公の場で、すべての証拠を提示
2. 不正会計を暴露
加藤の証言を提出
桐生グループの株価、完全崩壊
3. 浮気写真を公開
最後の一撃
桐生蓮、社会的に完全終了
4. 勝訴
逃げ場なし
リストを見つめながら、私は深呼吸した。
もうすぐだ。
もうすぐ、すべてが終わる。
桐生蓮。
あなたは、自分で逃げ場のない状況を作った。
訴訟を起こすことで、法廷という舞台に自ら上がった。
そして、そこが——あなたの最後の場所になる。
「逃げ場のない男を、用意する」
私は、小さく呟いた。
いや——もう、用意できている。
あとは——幕が上がるのを、待つだけ。




