第13話「弁護士を味方につけるという選択」
佐伯との交渉から三日後。
私は、都内の法律事務所にいた。
柊弁護士の事務所ではない。
ここは——桐生グループの顧問弁護士、滝川が所属する大手法律事務所だった。
受付で名前を告げると、若い女性スタッフが驚いた顔をした。
「水瀬莉央様……ですか?」
「はい」
「少々お待ちください」
彼女は、慌てて内線電話をかけた。
数分後、一人の男性が現れた。
三十代半ば、知的な雰囲気を纏った弁護士。
滝川ではない。
「水瀬さん、初めまして。弁護士の宮本と申します」
彼は、丁寧に名刺を差し出した。
私も、名刺を渡した。
「宮本さん、お時間をいただきありがとうございます」
「いえ……正直、驚きました。まさか、あなたがこちらに来られるとは」
宮本は、会議室に案内してくれた。
ドアが閉まると、彼は私の向かいに座った。
「で、ご用件は?」
私は、鞄から書類を取り出した。
「単刀直入に伺います。宮本さん、滝川弁護士とは——どういう関係ですか?」
宮本の表情が、わずかに変わった。
「……同じ事務所に所属している、同僚ですが」
「では、滝川さんが桐生グループの顧問弁護士として、違法な活動をしていることは——ご存知ですか?」
宮本の目が、鋭くなった。
「違法な活動、とは?」
私は、書類を彼の前に置いた。
「これは、滝川さんが私を脅迫した際の録音データの文字起こしです」
宮本は、書類を手に取った。
目を通す彼の表情が、徐々に険しくなっていく。
「……これは」
「滝川さんは、事実を述べた私に対して『名誉毀損で訴える』と脅し、謝罪を強要しました。これは、弁護士としての職務を逸脱した行為です」
宮本は、書類を置いた。
そして、私を見た。
「水瀬さん、あなたは何を望んでいるんですか?」
私は、彼の目を見た。
「宮本さん、あなたに——私の弁護士になってほしい」
「……え?」
宮本は、明らかに驚いていた。
「私の弁護士? 私は、滝川と同じ事務所に——」
「だからです」
私は、前のめりになった。
「宮本さん、あなたは滝川さんのやり方に、疑問を感じていませんか?」
宮本は、何も答えなかった。
でも、その沈黙が——答えだった。
私は、続けた。
「私、調べました。宮本さんは、企業法務の専門家。特に、コンプライアンス違反の案件に強い」
「……どこでそんな情報を」
「公開されている判例を見ました。宮本さんが担当した案件——すべて、正当な方法で勝訴している」
私は、別の資料を取り出した。
「一方、滝川さんの案件は——グレーゾーンが多い。脅迫、情報操作、証拠の隠蔽。違法すれすれの手法ばかりです」
宮本は、資料を見つめた。
そして、深く息を吐いた。
「……水瀬さん、あなたは何者ですか?」
「社長令嬢です」
私は、微笑んだ。
「でも、最近学びました。この世界では、準備と知識が武器になるって」
宮本は、少し笑った。
「なるほど……それで、私に何をしてほしいんです?」
「まず、この事務所を辞めてください」
「……は?」
「滝川さんと同じ事務所にいたら、利益相反になります。だから、独立してください」
宮本は、目を見開いた。
「独立……そんな簡単に言いますが」
「資金は、こちらで用意します」
私は、タブレットを取り出した。
画面には、事業計画書が表示されていた。
「宮本法律事務所、設立資金三千万円。水瀬コーポレーションが全額出資します」
宮本は、画面を見つめた。
「……本気ですか?」
「本気です」
私は、彼の目を見た。
「宮本さん、あなたは正しい方法で戦える弁護士です。そういう人に、私の味方になってほしい」
宮本は、しばらく黙っていた。
そして、立ち上がった。
私は、緊張した。
断られるのか——。
でも、宮本は窓際に立ち、外を見つめた。
「水瀬さん、正直に言います」
「はい」
「私は、滝川のやり方が嫌いでした」
宮本の声は、静かだった。
「弁護士は、法に則って戦うべきです。脅迫や情報操作は——弁護士がすべきことじゃない」
「だったら——」
「でも、この事務所は大手です。安定している。独立するのは、リスクが大きい」
宮本は、振り返った。
「それでも——あなたは、私に独立しろと言うんですか?」
私は、立ち上がった。
「リスクは、私が取ります」
「どうやって?」
「宮本法律事務所の最初の顧問契約は、水瀬コーポレーションです。年間契約、三千万円」
宮本の目が、見開かれた。
「さん、三千万……?」
「はい。それに加えて、私個人の案件も依頼します。桐生グループとの訴訟、株主との交渉、すべて」
私は、一歩近づいた。
「宮本さん、リスクを取る価値はあります。そして——正しい方法で戦う弁護士が、必要なんです」
宮本は、私を見つめた。
その目には——迷いと、決意が入り混じっていた。
そして、彼は小さく笑った。
「……水瀬さん、あなた本当に——社長令嬢なんですか?」
「何か問題でも?」
「いえ……ただ、あなたみたいな交渉をする令嬢、初めて見ました」
宮本は、手を差し出した。
「わかりました。独立します」
私は、その手を握った。
「ありがとうございます」
「ただし——」
宮本は、真剣な表情になった。
「私は、正しい方法でしか戦いません。もし、あなたが違法な手段を求めるなら——」
「求めません」
私は、即答した。
「私も、正しい方法で戦いたい。だから、あなたが必要なんです」
宮本は、深く頷いた。
「なら——よろしくお願いします」
法律事務所を出た後、私は柊に電話した。
「もしもし、柊さん」
『莉央、どうした?』
「報告です。新しい弁護士を味方につけました」
『新しい? 誰だ?』
「宮本弁護士。滝川と同じ事務所にいた人です」
柊は、少し沈黙した。
そして、笑った。
『お前……敵の内部から、引き抜いたのか?』
「はい」
『すごいな。それで、宮本はどういう人間だ?』
「コンプライアンス専門。正攻法で戦うタイプです」
『なるほど……つまり、お前は二人の弁護士を味方につけたわけだ』
「そうです。柊さんは企業法務の鬼。宮本さんはコンプライアンスの専門家。この二人がいれば——」
『桐生側が何をしてきても、対応できる』
柊の声は、満足そうだった。
『莉央、お前本当に——戦略家だな』
「学びました」
私は、空を見上げた。
「弁護士を味方につけるという選択——それが、どれだけ重要か」
『一周目では、味方がいなかったのか?』
私は、はっとした。
また、口が滑りかけた。
「……いえ、その。前に似たような事例を研究していて——」
『わかった、わかった。詮索はしない』
柊は、笑った。
『ただ、お前は最近——まるで、すべてを経験したかのような話し方をする』
私は、何も言えなかった。
柊は、続けた。
『まあ、いい。お前が勝てばいい。それだけだ』
「……ありがとうございます」
通話を切った後、私はベンチに座った。
スマホを見ると、本間からメッセージが届いていた。
『莉央さん、宮本弁護士が独立するって本当ですか? 社内で噂になってます』
私は、返信した。
『本当。そして、うちの顧問弁護士になる』
すぐに返信が来た。
『莉央さん……すごいです。敵の弁護士を引き抜くなんて』
『敵じゃないよ。宮本さんは、正しい人だった。だから、味方になってもらっただけ』
本間からの返信。
『莉央さん、最近本当に——かっこいいです』
私は、少し笑った。
かっこいい、か。
一周目の私には、言われたことのない言葉だ。
私は、立ち上がった。
これで、駒は揃った。
父、柊弁護士、宮本弁護士、鏑木記者、本間、佐伯。
そして——私自身。
桐生が次に何をしてきても、対応できる。
「弁護士を味方につけるという選択」
私は、小さく呟いた。
それは、戦いに勝つための——最も重要な選択だった。




