第12話「父の会社が狙われている理由」
翌朝、私は父に呼ばれて、再び社長室に向かった。
時刻は、午前八時。
まだ社員の多くは出社していない時間帯だ。
ノックをすると、父の低い声が聞こえた。
「入れ」
ドアを開けると、父はデスクの前に立ち、何かの資料を見つめていた。
その表情は、険しかった。
「お父さん、どうしたの?」
「莉央、これを見ろ」
父は、資料を私に差し出した。
受け取って中を見ると——それは、株式の取引記録だった。
水瀬コーポレーションの株式。
そして、購入者の名前は——。
「……桐生グループ?」
私の声が、わずかに震えた。
父は、頷いた。
「昨日から、桐生グループが水瀬コーポレーションの株を買い占め始めた」
「どれくらい?」
「今のところ、三パーセント。だが、このペースで行けば、一週間で十パーセントを超える」
私は、資料を見つめた。
十パーセント。
それは、経営に影響を及ぼせるラインだ。
「敵対的買収……?」
「おそらくな」
父は、窓際に立った。
「桐生は、記者会見で立場を失った。だが、諦めていない。今度は、別の方法で攻めてきた」
私は、資料をテーブルに置いた。
「でも、なんで今? 桐生グループは、今、株価が暴落してるはずなのに」
「だからだ」
父は、振り返った。
「自分たちの株価が下がっている今、現金を使って他社の株を買う。そして、経営権を奪う。それが、立場を回復する最も早い方法だ」
私は、息を飲んだ。
つまり——桐生は、最初からこれが狙いだったのか?
「お父さん、もしかして——」
「ああ」
父は、頷いた。
「婚約破棄も、記者会見も、すべては前段階だったのかもしれない」
私の頭の中で、ピースが繋がり始めた。
桐生が婚約破棄を公表する。
水瀬コーポレーションの信用が下がる。
株価が下落する。
その隙に、桐生グループが株を買い占める。
経営権を奪う。
「……最初から、会社が狙いだった?」
「可能性は高い」
父は、デスクに戻った。
「莉央、お前との婚約は——最初から、罠だったのかもしれない」
私は、唇を噛んだ。
一周目で、私はこのことに気づかなかった。
記者会見の後、会社がどうなったのか——私は、そこまで追えなかった。
でも、今回は違う。
今回は、父が早い段階で気づいた。
「お父さん、対策は?」
「既に動いている。友好的な株主に連絡を取り、株を売らないよう依頼した」
父は、別の資料を取り出した。
「だが、問題はここだ」
資料には、株主のリストが載っていた。
その中の一人——大口株主の名前に、赤い印がついていた。
「この株主、誰?」
「佐伯商事の社長、佐伯だ。彼は、水瀬コーポレーションの株を八パーセント保有している」
私は、その名前を見つめた。
佐伯商事。
聞いたことがある。
確か、桐生グループとも取引がある企業だ。
「まさか……」
「ああ。佐伯は、桐生側に寝返る可能性が高い」
父は、深くため息をついた。
「もし佐伯が株を桐生に売れば、桐生グループは十一パーセントの株を持つことになる。そうなれば——」
「株主総会で、発言権を持つ」
私は、資料を握りしめた。
これは、まずい。
一周目で、なぜ水瀬コーポレーションが崩壊したのか——今、わかった。
桐生は、婚約破棄で私を社会的に抹殺するだけじゃなく、会社そのものを奪おうとしていた。
「お父さん、佐伯に会わせて」
「え?」
「私が、直接話す」
父は、眉をひそめた。
「莉央、佐伯は簡単な相手じゃない。金と利益で動く男だ」
「わかってる。でも、このままじゃ会社が奪われる」
私は、父の目を見た。
「一周目では——」
私は、言葉を止めた。
危ない。
また、口が滑りかけた。
「……前に、似たようなケースを調べたことがあるの。敵対的買収は、株主を説得するのが鍵だって」
父は、じっと私を見つめた。
そして、小さく頷いた。
「……わかった。アポイントを取る」
その日の午後、私は都内の高級レストランにいた。
個室のテーブルの向かいには、佐伯が座っていた。
六十歳前後。白髪混じりの髪に、精悍な顔つき。
彼は、ワイングラスを傾けながら私を見た。
「水瀬社長のお嬢さん、直々にお会いできるとは光栄ですな」
私は、微笑んだ。
「お時間をいただき、ありがとうございます」
「で? 用件は何ですかな」
佐伯は、単刀直入だった。
私も、遠回しはしなかった。
「佐伯さんが持っている、水瀬コーポレーションの株のことです」
「ほう」
佐伯の目が、鋭くなった。
「桐生から、いい条件で買い取りたいと言われてましてね。考えていたところです」
「どんな条件ですか?」
「市場価格の一・五倍。即金で」
私は、心の中で計算した。
八パーセントの株を、市場価格の一・五倍。
それは、相当な金額だ。
「それは……魅力的な条件ですね」
「そうでしょう?」
佐伯は、ワインを飲み干した。
「だから、あなたが何を言おうと——私は、売るつもりですよ」
私は、静かに言った。
「では、もし私が——市場価格の二倍で買い取ると言ったら?」
佐伯の手が、止まった。
「……何ですって?」
「水瀬コーポレーションが、佐伯さんの株を市場価格の二倍で買い取ります」
佐伯は、私を見つめた。
そして、笑った。
「お嬢さん、そんな金、どこにあるんです?」
「あります」
私は、鞄からタブレットを取り出した。
画面を操作し、銀行の残高証明を表示する。
それは——私の個人資産だった。
佐伯の目が、わずかに見開かれた。
「これは……」
「私の個人資産です。父の会社を守るためなら、すべて使います」
佐伯は、黙って画面を見つめた。
そして、顔を上げた。
「……お嬢さん、あなた本気ですか?」
「本気です」
私は、彼の目を見た。
「佐伯さん、あなたはビジネスマンです。利益で動く。それは、正しい」
「ならば——」
「でも、長期的に見て、どちらが利益になるか考えてください」
私は、タブレットを閉じた。
「桐生グループは、今、炎上している。株価も暴落している。そんな企業と組んで、本当に利益になりますか?」
佐伯は、腕を組んだ。
「……続けて」
「水瀬コーポレーションは、今後も成長します。そして、私も経営に参加します」
私は、一歩踏み込んだ。
「佐伯さんが株を保持してくれるなら——いえ、もし売るつもりなら、私が買い取ります。そして、あなたを取締役に迎えたい」
佐伯の目が、鋭くなった。
「取締役……?」
「はい。あなたのビジネスの経験と人脈は、会社にとって貴重です」
私は、微笑んだ。
「桐生は、あなたの株だけが欲しい。でも、私たちは——あなた自身が欲しい」
佐伯は、しばらく黙っていた。
そして、小さく笑った。
「……お嬢さん、あなた、いつの間にそんな交渉術を身につけたんです?」
「最近です」
私は、正直に答えた。
「失敗から、学びました」
佐伯は、深く息を吐いた。
そして、手を差し出した。
「わかりました。株は、売りません」
私は、その手を握った。
「ありがとうございます」
「ただし——」
佐伯は、私の手を強く握った。
「本当に、私を取締役にしてくれるんでしょうね?」
「約束します」
佐伯は、笑った。
「なら、契約しましょう」
レストランを出た後、私はタクシーの中で父に電話した。
「もしもし」
『莉央、どうだった?』
「成功。佐伯さん、株を売らないって」
父の安堵のため息が、聞こえた。
『よくやった……』
「それと、佐伯さんを取締役に迎える約束をした」
『……何だって?』
「大丈夫。悪い取引じゃない。佐伯さんの人脈は、会社に必要」
父は、少し黙っていた。
そして、笑った。
『お前……本当に、経営者になるつもりだな』
「うん」
私は、窓の外を見た。
「だって、わかったから」
「何が?」
「父の会社が狙われている理由」
私は、静かに言った。
「桐生は、最初から会社が欲しかった。私との婚約も、記者会見も、すべては会社を奪うための手段だった」
父は、沈黙した。
「でも、もう大丈夫」
私は、微笑んだ。
「今回は、奪わせない」




