第10話「マスコミが欲しがる餌の作り方」
記者会見の翌日、午前十時。
私は、鏑木のオフィスにいた。
約束していた、独占インタビューのためだ。
鏑木は、レコーダーをテーブルの中央に置き、ノートを開いた。
「では、始めてもいいですか?」
「どうぞ」
私は、コーヒーカップを置いた。
鏑木は、ペンを構えた。
「まず——昨日の記者会見、お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
「率直に聞きます。あの証拠の数々、いつから準備していたんですか?」
私は、少し考えるふりをした。
本当は、一周目の記憶があるから、すべて把握していた。
でも、それは言えない。
「……一週間前くらいからです」
「一週間?」
鏑木の目が、鋭くなった。
「つまり、記者会見が発表される前から、何かおかしいと気づいていた?」
「はい。桐生の態度が、変わったんです」
私は、窓の外を見た。
「急に距離を置くようになって、会う約束もキャンセルされることが増えた。最初は仕事が忙しいのかと思ったんですけど——」
「違和感があった?」
「ええ。それで、少し調べてみたんです。メールの履歴とか、取引先との連絡とか」
鏑木は、メモを取った。
「そこで、桐生が記者会見を計画していることに気づいた?」
「正確には、婚約破棄を計画していることに、ですね」
私は、コーヒーを一口飲んだ。
「桐生は、記者会見という公の場で私を断罪することで、水瀬コーポレーションとの取引を有利に進めようとしていました」
「企業戦略として、婚約者を利用した?」
「そういうことです」
鏑木は、少し考えるように目を閉じた。
そして、次の質問。
「水瀬さん、あなたは昨日の会見で、一度も感情的になりませんでした。なぜですか?」
私は、彼の目を見た。
「感情的になったら、負けるからです」
「負ける?」
「はい。この社会では、感情的な人間は『理性がない』と判断される。特に、女性は」
鏑木の手が、止まった。
私は、続けた。
「もし私が会見で泣いたり、怒ったりしていたら——『やっぱり感情的な女だ』と言われていたでしょう。でも、冷静に証拠を提示すれば、誰も反論できない」
「……なるほど」
鏑木は、深く頷いた。
「つまり、あなたは最初から『冷静さ』を武器にすることを決めていた」
「そうです」
「それは、誰かに教わったんですか?」
私は、少し躊躇した。
誰に教わった?
一周目の、失敗した自分に、だ。
「……経験です」
「経験?」
「以前、感情的になって失敗したことがあります。その時に学びました」
鏑木は、じっと私を見つめた。
そして、ペンを置いた。
「水瀬さん、あなた——本当は、もっと多くのことを知っているんじゃないですか?」
私の心臓が、一瞬跳ねた。
「……どういう意味ですか?」
「いや、失礼。ただ、あなたの対応があまりにも完璧すぎて——まるで、すべてを予測していたかのような」
私は、微笑んだ。
「予測ではなく、準備です」
「準備?」
「相手が何をしてくるか、どんな嘘をつくか。それを想定して、対応を用意しておく。それが、私のやり方です」
鏑木は、納得したように頷いた。
「なるほど……それが、昨日の完璧な反撃につながったわけですね」
「はい」
鏑木は、再びペンを手に取った。
「では、次の質問です。桐生側は、まだ何か仕掛けてくると思いますか?」
私は、即答した。
「来ます」
「断言するんですね」
「桐生家は、大企業です。このまま黙っているはずがない」
私は、カップを置いた。
「おそらく、法的手段に出るか、あるいは——別の形で世論を操作しようとするでしょう」
「別の形?」
「たとえば、『水瀬莉央は計画的に桐生を陥れた』というストーリーを作るとか」
鏑木の目が、光った。
「それに対する準備は?」
私は、微笑んだ。
「もちろん、してあります」
「具体的には?」
「それは——相手が動いた時に、お見せします」
鏑木は、少し笑った。
「やっぱり、まだ切り札を隠してますね」
「切り札、とは失礼な」
私も、笑った。
「ただの、予備の証拠です」
インタビューが終わった後、私は鏑木のオフィスを出た。
エレベーターを待っていると、スマホが震えた。
メッセージ——父からだった。
『莉央、今すぐ会社に来い。緊急だ』
私は、眉をひそめた。
緊急?
何かあったのか。
私は、すぐにタクシーを拾った。
「水瀬コーポレーション本社まで、お願いします」
三十分後、私は父の社長室にいた。
父は、デスクの前に立ち、険しい表情をしていた。
そして、彼の隣には——見知らぬ男性が立っていた。
五十代、グレーのスーツ。冷たい目をした男。
「莉央、こちらは桐生グループの顧問弁護士、滝川だ」
私の体が、一瞬固まった。
滝川。
桐生の計画に加担していた、あの弁護士。
彼は、私を見て冷たく微笑んだ。
「水瀬莉央さん、初めまして」
私は、何も言わずに彼を見つめた。
滝川は、鞄から書類を取り出した。
「単刀直入に申し上げます。昨日の記者会見での、あなたの発言と証拠提示——これは、名誉毀損に該当します」
私は、眉を上げた。
「名誉毀損?」
「そうです。桐生蓮の名誉を、不当に傷つけた。そして、根拠のない情報を公にした」
滝川は、書類を私に差し出した。
「これは、訴状です。桐生蓮は、あなたを名誉毀損で訴える準備を進めています」
私は、書類を受け取った。
中を見ると——確かに、訴訟の準備書面だった。
「根拠のない情報?」
私は、滝川を見た。
「私が提示したのは、すべて事実です。メール、録音、すべて証拠があります」
「それらの証拠が、正当な手段で取得されたものかどうか——それが問題です」
滝川は、腕を組んだ。
「たとえば、桐生蓮のメールを無断で取得したとすれば、それはプライバシーの侵害にあたります」
私は、小さく笑った。
「なるほど。そう来ましたか」
「笑っている場合ですか? これは、刑事告訴も視野に入れた、重大な問題です」
父が、口を開いた。
「滝川さん、それは脅迫ですか?」
「脅迫ではありません。事実を述べているだけです」
滝川は、私を見た。
「水瀬さん、今ならまだ間に合います。昨日の発言を撤回し、公に謝罪する。そうすれば、訴訟は取り下げます」
私は、書類を閉じた。
そして、滝川に返した。
「お断りします」
「……何ですって?」
「私は、何も撤回しません。謝罪もしません」
私は、一歩前に出た。
「なぜなら、私が語ったのは真実だからです。そして——」
私は、スマホを取り出した。
「マスコミが欲しがる餌の作り方、知ってますか?」
滝川の表情が、変わった。
「何を——」
「餌というのは、ただ事実を並べるだけじゃダメなんです。タイミングと、演出と、そして——相手の反応が必要なんです」
私は、スマホの画面を操作した。
「たとえば、今。あなたが脅迫まがいの訴訟をちらつかせて、私に謝罪を求めている——これ、録音してます」
滝川の顔が、青ざめた。
「録音……?」
「はい。そして、これを鏑木記者に渡せば——『桐生側、被害者を脅迫』という見出しで、明日の朝刊に載るでしょうね」
私は、微笑んだ。
「マスコミは、次の展開を欲しがってるんです。そして私は、それを提供する」
滝川は、言葉を失った。
父が、小さく笑った。
「莉央……お前、本当に変わったな」
私は、滝川に向き直った。
「お帰りください。そして、桐生蓮に伝えてください」
私は、静かに言った。
「もし訴訟を起こすなら、こちらも準備があります。そして——次に負けるのは、あなたたちです」
滝川は、何も言わずに社長室を出て行った。
ドアが閉まると、私は大きく息を吐いた。
父が、私の肩に手を置いた。
「莉央、大丈夫か?」
「うん……大丈夫」
私は、スマホを見た。
録音は、確かに残っている。
これが、次の餌だ。
マスコミが欲しがる、次の展開。
「お父さん、鏑木記者に連絡していい?」
「ああ、好きにしろ」
私は、メッセージを打った。
『鏑木さん、追加情報があります。桐生側が、訴訟をちらつかせて脅迫してきました。録音データがあります』
送信。
数秒後、返信が来た。
『今すぐ、そちらに向かいます』
私は、画面を閉じた。
窓の外を見ると、青空が広がっていた。
桐生は、反撃してきた。
でも——想定内だ。
私は、もう驚かない。
なぜなら、マスコミが欲しがる餌の作り方を、知っているから。




