第1話「社長令嬢、記者会見で婚約破棄された日」
やり直し前とやり直し後の水瀬
スタジオライトが私の顔を照らす。
まぶしいと思う余裕もなく、私は長テーブルの端に座っていた。隣には婚約者——いや、元婚約者になるであろう彼が、白いワイシャツ姿で座っている。
ここは都内の高級ホテル、最上階の会見場。
天井のシャンデリアが優雅に輝いているけれど、この場所は処刑場と何も変わらない。
「それでは、本日の記者会見を始めさせていただきます」
司会者の声が響く。
会場には大手メディアから週刊誌まで、数十人の記者がカメラとペンを構えている。生中継のカメラが三台、私たちを映し出している。全国に、リアルタイムで。
彼——桐生蓮が、マイクの前で深く頭を下げた。
「本日は、皆様にご報告があり、この場を設けさせていただきました」
低く、誠実そうな声。
彼はゆっくりと顔を上げ、カメラ目線で言った。
「私、桐生蓮は、婚約者である水瀬莉央との婚約を、本日をもって解消いたします」
会場がざわついた。
フラッシュが一斉にたかれ、記者たちが身を乗り出す。私の横顔を映すカメラのレンズが、容赦なく近づいてくる。
私は、何も言わなかった。
言えなかった。
「婚約解消の理由は、私個人の不徳ではなく、婚約者側の……言動に起因するものです」
彼の言葉が、会場を静まらせた。
記者たちが一斉にペンを走らせる音が聞こえる。誰かが小さく息を吸う音も。
「具体的には申し上げられませんが、企業間の信頼関係を損なう行為がありました。私としても、家族としても、今後の関係継続は困難と判断いたしました」
私は、唇を噛んだ。
彼は嘘をついている。
でも、私にはそれを否定する証拠がない。用意していたはずの録音データも、メールの履歴も、すべて消されていた。
「水瀬さん、何かコメントは?」
記者の一人が、私に向けてマイクを突きつけた。
私は顔を上げた。
カメラが私を映している。全国に、私の表情が流れている。
「……特に、ありません」
私の声は、震えていた。
それだけで、私は「認めた」と思われるだろう。言い訳をしない女。反論しない女。つまり、やましいことがある女。
会見は、そのまま続いた。
記者たちは次々と質問を投げかけたけれど、すべて彼が答えた。私はただ座っているだけ。まるで、罪人のように。
「水瀬さんは、今後どうされるのですか?」
「父君の会社との関係は?」
「婚約破棄に関して、慰謝料の請求は?」
私は、ただ首を横に振ることしかできなかった。
会見が終わったのは、開始から四十分後。
私は立ち上がり、会場を後にした。
廊下に出た瞬間、膝が震えた。
壁に手をつき、息を整える。
スマホの通知が、止まらない。
SNSが、炎上していた。
『水瀬莉央、やっぱり性格悪かったんだ』
『社長令嬢って時点で察し』
『桐生くん可哀想。あんな女と婚約させられて』
『何も言わないってことは、認めたってことでしょ』
画面を見るのをやめた。
涙は、出なかった。
ただ、体が冷たくなっていくのがわかった。
私は、すべてを失った。
婚約者。
社会的信用。
会社での立場。
そして、未来。
エレベーターに乗り込み、一階のロビーへと降りていく。
ドアが開く瞬間、私は思った。
——もう一度、やり直せるなら。
そう思った瞬間、視界が揺れた。
床が傾いたように感じて、私は壁に手をついた。
めまい?
いや、違う。
これは——。
視界が、真っ暗になった。




