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REPAIR  作者: 明星
大晦日
27/33

第8話

「徳田」を出ると、熱い蕎麦で腹を満たした分、路地に吹き込む風が余計に冷たく感じられた。

「ごちそうさまでした。すごく美味しかったです」

「ああ……いい店だよな」

そう、いい店なのだ。

なのに、とふと、あの時の徳田の横顔が片桐の脳裏に浮かんだ。

この店はゲートタウンにおいて、唯一無二と言ってもいい場所だ。

そんな場所を持ちながら、それでもあの男は過去のしがらみを拭いきれていないのだろう。

手に入れたかった栄光や名声、もしかしたらそんなものをまだ心の何処かで欲しているのかもしれない。

そんなことを考えながら、事務所への帰路を歩き始めた矢先だった。

ドンッ、と小柄な影が有坂にぶつかってきた。

「わっ!?」

有坂がたたらを踏む。

ぶつかってきたのは、薄汚れたジャンパーを着た中学生くらいの少年だった。

「あ、ごめんなさい……」

少年はすばしっこい動きで頭を下げ、路地の奥へ走り去ろうとした――が、自分の仕事が「完全な空振り」であったことに気づき、急に足を止めた。

少年の目から子供らしさが消え、ひどく冷め切った色が覗く。

「……嘘でしょ?」

そして次の瞬間、少年は絶望の眼差しを有坂に向ける。

その表情は先ほどまでの子供じみたものとは全く違う。

「そんな立派な格好しててさぁ、『何にも』持ってないの!?」

状況を理解できていない有坂と、見事に空振りをかました少年を、片桐は呆れ半分で傍観していた。

「残念だったな。今日は何の収穫もないようだ」

片桐の言葉を聞き、有坂はようやくそこで、ハッとした。

「えっ、僕、なにか……?」

「スリ、だな。だが君は今、盗まれるようなものを何も持ってない。だから『未遂』ってことになるのかな」

薄く嗤う片桐の言葉に、少年はチッと盛大に舌打ちをする。

「ふざけんなよ!その見た目で金を持ってないのは反則だろ!? 期待させやがって、クソったれ!」

豹変した態度で悪態をつく少年に、有坂は目を丸くする。

「盗もうとした君が怒るの!?」

「当たり前だろ! こっちは生きるか死ぬかの瀬戸際なんだぞ! 今日も収穫ゼロじゃ、明日の朝どころか夜が明ける前に凍死確定だよ!」

また少し、少年は雰囲気を変えて続ける。

「あーあ、どうせ俺の人生なんてここで終わりなんだろうなぁ」

大仰に両手を広げ、やけくそ気味に叫ぶ少年。

そのわざとらしい悲観の言葉に、片桐は呆れて鼻で笑った。

それは典型的な、同情を引くための三文芝居にしか見えない。

だが、有坂の反応は違った。

「待って……ほんとに?本当に君は、そんな厳しい生活をしてるの?それなら」

と、有坂は悲痛な顔になり、迷うことなく自分が着ていた上質なウールのコートを脱ぎ始める。

「おいおい」

冗談だろ、と片桐が眉をひそめた。

「これを、あげるよ。ごめんね、本当にお金は持ってないんだ。でも、これがあれば寒さはしのげるから」

有坂は少年にコートを差し出した。

「……有坂くん。俺は代わりのコートを買うつもりはないぞ。それでもいいんだな」

「……はい、僕は彼よりも、まだ恵まれていますから」

少年は一瞬ポカンとした。

しかし有坂の何気ないひと言が彼の癪に障ったのだろう。

少年はコートをひったくるように受け取り「同情するじゃねぇ!バァカ!!」と叫びながら、暗がりへとあっという間に消えていった。

寒風が吹き抜け、スーツ姿になった有坂がブルッと身を震わせる。

「そんなつもりは、なかったんだけどな……」

「君のその気持ちは、素晴らしいと思う。だが……いいことをした、とは言えないな。有坂くん」

寒さを我慢する有坂に、片桐は冷酷な言葉を突きつけた。

「どうして、ですか?彼は寒さに困っていて、でも僕は今日片桐さんのおかげで屋根の下で眠れる」

ならばコートくらい、と有坂は思ったのだろう。

「あんな上等なコートを着た子どもが、周りからどう映るのかを考えてみるといい」

片桐が言いたいことは、そういうことだった。

だが、有坂はまだその真意を理解してはいない。

「いいか?もしもより力のある者に目をつけられたら、彼はどうなる?身ぐるみを剥がされるくらいならまだいい。だがもし彼が抵抗し、その結果殺されるようなことになれば……そこまで考えたうえで、君はあの子にコートを渡したのか?」

有坂は少しの思案のあと、何かに気づいたように大きく口を開けた。

「いえ、でも、僕はただ……」

善意でそうしただけ、それは片桐にもよく理解できる。

この男、有坂がそういう男だということは短い付き合いの中でも嫌というほどよく知っているのだ。

だが片桐は同時に、この街での「純粋な善意」が、必ずしも「幸福な結末」につながりはしないということも、よく分かっている。

有坂は片桐の言葉を受け、弾かれたように路地の奥へ一歩を踏み出そうとした。

だがそれを、片桐の腕が容赦なく制した。

「待て。今更探したところで見つからないだろうし、仮に見つけたところでどうするつもりだ?まさか無理やり取り上げるつもりなのか?」

「そんなつもりは……で、でも……僕のせいで彼に何かあったら……!」

片桐はそれ以上は答えず、無言のままガレージへと歩き出した。

実際のところ、何かあるとは限らない。

特にあの少年のように「たくましい」人間ならば、うまく生きていくだろうと想像はできる。

だがあえて、片桐はこれから先の教訓として有坂にわざと強く伝えたのだ。

スリの少年とは違い、彼はあまりにも純粋すぎる。

ありのままの彼がこの街で生きていくのは随分と骨が折れるだろう。

僅かにでも何かを掴んでもらえれば。

そんな片桐の思惑が伝わったのかどうかは分からない。

有坂は凍える体を抱きしめながら暗い路地を何度も振り返り、帰路についた。

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