第5話
「さて、と」
六條はカップを置き、有坂を見据えた。
「君の腹も満たされたところで、今後の話をしようか。有坂君」
「え……」
不意に振られた話題に、有坂は言葉を詰まらせた。
「君にはしばらく生活できるだけの金を渡していたはずだ。にもかかわらず、炊き出しの列に並んでいたと、君は言う」
相変わらずガードが甘いな、と内心思いながら、片桐はコーヒーを啜る。
有坂という男は言ったほうがいいことと、言わないほうがいいことの区別がどうにも下手らしい。
「あ、あの……実は、お金は使い切ってしまって、財布もカードもないですし……スマホも、六條さんに渡してしまっているからなくて……」
「当たり前だろう。今の君は『死人』だ。カードが使えるはずはないし、スマホなんて持たせていたら直ぐに存在がバレてしまう。新しいスマホを契約しようにも、今の君には身分証になるものが何もない。それが『死人』だ」
六條は淡々と事実を列挙し、「だから」と当然のような顔で、視線を片桐に向けた。
「……なんだ」
嫌な予感を察知した片桐が、眉間の皺を深くする。
「片桐。お前の事務所、空き部屋があったよな」
「おい。冗談だろ」
片桐は即座に拒絶した。
「俺は何でも屋だがな、こんなのは仕事のうちに入らないぞ?」
片桐の言葉を受け、六條は「んー」とわざとらしく唸る。
「そういえば今回の薬代、結構な金額が足りなかった、な?」
その六條の一言が、片桐の反論を塞いだ。
「……だから、薬代は返すよ」
「今すぐに、か?」
片桐は心の中で悪態をつきながら歯噛みした。
無理だと分かっていて、六條はわざと言ってきている。
「借りは返してもらわないとな。それに、俺はその方が安全だと思ってる。お前の下にいるなら訳ありの彼も安心して暮らせるだろう」
六條は悪びれもせず、ニヤリと笑った。
片桐は忌々しげに溜息をつき、頭をガシガシと掻いた。
なにも、反論できない。
問題の根源は金ではないのだ。
あの薬の安定した供給ルートを握っているのは、目の前にいるこの男だけだ。
ここで突っぱねてそのことを人質にされれば、どのみち従う他ない。
今後も薬の手配を六條に依存している以上、交渉において片桐に決定権はないのだ。
「……いつからこんなことを企てていた?始めから、なんて言わないよな?」
「まさか。今二人が一緒にいるのを見て、思い付いただけだ」
片桐は深く息を吐き出し、有坂を一瞥した。
「あ、あの、待ってください!」
たまらず、蚊帳の外に置かれていた有坂が身を乗り出した。
「これ以上、片桐さんに迷惑をかけるわけには……僕ならなんとかしますから!」
「なんとかする? 帰る場所も、身分証も、金もない君が?」
六條が、ひんやりとした声で有坂の勢いを削ぐ。
「真冬の夜に、どうやって生き延びるつもりだ?」
「それは……」
言葉に詰まる有坂へ、片桐が冷酷な事実を突きつける。
「お前みたいな無防備な奴が路地裏で夜を明かしてみろ。朝までに身ぐるみ剥がされて、凍えて野垂れ死ぬのがオチだぞ」
「っ……」
確かに最低限の治安は維持されている。
とはいえ『死人』である有坂が、何かあったからと警察を頼るわけにもいかないだろう。
その生々しい現実を突きつけられ、有坂はすっかり青ざめて口を噤んだ。
その様子を見て、片桐は大きくため息をつく。
「……分かった。だが、俺の仕事には関わらせないし、生活は自力でしてもらうぞ。あくまでも、屋根を貸すだけだ」
「交渉成立、だな」
六條は満足げに頷き、再び有坂に向き直った。
「よかったな、引き受け手が見つかって。だが有坂君、一つだけ忠告だ」
六條の声色が、先程の脅しとはまた違う、冷ややかな質を帯びた。
「君のその『身体能力』だが……アビスの領域以外では絶対に、表には出すなよ」
「え……?」
「俺や君のような異能力者がいる以上、当然それを取り締まる法律というものも存在する。異能力の行使が許されているのは、等活からアビスの内部だけだ。仮に街の中で無闇に力を使えば、君は即、捕縛対象となる」
六條は人差し指を立て、唇に当てた。
「目立つな。騒ぐな。そして、決して『普通』からはみ出すな。それが君が、ここで生き延びるためのルールだ」
有坂はその剣幕に呑まれ、コクコクと頷くことしかできなかった。
片桐もまた、無言でそのやり取りを聞いていた。
六條がなぜ、こんなただのボンボンにそんな忠告をするのか。
僅かな違和感を覚えたが、深く追求することはせず、伝票を
手に取った。
「素直に礼を言いたくはないが、今回は助かった。また、な」
「ああ、また」
六條に見送られ、二人は店を出た。




