第3話
「行こう」
片桐は短く促すと、背後を振り返らずに歩き出した。
「あ、あの、片桐さん? どこへ向かっているんですか?」
「換金したいものがあってね」
有坂は小走りで並びかけながら、不安げに周囲をキョロキョロと見回している。
スラムの住人たちが向けてくるのは見慣れない異物を値踏みするような、無遠慮で粘着質な視線だった。
少なくとも片桐と一緒にいる間は、有坂にちょっかいを出すようなことはしないだろう。
だが彼のような明らかに場にそぐわない、綺麗な身なりの人間が歩けば、ただそれだけでも目立ってしまう。
居心地の悪さに身を縮める有坂を尻目に、片桐は気にする風もなく、堂々とした足取りで雑踏を縫うように進んだ。
「……ところで有坂さん」
周囲の気配が少し薄れたところで、片桐は歩きながら口を開いた。
「なんであんなところにいた。六條はどうしたんだ」
「あ、はい……。六條さんには、『君は表向き死んだことになったから、しばらくこの街に身を隠せ』と言われまして」
有坂は困ったように眉を下げた。
「ここなら誰も僕のことなんて気にしないから、と放り出されたんですが……」
「金は? 六條のことだ、君を手ぶらで放り出すような真似はしないはずだが」
「い、いただきました。ある程度まとまったお金を。でも……この街、ホテル代がすごく高いんですね。数泊しただけでほとんど無くなってしまって」
ああ、と片桐は天を仰いだ。
こんな街にも様々な宿がある。
それこそピンからキリまで、だ。
どうやら彼は外壁が綺麗なだけのボッタクリ宿か、あるいは無駄に設備のいい高額な宿泊施設にでも泊まったのだろう。
「……そんなんで、どうやってこの先生活するつもりなんだ?」
「す、すみません……。あ、それと……片桐さん」
有坂は申し訳無さそうに、けれど少しだけ語気を強めて言った。
「その、『有坂さん』というのは止めていただけませんか? 年上の方にさん付けされるのは、どうも背中がむず痒くて」
「……そうか。なら、有坂くん」
「はい。その方が落ち着きます」
有坂は安堵したように息を吐いた。
「で、有坂くん。君が死んだことになったそうだが……それはもしかして『廃墟のビル群』でのことか?」
「えっ、あ、 はい、あの、なんて言うんでしたっけ」
片桐はその答えが分かりながらも有坂の続きを待った。
「そうそう、九龍城、みたいになったボロボロの建物の中で待たされました。六條さんに免許証だけ渡して、そしたら割とすぐに……」
「……なるほどな」
片桐は軽く頷いた。
どうやら六條が頼ったのは国籍不明のあの男、「ジョン・ドウ」のようだ。
あらゆる公的データを書き換え、生者を死者に仕立て上げることで社会的な波風を消してのける、裏社会の『電子的な』始末屋。
素性の知れない人間が溢れかえるこの街で、あの男の存在する意義は大きい。
だが、データ上は消せても、物理的な「異物感」までは消せるはずもない。
「隠れ場所としては正解だが、向いてなかった、かな」
「え?」
「有坂くんはこの街では目立ちすぎるんだよ。自分では……気づいてないか」
片桐の言葉に有坂は不思議そうな顔をした。
片桐は呆れを含んだ視線を投げると、雑居ビルの入り口で足を止めた。
エレベーターは故障中で、見回せば階段には誰が捨てたか分からないゴミ袋が散乱している。
三階まで上がり、何の看板も出ていない鉄扉を無造作に開けると、カラン、と乾いたベルの音が鳴った。
そこは、電子部品や古道具が乱雑に積み上げられた「買取屋」だった。
カウンターの奥から、片眼が義眼の老人が顔を出す。
「……またお前か、片桐。今日は何のガラクタを持ってきた」
「ガラクタじゃない、と思うよ」
片桐はカウンターに進むと、ポケットからネックレスと指輪を取り出し、ガラスケースの上に滑らせた。
老人は鼻を鳴らし、ルーペを取り出して鑑定を始める。
「……フン。プラチナの純度は悪くないが、デザインが古いな。ダイヤも小粒だ」
老人は大げさに溜息をつき、電卓を叩いて数字を提示した。
「このくらいだ」
それは片桐の想像よりもずっと低い金額だった。
とはいえアクセサリーのことなど全く分からない。
片桐が眉をひそめ、どうにか交渉に入ろうと口を開きかけた時だ。
「あれ、これ……」
背後から、不思議そうな声が上がった。
有坂だ。
彼はカウンターの上の指輪を覗き込み、懐かしむような目をしている。
「母も、同じものを持っていました」
「ああん?」
老人が不機嫌そうに顔を上げた。
「だからどうした。お前の母親が誰かなんて知ったことかよ」
「え……いや、そういう意味じゃなくて……」
鼻で笑われた有坂はムッとした表情になり、何かを言いかけ、ハッとして口をつぐんだ。
「死人」である自分が詳細に身の上を語ることの意味を、先ほどの会話で理解したのかもしれない。
彼は小さく咳払いをすると、今度は真剣な眼差しで指輪を指差した。
「……これ、確か有名なブランドの限定モデルだったはずです。ほら、ここを見てください」
「あっ」と慌てる老人よりも早く、有坂は指輪を持ち上げて内側を示す。
「リングの裏に、刻印とシリアルナンバーがあるでしょう? わぁ、すごい! これ、100分の1ですよ!」
「くっ……」
老人の目が泳いだ。
片桐はそれを逃さず、ポケットからスマートフォンを取り出す。
「へぇ、そんなに貴重なものなのか。それなら」
現代はそのモノを写真に撮れば、勝手にネット上から情報を探してくれる便利な世の中だ。
画面を操作し、検索窓を開くふりをして老人に見せつけた。
「……こう、すれば、今の相場はすぐに分かるな。……調べてみようか?」
「ま、待て待て!」
老人は慌てて両手を振り、片桐のスマホを遮った。
「……チッ、よく見たら確かに良い品だ。俺の「目」がどうかしてたみたいだな」
老人はバツが悪そうに義眼を指で弄り、乱暴に金庫を開けると、札束をカウンターに叩きつけた。
片桐が予想していた額の倍以上。
「ほらよ。これを持ってさっさと帰りな」
それは闇ルートでの買取としては、十分すぎる数字だった。
店を出てすぐ、片桐は大きく息を吐き出した。
「助かったよ、有坂くん。正直なところ、ああいうのはさっぱり分からないんだ」
片桐は素直に認め、隣を歩く男を見た。
有坂は少し照れくさそうに頭をかいている。
「いえ、たまたま知っていただけですから。役に立てて良かったです」
「でもどうして」
そう言いかけて、片桐は思い留まった。
相手から話そうとしていない素性を探るようなことは、やるべきではない。
「ああ、そうだ」
片桐は軽く咳払いして、少し緩んだ口調で提案した。
「浮いた分で、何か美味いものでも食べようか。まだ腹は膨れてないだろう?」
「えっ! いいんですか?」
有坂の顔がパッと華やぐ。
「もちろん。俺も腹が減ってるからな」
「ありがとうございます! 実はあれだけだと、逆にお腹と背中がくっつきそうで……」
腹の虫が鳴く音をごまかすように笑う有坂を見て、片桐も自然と口元を緩めた。
この男の育ちの良さは危うさでもあるが、時として思いがけない幸運を運んでくるのかもしれない。
そんなことを思いながら、二人は六條の待つ喫茶店へと足を向けたのだった。




