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REPAIR  作者: 明星
大晦日
21/33

第2話

翌日、片桐は僅かに重さの残る身体を引きずり、ガレージの奥にある鉄扉を開けた。

そこは居住スペースへと繋がっている。

建物は昭和の遺物のような、飾り気のない真四角のコンクリート造りだ。

一階の半分をガレージが占め、その横に六畳ほどの居間と、申し訳程度のキッチン、ユニットバスが押し込まれている。

居間の空気は冷え切っていた。

部屋の隅には旧式の石油ストーブが鎮座しているが、給油が億劫で久しく火を入れていない。

ただの鉄の塊と化したそれは、部屋の寒さをより強調しているようだった。

急な勾配の階段を見上げる。

二階には寝室があるが、いつからかそこはただベッドと埃が積もっているだけの空間になっていた。

独り身の片桐にとって、広すぎる空間は、かえって孤独を際立たせる。

結局、仕事場の匂いが染み付いたガレージのソファで寝落ちする方が、今の片桐にとっては安眠できるのだ。

スマートフォンを取り出し、六條へ短くメールを打つ。

『飴代を用意した。いつもの場所に来てほしい』

送信を終えると、片桐は壁に掛けられた厚手のトレンチコートを羽織った。

内ポケットには、以前徘徊者ワンダラーから回収したプラチナのネックレスとダイヤの指輪。

そして腰の後ろには、護身用のナイフだけを忍ばせる。

今となってはゲートタウンで馬鹿な真似をするような奴はほとんどいない。

しかしどこで何が起きるか分からないのが、この街なのだ。

居間を出る際、一瞬伏せてある写真立てに手を伸ばしたが、すぐに思い直した。

勝手口のドアを開け、外へと出る。

鍵を回す乾いた音が、寒空の下に響いた。

セキュリティはごく一般的なシリンダー錠が一つだけ。

初めこそある程度の厳重さを気にしていたが、この街で厳重な鍵をつけるのは「中に金目のものがある」と宣伝しているようなものだと気づいて止めた。

振り返れば、灰色の空の下、豆腐のような真四角のコンクリートの塊が佇んでいる。

外壁の塗装は剥げ落ち、雨風に晒されたコンクリートの地肌が、都市の墓標のように見えた。

その壁面には、かつて白いペンキで描かれた看板が掲げられている。

『REPAIR』

風化し、端が欠け、錆汁が垂れたその文字。

「何でも屋」として開業したにもかかわらず、自身の住処さえ修繕できていないその有様は、片桐自身の生き様を皮肉っているようでもあった。

襟を立て、吐く息を白く染めながら歩き出す。

地面は舗装などされておらず、泥と瓦礫で凸凹に荒れている。

そのせいでこの街での移動は徒歩に限られてしまう。

ここから街の中心部までは二駅分ほどの距離があるが、片桐にとっては歩き慣れた散歩コースだ。

見回すと、大晦日のゲートタウンは奇妙な熱気に包まれていた。

頭上を覆う曇天は鉛色だが、路地には裸電球やネオンが毒々しく輝き、どこからか流れる安っぽい電子音が反響している。

露店には怪しげな保存肉や、出所不明の機械部品が山積みにされ、客引きの怒号と値切る声が不協和音を奏でていた。

「……平和なもんだな」

もしも今、アビスの奥底で何かが起きていようと、すぐ側にあるゲートタウンの人間にとっては「今夜の飯」と「明日の銭」が全てだ。

その逞しさに安堵しつつも、片桐の視線は無意識に周囲を警戒していた。

ふと、景色の中に違和感を覚えた。

煤けたコンクリートと錆びた鉄屑の街並みの中で、そこだけが異様に「白」かったのだ。

それは『弥生いやおいことわり』の炊き出しテントだった。

清潔な割烹着を着た信者たちが、湯気の立つ寸胴鍋を囲み、長い行列を作る貧民たちにスープとパンを配っている。

周囲には、消毒液と、微かな香の匂いが漂っていた。

関わるべきではない、と片桐は瞬時に判断した。

過去、「焦熱惨禍」をただ一人生き延びた片桐を、弥生の理は執拗に追求してきた。

異能の精鋭たちが全滅したにもかかわらず、ただ一人生き延びたのが「無能力者」を自称する片桐だったからだ。

奴らにとって、それは奇跡ではなく容認しがたい「矛盾」でしかなかった。

『無能力者が、異能力者を差し置いて生き延びるはずがない』

故に、片桐は無能力者を装い社会を欺く、極めて悪質な「詐欺師」である――それが、彼らが片桐を執拗に追う理由だった。

片桐が視線を逸らして通り過ぎようとした、その時。

「本当にありがとうございます! 温かい食事なんて何日かぶりです!!」

聞き覚えのある、場違いに明るい声が鼓膜を震わせた。

片桐は思わず足を止める。

行列の先頭付近。

薄汚れた群衆の中で、そこだけスポットライトが当たったように小綺麗な男が、信者の手をとって感激していた。

有坂律ありさかりつ』だった。

彼は配給されたプラスチックの椀を両手で大事そうに抱え、信者に向かって深々と頭を下げている。

「このスープ、すごくいい匂いです!皆さんのような慈悲深い方々がいるなんて!この街はとても素敵ですね!」

純度一〇〇パーセントの善意と感謝。

だが、その「物言い」の端々には「こんな場所にいるはずのない人物像」が滲み出ている。

ただの施しを、まるでレストランでの食事のように受け取るその態度は、この街においてあまりにも無防備で、浮いていた。

信者たちが顔を見合わせ、値踏みするような冷ややかな視線を向けていることに、有坂だけが気づいていない。

「……ふぅ」

片桐は溜息を一つ落とすと、雑踏を掻き分けて有坂の元へと歩み寄った。

「こんなところにいたのか。捜したよ」

背後から声をかけると、有坂はビクリと肩を跳ねさせ、振り返った。

「あ! 片桐さん!」

片桐の顔を見た瞬間、有坂の表情がパッと華やぐ。

「お加減はもう大丈夫なんですか? 僕、先日事務所に伺ったんですよ 」

有坂は無邪気に笑う。

「……そう、か。だけど今は黙ってついてきてもらえるか?」

片桐は有坂の腕を掴み、強引に列から引き剥がした。

「え? ちょ、片桐さん? まだパンを貰ってないんですが……」

人目を避けるように無言で路地裏へと連れ込み、片桐は低い声で告げる。

「有坂さん、あそこには近づかない方がいい。『弥生の理』は君のような手合いを一番嫌っているから」

「嫌っている? どうしてです? あんなに親切にしてくれたのに」

有坂はきょとんとして、本気で理解できないという顔をした。

「彼らは『日本人の精神性』を説いていましたよ? 僕も少し話をしましたが、とても理性的で、徳の高い方々でした」

「……そういう面も、あるんだが」

片桐は溜息を殺す。

この男は、相手が笑顔で近づいてくれば、懐にナイフを隠し持っているとは微塵も疑わないのだろう。

そんな相手にはストレートに物事を伝える方がいいと判断した。

「奴らの教義を紐解けば、その根幹は『日本から穢れを排除すること』だ。アビスや異能力を、日本を汚す不浄なものとして敵視している。……君のように異能力者だということがバレれば、何をされるか分からない」

「えっ」

有坂の顔色が、さっと青ざめた。

「で、でも、そんな悪い人達には見えませんでしたけど……」

「もちろん、ただの信者には善意しかないかもしれない。でも『弥生の理』というのはそういう組織だということだよ。有坂さんのいたところも、裏と表があっただろ?」

片桐は有坂の手にあるスープを顎でしゃくった。

「捨てる気がないならすぐに飲んでくれ。……さっさと移動したほうがいい」

「は、はい……!」

有坂は慌ててスープを飲み干そうとして、熱さにむせ返った。

その姿を見ながら、片桐は改めて思う。

この男は、この街で一人にしておいていい生き物ではないのかもしれない、と。

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