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REPAIR  作者: 明星
猫探し
2/19

第2話

片桐は「ラスト・オーダー」の重い扉を押し開け、ゲートタウンの夜気に踏み出した。

酒場の乾いた空気とは対照的な、湿ったコンクリートと、アビスから流れ出る腐敗した微細な有機物が混ざり合った、粘性の高い臭いが彼の鼻孔を打った。

路地裏は、過去の栄華の残滓で溢れていた。

かつての歓楽街を示す華やかな看板は、錆と泥に覆われ、アビス・ストーンの影響で不規則に明滅する水銀灯が、世界をストロボのように不気味に照らしている。

彼は舗装のひび割れを踏まないように、無意識に足の置き場を選んで歩いていく。

短い電子音を確認した片桐はゴーグル型のデバイスを額から下げると、眼前には六條から送られてきた位置情報を元にした目的地までのルートが、周辺の建物の間を縫うように表示された。

これも過去、R.I.N.G.S.に所属していたときに使用していたデバイスの一つだ。

異能力が発現していない身で、それでも調律者コントローラーとしてダイバー達を補助していた頃、片桐は様々なデバイスを用いてルートの案内や物資の運搬などを担当していた。

そんな彼が向かっているのは、かつてファイブ・リングスの関連企業が使用していた廃ビルの地下駐車場であった。

その入口は、鉄骨が剥き出しになったコンクリートの塊で半分ほど塞がれており、その周囲には何の為に作られたのか分からない手製の道具や、空になった保存食の缶が散乱している。

片桐は入り口の手前で立ち止まり、ズボンのポケットから取り出した指抜きグローブを装着し、腰に手を当てて所持品を確認する。

腰の左右には短剣が一本ずつ、そして後ろには大きめのウエストバッグが取り付けられている。

バッグの中にはいくつかの小型デバイスと財布とロープ。

片桐はロープだけ取り出すと、二本の短剣とウエストバッグは入り口の陰へと放り投げた。

(少し飲みすぎたな)

足元はしっかりしているつもりだが、先ほどから頭痛が酷い。

だがいつもの「発作」は落ち着いている。

片桐は壁のひび割れに沿って、その地下へと続くスロープを下りていく。

地下は外気とは異なり、水が滲み出し、カビと鉄の臭いが混ざり合った、濃密な湿度に満たされていた。

彼は静かに息を整え、闇と水滴の音の中に自身を溶かし込む。

(あれだな)

スクレイパーたちは、奥まった一角で、廃車のボンネットをテーブル代わりにし、頼りないLEDランタンの下に散らばっていた。

全員が疲弊しきった顔をしているが、その目は常に闇の先を警戒している。

(全部で八人、か)

廃車の周りに一見すると五人。そして離れた場所に見張りで二人。

だが注意深く観察すると魔物の入れられた檻の傍にもう一人、屈んでなにかをしている。

過去、共に仕事をしたダイバーの中には「研ぎ澄まされた『視覚』と『聴覚』」をもつ双子の女性がいた。

彼女らに教わったのは「いないだろう」という先入観を真っ先に捨てろ、ということだった。

(例えが古臭い、と随分馬鹿にされたっけな)

当時片桐は双子の教えに対して「かもしれない運転、ってことだな」と返したのだが、年齢の差のせいなのか、あの双子には理解してもらえなかった。

(さて)

片桐は、まず監視の要所を担っている二人組を標的とした。

ゴーグル型のデバイスに搭載された小さなボタンを押して、彼は影と壁の間に立ち、二人が最も注意を途切れさせる瞬間を待つ。

しばらくすると一人が腹を押さえだし、「今日の缶詰、どうやら傷んでたみたいだ」と低く呻いた。

「だから拾い食いはやめておけと言ったろ?」

もう一人のスクレイパーは心配する素振りは見せず、「いいから座ってろよ」と乱暴に足元の鞄を蹴って寄越す。

「わりぃな」

腹を痛めたスクレイパーが鞄の上に腰を下ろした、次の瞬間。

片桐は素早く無音で闇から飛び出ると、座った瞬間のスクレイパーの首にロープを掛けた。

(三……二……一……ゼロ)

片桐の脳内のカウントに合わせて、スクレイパーは全身から脱力して地面にずり落ちる。

「あ、おいおい、大丈夫かよ」

片桐は逡巡する。

例えば、その動きにもう一人のスクレイパーが反応した場合、果たして彼はどのようにして倒れたスクレイパーへと振り向くのだろうか。

そんな予想は、片桐にとってはとても容易いものだった。

片桐は体勢を低くしたまま、予想通りに生まれたその死角へと体を滑り込ませる。

そうして男が倒れた仲間に反射的に駆け寄ろうとした瞬間に合わせて、片桐は背面からロープを首に絡ませて、ペアストレッチの要領で背中合わせにスクレイパーを持ち上げた。

片桐は再び、冷静にカウントを進める。

ゼロのタイミングに合わせ、スクレイパーの手足がダラリと垂れ下がった。

ズルリ、と片桐がスクレイパーの体を地面へと横たえる。

(気づかれては…いないな)

地下駐車場の空気に変化は現れていない。

「大丈夫だ」

と片桐は自分に言い聞かせるように呟くと、再び影の中へと姿を溶け込ませたのであった。

残り、六人。

暗い地下駐車場の中を慎重に進む。

残りの連中の居場所は既に確認できている。

彼らは廃車のボンネットを囲み、LEDランタンの心許ない光に照らし出されているからだ。

彼らは警戒心こそ高いのだろうが、監視役の二人が消えたことにはまだ気づいてすらいない。

(まずは散らさないとな)

片桐の脳裏では、無意識に調律者コントローラー時代の膨大な経験が思い出されていく。

この地下は彼らにとって仕事場でもあり、憩いの場でもあるはずだ。

だからこそ、慣れた環境の「異常」には敏感に反応するだろう。

片桐は腰を落とし、湿ったコンクリートの上を、滑るように移動する。

手元には、通路に落ちていた小さな鉄片と、保存食の空き缶が一つ。

片桐は、スクレイパーたちの視線とランタンの光が届かない奥まった廃車の影から、彼らのいる場所の「対角線上の遠い壁」へ向けて空き缶を滑らすように放った。

カシャンカシャン、という乾いた金属音が、水滴が滴るだけの静寂の中で不気味に響く。

「なんだ?」

一人が反射的に立ち上がり、闇を睨んだ。

「今日は俺たちの他に誰も来ないはずだよな?」

スクレイパー達の間に緊張が走る。

そして片桐はすぐに二波目の陽動を実行した。

今度は、さらに遠くの錆びた廃車に向けて小さな鉄片を勢いよく投げつけたのだ。

キンッという、より金属的な音が「慌てて動いた何かがぶつかった音」を演出した。

「やっぱり誰かいるぞ!」

「捕まえろ!」

彼らは完全に動揺していた。

「タカとマコト、お前ら二人はそのままそこで見張ってろ! 俺達が戻らなければそいつを処理してさっさと逃げろ!」

リーダー格の男はそう言い放つと、三人を引き連れ、率先して音のなった方へと駆け出した。

計画通り、六人の集団は四人と二人に分断された。

片桐は、残った二人が仲間の消えた方向を見続けている中、静かに彼らの後ろへと回った。

(随分と若いな)

まだ二十歳にも満たない様に見える。

だがだからこそ、彼らはここに残されたのだろう。

水が滲みカビの臭いが濃いこの場所は、もはや彼らにとっては何の変哲もない場所だろう。

(だけど、不憫に思うには、今はもうありふれた話だ)

片桐は立ち尽くす二人の若者の後ろで立ち上がり、両者の肩に手を置いた。

「ひっ!」

驚いた片方の男が大きく横に跳ね、もう一人は慌てて後ろを振り返ってきた。

その瞬間、片桐は体重を乗せた掌底を顎先に打ち込んだ。

直後、意識を断ち切られた若者はガクンと膝から崩れ落ちる。

そしてその様に気を取られたもう一人の若者も、片桐は同様に処理をした。

そして気を失った二人を引き摺り、片桐は先ほどまでいた廃車の陰へと隠す。

残り、四人。

暗闇から戻ってきた四人は、口々に文句を言っていたが、仲間の二人が消えたことに明確な恐怖を感じ始めていた。

彼らはランタンを持ち上げ、周囲を照らす。

しかしその先は完全に無音で、彼らに見慣れた風景しか広がってはいなかった。

「あいつら、やられちまったのか…」

「ダイバーやT.A.M.O.の連中はこんな回りくどいことはしやしねぇ…」

各々が悪態をついている。

片桐は息を殺し、相手の出方を伺っている。

(さて、このまま様子を見ていてもいいのだが…)

コンディションを整え、相手のすべてを見通している片桐にとって、持久戦は苦ではない。

しかし相手方はそうではないはずだ。

日常に突然訪れた恐怖。

何の準備もしていないところを襲ってきた謎の存在。

それらの要因によって混乱し始めた四人は、昏倒させた者たちが目を覚ます前に攻め入る隙を作るはずだ。

(だが念の為、もう一押ししてみるか)

片桐は調律者コントローラーとしてダイバーたちに同行していた際、様々な雑務を担っていた。

だがそれは単なる雑務ではない。

その作業一つ間違えることでパーティが壊滅する可能性をも秘めた、非常に重要な仕事であった。

これもその、雑務の中で鍛えられた技術の一つだった。

片桐は息を吐き、そして止めた。

足元の少し大きめの石を掴むと、タイミングを見計らい、スクレイパーが掲げるLEDランタンめがけてそれを投擲したのだ。

パァン!とガラスの砕ける鋭い音と、回路がショートする短い火花を残し、地下駐車場は完全な闇に包まれた。

ランタンの代わりに、スクレイパーたちの混乱した叫びが響き渡る。

「くそっ! ライトは!? 他にライトはねぇのかよ!!」

「見えねぇ! 何も見えねぇよ!」

彼らは目が慣れた光を失い、一気に感覚遮断のパニックに陥っていた。

ここまで混乱してくれるのならば、彼らが闇に慣れる前に決着をつけるのもいいだろう。

片桐は、地面の湿気を利用した。

彼は低い姿勢で、音を立てずに床を滑るように接近する。

闇の中では、相手の息遣いや衣服の擦れる音が、精度の高い情報となる。

片桐はそんな情報を参考にし、まずは最もパニックになって手探りで懐中電灯を探している二人に接近した。

一人が灯りを探して腰をかがめた瞬間、片桐は彼の顎に指を引っ掛けて強引に上を向かせると、僅かに腰の浮いた男の顎先を目掛けて横から掌底を放った。

そして止まることなくもう一人の後ろへ回り、その首筋に細いロープを巻き付ける。

顎先の揺れと頚部への圧迫による失神は、どんなに鍛えた人間でも抗えない。

一瞬のうちに二人の意識を切り取った片桐は、見つかる前に再び闇の中へと姿を隠した。

残り、二人。

そのうち一名はパニックに陥り、這々の体で壁側へと移動し、頭を抱えて震えている。

(むしろああいうのが一番困るんだよな)

片桐は頭を掻く。

こちらに向かってくる相手であればいくらでもやりようがあるが、亀のように縮こまられると手の出しようがない。

片桐がちらりともう一人を見やると、彼は暗闇の中で堂々と立っていた。

(あいつが、リーダーか)

その判断が容易であれば、それはそれでありがたい。

あの男を倒せば、壁際で震える男の処理は随分と楽になるだろう。

「さっさと出てきたらどうだ!」

片桐がそんな事を考えていると、リーダー格の男は空気が震える勢いで叫んだ。

「俺にとって暗闇は何の障害にもならない。今のお前の動き…見えていたぞ!」

男は大きな剣鉈を構えながら、片桐の隠れる廃車の陰を睨んでいる。

(なるほど。なかなか有用な異能力ちからを持ってるじゃないか)

彼がアビスに潜るダイバーであれば、その力を人々の役に立てることも、十分にできただろう。

しかし。

(今ここでネタバラシをするのは、悪手としか思えないな)

だからこそ彼はスクレイパーなんかに身をやつしているのかもしれない、そんな思いを片桐は抱かずにはいられなかった。

「分かった。今から出ていくよ」

いきなり襲ってくるなよ、と冗談交じりに告げながら、片桐は廃車の陰から身を乗り出す。

(お前と話をするつもりはないからな)

と片桐は先手を打つ。

「俺が何者かを言うつもりはないし、お前達が何者なのか知りたくもない」

俺はただ、と地下駐車場の隅に設置された檻に向かって顎をしゃくる。

「そこの猫ちゃんの回収を頼まれただけなんだ」

だがどうやらその言葉は、リーダーの感情を逆なでしてしまうものだったらしい。

「そうか。これ以上の問答が無用なのであれば…」

さっさと死ね、と叫び、リーダーは勢いよく地面を蹴ったのであった。

剣鉈が風を切り、片桐のいた空間を縦に引き裂いた。

それは闇の中での一撃とは思えないほど正確だったが、片桐はわずかに後ろへ身を引くことで、刃の風圧だけを受けるに留まった。

(確かに、見えているようだ)

片桐の脳裏には、過去、最強の「目」を持つダイバーと行動を共にしていたときの記憶が鮮明に甦っていた。

そのダイバーがどう動いていたか、どう攻撃を避けていたか、そして何を見落として命を落としたのか――その膨大な記憶が、この一瞬で自動的に思い出される。

(異能力に頼り、暗闇の中で見えているというその傲慢さが、お前の動きを単調にしている)

リーダーは、片桐が剣鉈を紙一重で避けたことに驚きつつも、すぐに次の横薙ぎを放つ。

片桐はそれを両の手だけで軽くいなすと、逆にリーダーの懐へと潜り込んだ。

「ちっ!」

リーダーは剣鉈の柄頭で片桐の頭を砕こうと即座に剣鉈を持ち替えた。

片桐はその一撃に対し、体幹を低く沈ませ、体重を乗せた掌底を剣鉈を持つリーダーの手首へと打ち込んだ。

ゴッ!と骨と骨がぶつかる鈍い音。

掌底を受けた拳は無理やり半ばまで開かれ、その結果、剣鉈の軌道がわずかにずれた。

片桐の肩をかすめたのは、刃の風圧だけだった。

「なっ……」

一撃を外したことで生じた、リーダーの動きの淀み。

片桐は、その一瞬の淀みを見逃さなかった。

片桐は懐に潜り込んだまま、腰を深く落とし、リーダーの足首あたりへと細いロープを引っ掛ける。

そして、そのまま全体重を後ろへ預けて、勢いよく倒れ込んだ。

リーダーは、暗闇の中で完璧に立っている自信があったにもかかわらず、地面との接点を突然失った。

彼の「目」は周囲の状況や、遠くの片桐の動きを追えても、自分の足元で起きたごく小さな動作までは捉えられていなかったのだ。

「グッ……!」

ガシャン!と、リーダーは剣鉈を放り出し、豪快に背中から、湿ったコンクリートに叩きつけられた。

「暗闇の中で見えているのはな、俺も同じなんだ」

地面に仰向けになったリーダーが一瞬首を起こしたタイミングで、片桐はその首にロープを巻きつける。

彼の自慢の「目」には、自分に馬乗りになった片桐の顔が見えているだろう。

その顔には、見慣れないゴーグルが装着されている。

「そもそもな、そんな異能力ちからに頼らなくても、こういう機械は昔からあったんだよ」

そう言いながら、片桐の脳内では冷静なカウントダウンが始まる。

カウントがゼロになるのに合わせて、リーダーの体からは力が抜け、彼の「目」は閉じられたのだった。

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