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REPAIR  作者: 明星
クリスマス
14/19

第6話

レンは震える手でタツヤを壁際に降ろした。

コンクリートの壁に寄りかかったタツヤは、糸が切れたようにぐったりと首を垂れる。

その身体は、服の上からでも分かるくらい熱を持っている。

「あぁ……もう、やだ……」

ミホが膝を抱え、子供のように嗚咽を漏らし始める。

出口はなかった。

助けもなかった。

あるのは、風の音と、暗闇と、先人の遺体だけ。

レンはそれを凝視した。

肉が腐り落ち、骨だけになった姿。

このままここにいれば、自分たちもいつかああなるだろう。

(そんなのは……嫌だ)

拒絶の感情が、レンの中に芽生えた。

このままただ座って、死んでいくのを待つのは御免だ。

生きるために、やれることは全てやらなければならない。

敵がいれば戦い、口にできるものは何でも口にする。

そして、死人の持ち物だって奪うのだ。

レンは恐怖で震える膝を叱咤し、ふらつく足取りで遺体に近づいた。

「レン、何して……」

ミホが嫌悪感を露わにするが、レンは止まらなかった。

何か、この最悪な現状を打破する何かが欲しかった。

腐りきった衣服のなかに、何か硬いものを感じた。

汚れるのも厭わず、手を突っ込み取り出したのは角の擦り減ったオイル切れのジッポだった。

何の役にも立たない、とレンは肩を落とす。

それでも。

「……ごめんなさい」

役に立つ時がくるかもしれない。

レンは小声で呟き、それを自分のポケットにねじ込んだ。

「……み、水……」

タツヤが喘ぐ。

レンはハッとして周囲を見渡した。

壁の亀裂から地下水が染み出し、床に水溜まりを作っている。

だが、どうだろうか。

飲めるような代物ではない気がする。

「……タツヤ」

レンは頼りなさげにタツヤの意見を待つ。

他に選択肢などないことは分かっている。

だが果たして、こんな物を口にしてもよいものだろうか。

そんなレンの不安に対して、タツヤは自らのマスクを無理やり外すことで意思を表した。

レンも震える指で、己のマスクの固定具に手をかける。

「……っ……!」

しかし全然外れる様子がない。

「ノリ」のためにと、自分で何重にも巻きつけた『MERRY X'MAS』のテープが、バックルの爪を完全に埋めてしまっていた。

互いに濡れた指先とテープでは、その端すら掴めない。 

レンは爪を立て、必死でテープを削る。

『X'MAS』の文字が歪んで剥がれていく。

喉が張り付くように渇いているのに、このふざけたテープ一枚のせいで水が飲めない。

苛立ちで声を張り上げてしまいそうになるのを必死に耐えながら、何度もテープをこする。

ようやくテープが千切れ、バックルが弾けた時には、爪の間から血が滲んでいた。

レンはマスクの顎部分に指をかけ、粘着剤でベタつくそれを無理やり引き剥がした。

「うっ……!」

レンは思わず顔をしかめ、呼吸を止めた。

これまで隙間から漏れ入ってきていた異臭とは、次元が違った。

フィルターという最後の防壁を失った途端、暴力的なまでの悪臭が鼻腔を蹂躙したのだ。

腐った肉、カビ、排泄物、澱んだ水、そして超微細粒子ノイズの甘い匂い。

それらが混ざり合った濃厚な異臭が、喉の奥まで纏わりついてくる。

吐き気を催すほどの不快感に、胃が痙攣する。

だが、それを上回る渇きがレンの理性をねじ伏せた。

背に腹は代えられない。

「ほら、飲んで」

レンは浅い呼吸で耐えながら、タツヤの口元に汚水を運んだ。

続いてレンも、水を掬い直し、自分の口に流し込んだ。

鉄錆とカビの味が口いっぱいに広がる。

だがそんなことを気にするつもりは、もうなかった。

もう一度、水を飲む。

「私は飲まないからね!」

ミホはマスクをつけたまま頑として動こうとしない。

好きにすればいい、そう思いながらレンは口元を乱暴に拭う。

「……っ、はぁ、はぁ……!」

直後、レンはこの場の空気にこれ以上耐えられなくなり、慌ててマスクを被り直した。

直前まであれほど鬱陶しかったゴム臭い空気ですら、今は唯一の安全地帯に思えてくる。

レンは震える手でバックルを押し込んだ。

だが、どれだけ強く押し込んでもハマる気配がない。

無理やり剥がしたテープの残骸――安物の粘着剤とビニールの切れ端が、バックルの爪の隙間にねっとりと絡みついているのだ。

しかしレンは構わず、力任せに留め具を押さえ込む。

もう一秒たりともこの空気に触れたくなかったからだ。

グジュリ、と嫌な音がした。

金属の部品が、柔らかい異物を深く噛み込んだ感触。

結果としてベルトはビクともしないほど強固に固定された。

レンは、安堵した。

「ほら、タツヤも……」

レンはタツヤへマスクを差し出した。

悪ノリの塊のようなマスクの中は不快だが、こんな地獄のような空気を吸い続けるよりはずっとマシなはずだ。

しかし不思議と、タツヤは受け取ったマスクを被ろうとしない。

膝の上でそれを握りしめたまま、じっと入り口の先を見据えている。

そんなタツヤを訝しみながら、一息ついたレンは、再び遺体に目を向けた。

違和感があった。

左腕の骨だけが、根元から無いのだ。

「……レン」

不意に、タツヤが掠れた声で呼んだ。

「な、なに? マスク、つけないと……」

「……シーッ」

タツヤが唇に指を当てる。

「……何か、来てる」

言われて、レンは息を止めて耳を澄ませた。

マスク越しでは聞き逃していた微かな異音に、ようやく気がついた。

ぺた…ぺた…ぺた…と湿った何かが、歩く音。

「また徘徊者ワンダラーかな?」

レンの問いにタツヤは答えない。

レンはナタを握りしめ、ケーブルの密集する入り口を睨みつけた。

心臓が早鐘を打つ。

せっかく休めそうな場所を見つけたのだ。

何としてもここを守りたい、レンはそう思った。

例え相手がまた、あの不快な徘徊者ワンダラーだとしても、今なら戦えそうな気がする。

そして、闇の奥から「それ」は姿を現した。

人の形をしていた。しかし。

徘徊者ワンダラー………じゃ、ない」

その様相はこれまでに見たどの魔物とも明確に違っていた。

身長は二メートル近い。

ライトに照らされたその全身は、質の違う肉と皮膚でパッチワークのように継ぎ接ぎされていた。

顔から目鼻は削ぎ落とされ、ただ縦に裂けた巨大な縫い目だけがある。

身体には本来必要のない手足が数本、適当な場所に乱雑に縫い付けられている。

そしてその不格好な怪物の左肩には、サイズも肌の色も合わない、ひどく痩せ細った腕が縫い付けられていた。 

あれは恐らく、ここにある遺体の、失われた左腕だ。

「なに…あれ」

予想していたものとのあまりの差異に、レンは体から力が抜けていくのが分かった。

「……逃げろ」

低い声がした。

「え?」

タツヤが瓦礫を支えにして、ふらふらと立ち上がる。

折れた足の状態はもう限界を迎えているはずだ。

「タ、タツヤ、無茶だよ! 座ってて!」

「いいや、レン。これ以上はもう……無理なんだよ」

よろめきながら近づき、タツヤはレンの手からナタを強引に奪い取った。

その目には、諦めではなく、暗く静かな殺意が宿っていた。

「お荷物抱えて全滅することはねぇ。お前たちだけでも生き延びてくれ」

「でも!」

レンの言葉を、タツヤが遮る。 

「ミホのこと、頼むな」

タツヤは魔物へと振り返ると、愛用の武器を構えて一歩踏み出した。

その後姿は、決死の覚悟を物語っていた。

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