表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
REPAIR  作者: 明星
クリスマス
11/19

第3話

階段を降りるにつれ、空気が生温かく変化していくのがわかった。

冬の乾いた空気ではない。

まるで熱帯植物園に入った時のような、湿り気を帯びた空気。

(これが、ノイズ……)

レンはマスク越しにその赤い霧を見た。

ライトに照らし出された地下鉄のホームには、粒子状の赤い霧が薄く立ち込めている。

崩れ落ちた券売機。

白骨化し、衣服だけが残った者の眠る駅員室の残骸。

天井からぶら下がる蛍光灯。

それらすべてが、赤いフィルターを通したように非現実的で、まるで異世界にでも迷い込んだかのような違和感を覚える。

「うわ、すっげ……映画のセットみたい」

「おい見ろよこれ! まだ電車が残ってるぜ!」

カケルがホームの端に放置された車両の残骸に駆け寄る。

ダイキとタツヤもライトを振り回してはしゃいでおり、ミホはそれを見て笑っている。

レンもまた、スマートフォンを取り出して写真を撮った。

画面の中の自分たちは、まるで何かの物語の主人公になったようで、少し誇らしかった。

これをSNSに上げれば、イイネの通知が止まらなくなるんじゃないか?

そんな浅はかな期待が、皆の警戒心を麻痺させていく。

そんな中、ただ一つだけ奇妙なことがあった。

音が、響かないのだ。

いや、響いてはいる。

だが本来のこの場所からは想像できないほどに、反響していないのだ。

はしゃぐ彼らの声が、赤い霧に吸い込まれるように、すぐに消えてしまう。

「ねえ、ちょっとここ、気持ち悪いよ……もう帰ろう?」

さんざん笑っていたミホだったが、徐々にアビスの雰囲気に飲み込まれ始めていた。

だが、その声はマスク越しにくぐもり、高揚した男たちの心までは届かない。

「平気だって。なんか出たらダイキが吹き飛ばしてくれるしな!」

「おうよ。任せとけ」

ダイキが腕をまくってみせる。先ほどのワンダラーとの一戦の記憶が、自らを最強の戦士だと錯覚させていた。

その時だった。

「あー、わり。ちょっとションベン」

カケルが股間を押さえながら言った。

来る前にビールを散々煽っていたせいだろう。

「お前、こんなとこで?」

「しょうがねえだろ。向こうのトイレ借りてくるわ」

カケルはヘラヘラと笑うと、護身代わりのバールを片手に、ホームの奥――闇が濃くなっている方へと歩き出した。

ヘッドライトの光が、赤い霧の向こうへと、揺れながら遠ざかっていく。

「早くしろよー、置いてくぞー」

ダイキが冗談めかして叫ぶ。

「へいへい」と手を振るカケルの背中。

何気ない瞬間の、何気ないやりとりだと思っていた。

しかし、一向に戻ってくる気配がない。

誰もいないホームに、地下水が滴る音だけが、闇の底へと吸い込まれていく。

「……遅くね?」

タツヤが不安そうに呟く。

レンもまた、胸騒ぎを覚えていた。

静かすぎる。

用を足す音も、足音も、何かにつまずくような音もしない。

ただ闇が、そこに鎮座している。

「おーい、カケル! ふざけんなよ!」

ダイキが苛立ち交じりに声を張り上げる。

だが、返事はない。

霧に食われた叫び声が、虚しく消えていくだけだ。

「……俺、ちょっと見てくるわ」

さすがに心配になったのか、ダイキが舌打ちをして歩き出した。

レンたちも自分達だけでこの場に残されるのを恐れ、ダイキの後ろをついていく。

壁面に残った広告は湿気でドロドロに溶け落ち、かつての幸せそうな家族モデルの笑顔が、赤黒いシミとなって垂れ下がっている。

足元のタイルは至る所が剥がれ、その下から覗くコンクリートは、奇妙にぬめっていた。

ホームの奥、暗い入り口の横に男子トイレのマークを見つけた。

だが小便器の場所にはもちろん、扉を開けた大便器のところにも、カケルの姿はなかった。

いや。

「……これ」

レンが足元を照らすと、鉄の棒が転がっていた。

カケルが大事そうに持っていた、赤錆の浮いたバールだ。

それがトイレの個室の中に、ぽつんと落ちている。

しかし周囲に争ったような形跡はない。

血痕も、ない。

ただ、持ち主だけが静かに消えている。

「うそ、だろ……?」

タツヤの声が震えた。

急激に、酔いが醒めていく感覚。

楽しいパーティ会場だと思っていた場所に、突然、得体のしれない悪意が混ざり込んできた。

背筋を冷たい汗が伝う。

「とりあえず、出るぞ」

四人はトイレを出て辺りを見渡す。

直後。

突然、暗闇の先から音がした。

ゆっくりと、規則的に、砂利を踏む音。

全員がビクリと肩を跳ねさせ、一斉にライトを向けた。

音は、ホームの下――線路の暗闇から聞こえてくる。

光の束が闇を切り裂くが、その先には何も見えない。

……魔物か、と皆が警戒する中、光の届かなくなるギリギリの場所から、人影がヌッと染み出すように浮かび上がった。

「……なんだよ、ビビらせやがって!」

そこにいたのは、カケルだった。

線路の暗闇の中から、ゆらりと姿を現した。

見間違えるはずのない、見慣れた服装だ。

「おいカケル! どこ行ってたんだよ、マジで焦ったじゃねえか!」

ダイキが怒鳴りながら、安堵の息を吐く。

レンもまた、へなへなと座り込みそうになった。

なんだ、ただの悪ふざけか、と。

タツヤが「お帰り」と声をかけながら、カケルの顔にライトを当てた。

その瞬間、時間が凍りついた。

「…………え?」

カケルの頭部。

そこにあるマスクのバイザーが、粉々に砕け散っていた。

そして、露出したカケルの頭に、まるでおぶられているかのように「何か」がしがみついていた。

それは、幼児と工業廃棄物を融合させたような、異形の寄生体だった。

被覆の剥げた銅線の産毛に覆われた幼児の手足が、カケルのこめかみと首筋へ、深く深く食い込んでいる。

そして――カケルの首の後ろ、寄生体の尾骶骨にあたる部分から伸びた蛇腹状のチューブのような器官が、カケルの頬の横を湾曲しながら通り、強引にこじ開けられた口の中へと侵入していた。

さながら動力パイプのように連結されたその姿は、生物的な生々しさと、無機的な冷たさが同居する、死んだ都市が産み落とした悪そのものだった。

「カ、ケル……?」

カケルは――あるいはカケルだったモノは、虚ろな動きで首をかしげた。

頭にしがみついた寄生体の手足が乱暴にカケルの頭部を揺さぶる。

直後、口にねじ込まれたチューブ部分が伸縮し、カケルの声帯を外部から乗っ取るように強制的に震わせた。

「……メ、メリ……」

ギギ、ギ、と不快な摩擦音が、言葉らしきものを紡ぐ。

「……クリ……ス……マース」

死者から投げかけられる、祝いの言葉。

次の瞬間、カケルの体が人間には不可能な角度で前傾し、弾丸のように飛び出してきた。

「うわあああああああ!!!」

誰の悲鳴だったか分からない。

タツヤの目の前で、レンが壁へと突き飛ばされた。

寄生されたカケルが、獣のような唸り声を上げて暴れ始める。

「ダイキ! やれ! 吹き飛ばせ!」

タツヤが叫ぶ。

「ヒッ……!」

ダイキは顔面蒼白で、震える右手を突き出した。

だが、その腰は引けている。

相手は友人だ。

いや、その事実以上に――目の前の化け物が、自分を殺しに来るという現実が、彼の思考と動作を断ち切っていた。

「く、来るな! 来るなあああ!」

ブン!!

放たれた『衝撃』は、カケルの手前で霧散する。

恐怖で距離を取りすぎたのだ。

圧縮された空気は、標的に届く前に拡散し、ただの生温い風となってカケルの前髪を揺らしただけだった。

「……は?」

ダイキの目が点になる。

この距離では必殺の一撃が、通じない。

近づかなければならない。

近づけるのか?

あんな動きをする魔物に?

「……無理、だろ」

その事実は、彼の中の全能感を一瞬で粉砕した

「ひっ、あ……い、いやだ……!」

ダイキの顔が、恐怖で子供のように歪む。

「死にたくねえ! 嫌だぁぁぁぁ!!」

金切り声を上げて踵を返す。

彼は邪魔なタツヤを力任せに突き飛ばすと、仲間へ背を向け、一目散に逃げ出した。

リーダーのあまりにも醜悪な逃走は、全員の理性を焼き切った。

レンたちも判断力を失い、我先にとホームの奥へと雪崩れ込んでいく。

そこには『DANGER 立ち入り禁止』と書かれた黄色いテープが貼られていたが、恐怖で視野の狭まった彼らの目には入らない。

十数メートル走ったところで、足元から嫌な音がした。

ダイキの乱暴な足踏みが引き金となり、長年の湿気で腐食していた床全体が限界を迎えたのだ。

蜘蛛の巣状の亀裂が一瞬で走り、世界が底抜けた。

轟音と共に、広範囲の足場が消滅する。

不意の浮遊感が胃袋を襲う。

レン達の体は、瓦礫と共に暗闇へと吸い込まれていった。

その落下の中で、最後に見たのは、崩れゆく天井からこちらを見下ろすカケルの姿。

頭にしがみついた幼児が、楽しげに笑っていた

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ