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藪犬なぐり書き随筆

窓際の虫

作者: 藪犬


 一月二十三日、窓から外を見ると遠くは曇っていたが、近くは燦然(さんぜん)と輝いていた。

 私は怠惰な体を起こし、飯を食べに出かけた。


 暫く歩くと、一軒の店を見つけた。綺麗だが狭そうだと思った。他の客が一人しか居ないのが気になったが、特に考えなしに入った。店の中は暖かかった。

 店員が窓際の席まで案内して、そこで漸く蕎麦屋だと分かった。メニュー表を広げ、天ぷらそばを頼んだ。

 私は財布だけしか持ってきていなかった為に、手持ち無沙汰になった。ぼんやりと机を眺めていた。すると、その机の真ん中に一匹の小さな虫が止まった。

 虫は少し止まると、窓に向かって飛び立った。水垢の付いた綺麗とは言いがたい窓に体を止めては、また飛ぶのを繰り返していた。何の関心も抱かずに、私はただ見ていた。


 私は飽きて目を逸らした。逸らした先には、死体があった。窓の下枠は蚊や小バエ、その他諸々の死があった。

 不愉快な気持ちになって、窓の外を見ようとした。しかし、さっきの虫がうるさく飛んでいた。

 私は虫を目で追いながら考えた。この虫も同じように、死体になるのだろう。数日かそれとも数週間、いや今日中にも。窓際で身をもだえさせ、外に出たとしてもやはり死ぬ。一体外に何があるだろう。厳しい寒さが、お前を殺してしまうのに。それなのに、飛び回っている。なぜそうも飛び回っているのだろうか。

 私がここまで考えると、脳に突如としてこんな言葉が浮かんだ。

 

 私とこいつは一緒だ。こいつは窓際で藻掻き苦しみ、私は社会の隅っこで藻掻いている。一体何が違うというのだろう。こいつは雌と交尾も出来ず、数日後には蚊やハエの死体と糞の中に落ちて短い生涯を終える。私も交尾もせず、何も成し遂げないまま明日死ぬ有象無象の中にいるかもしれない。

 しかし私よりも、こいつは全力で生きている。

 こいつは悔いの残らないよう、精一杯飛んで見えない壁にぶつかっている。私は、何もせず自堕落に生きているだけではないか。こいつのようにいつ死んでも構わないように生きていない。私は運良く人間に生まれてきただけであって、こいつを愚かだとか惨めだとか思うことはできない。私は人間に生まれてきたというのに、この虫よりも生きることに純粋ではない。ただ今日生き残るために生きているこの虫を、どうやってぼんやりと生きているだけの私が馬鹿にすることが出来るのだろう。

 私も本来はこうあるべきではないだろうか。未来の事を考えて億劫になるよりも、ただ今に全力を出して生きるべき何じゃないだろうか。こいつも私も死ぬまで藻掻かなくてはいけないのだ。


 私の目にはもうこの虫は、ただの虫では無かった。ただ飛び回るだけの虫では無く、一つの純粋な生命だった。

 私は深い感動と共に窓を開けた。虫は白い羽を広げ、外に飛び出していった。冷ややかな風が狭い店内を循環した。

 

 × × ×


 天ぷらそばを食べ終え、腹の中に温もりを感じながら、店を出た。

 あの虫がどうなるかは知ったことではないが、ただ出来るだけは生きて欲しいと思う。

 

 

 

 

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― 新着の感想 ―
日常的に見過ごす場面について、これほど考えておられる部分に『哲学』な表情が見栄隠れしていました。 虫とご自身とを対にする文面には、深さが感じられます。
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