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[旧版]神の一皿は勝利を約す ~魔法料理が繋ぐ、料理人と王子の無二の絆~  作者: 五色ひいらぎ
6章 貴人哀悼

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炎竜王の遺産

 霜熱病(そうねつびょう)。名は聞いたことがあった。

 はじめに高熱が出て、やがて皮膚に霜のような白い病巣が現れる。運が良ければ、それ以上進行せず治ることもある。だが病魔に抗するだけの体力がなければ、病巣は全身に広がり、やがて肺に達して死に至る。

 しかも性質の悪いことに、この病は人から人へ感染する。籠城中に霜熱病が蔓延し、戦う前に街が壊滅した例もいくつか聞き及んでいる。早急に対処が必要だった。

 エティエンヌの寝室へは、侍医一人とジャックを除く人間の立ち入りが一切禁止された。ルネも例外ではなく、意思を伝える手段は、ジャックに言伝を頼むか書面を用いるか、いずれかしかなくなった。

 寝室に隔離されて最初に、エティエンヌが寄越してきた書状の内容は以下のようなものだった。


『一つ、第九・第十区画を封鎖せよ。その他区画との人員の往来を最低限に制限せよ。

 一つ、封鎖区画の市民のうち、発病済の市民とそうでない市民を隔離せよ。両者の接触をできるかぎり減らせ。

 一つ、その他区画の傷病院について、状況を注視せよ。霜熱病と疑わしき症例があれば、速やかに報告せよ。

 一つ、病に関する情報はすべて市民に開示せよ。真に恐ろしいのは病魔ではない。恐怖に伴う混乱と絶望だ。市民の信頼を失ってはならない』


 力の籠らない字とは裏腹に、内容には明確な判断力と理性を感じる。

 書面の最後には、ルネに宛てたと思しき添え書きがあった。


『市民の不安と絶望とを、できうるかぎり防いでほしい。恐怖による支配は私の望むところではない。私は決して、あの男のようにはならない。あの男と同じことはしない』


 得心がいった。

 父を「殺す」。その一念だけで、エティエンヌは己を保っている。孤独な病の床で、知性と思考とを維持しつづけている。

 ならばルネも、応えないわけにはいかなかった。手近にあった紙片を取り、短く書きつける。


『わかった。あいつのことは、きっちり殺しといてやる』


 掌ほどの書き付けを、ジャックに託す。従者は沈痛な面持ちで、一礼して受け取った。



   ◆



 エティエンヌの指示は即座に実行へ移された。結果、現時点で他区画への感染拡大は発生していない。だが第九・第十区画では発病者が増加し続けており、住民の生活は崩壊しかかっている。

 霜熱病に特効薬はない。患者の身に備わった体力が、病魔を退けてくれるのを期待するしかない。だが、包囲下の疲弊した市民たちに十分な力が残されているはずもなかった。配給のパンは今のところ行き届いているが、新鮮な青菜や肉の入手は絶望的だ。栄養が偏った身体は、病に対してあまりにも脆い。

 事態が日々悪化する中、ルネはふたたび前王の侍従長の訪問を受けた。以前にヴィクトールの遺言を持ち込んできた人物であった。

 侍従長は言った。ヴィクトールが「神の料理人」のために確保していた魔法食材が、いくらか貯蔵庫に残っていると。


「って、あいつが逝ったのはもう四年ぐらいも前だろ? そんな古い食材、とうに食えないと思うんだが」

「長期保存が可能なように処理をしたと伺っています。中には、まだ使えるものが残っているやもしれません」


 ルネは侍従長に導かれて地下倉庫へ入った。狭い部屋の中に、チーズの大玉やワイン樽が所狭しと並んでいた。ひんやりした空気に、古い保存庫特有の乾いた匂いが混じっている。腐敗臭は、少なくともルネの鼻では嗅ぎ取れなかった。

 最奥の棚に、肉の塊が四つ並んでいる。白カビに覆われた表面は、触れてみると確かな弾力を保っていた。


「不死鳥の肉です。塩漬けにして燻製し、ハムに加工してあります。ルネ様が戻られた時のためにと、ヴィクトール陛下が備蓄しておられました」


 喉まで出かかった叫び声を、必死で飲み込んだ。

 不死鳥。幻獣の中でも特に力が強い種類で、万病を癒すマナを持つ奇跡の鳥だ。「大いなる不死鳥」の眷属と言われており、人里で姿が見られることは滅多にない。当然、肉は極めて希少で、現状で手に入る見込みなど到底ないと思っていた。

 そういえば、ヴィクトールの遺言状には「不死鳥の肉」への言及があった。まさか本当にこんな形で用意してあったとは。

 震える指で、表面の白カビをそっと削ぎ落とす。艶やかな褐色の表面に、腐敗の兆候はない。


「これがあれば、城下の状況を改善できるかもしれません。どうぞお使いください」


 ルネが考えていたことを、先んじて侍従長が口にした。

 不死鳥のマナがあれば、特効薬がない霜熱病にも対抗できるのではないか。市民たちを、そしてエティエンヌを救えるのではないか。

 浮き立つ心を、ルネは懸命に鎮めた。いかに不死鳥の力が強いとはいえ、何年も経ったハムに有効なマナが残っているかはわからない。使い物になるとしても量は限られている。

 不死鳥にまつわる古代の文献を、ルネはヴィクトールの元で見たことがあった。処分されていなければ、書庫にまだ残っていると思われる。まずは内容を確かめねばならない。

 手中に得たものが切り札なら、失敗は決して許されないのだから。



   ◆



 求める文献は、記憶の通りの場所にあった。薄く積もった埃を払い、司書官と共に古語の記述を追う。古代の「神の料理人」たちが書き残した記録は、ルネが期待した以上に具体的で詳しいものだった。


「たいへんな情報量です。不死鳥の有効性、治癒効果を得るために必要な分量、適正な投与時期まで詳細に記されていますよ。古代の人々にとって、不死鳥の肉がどれほど有用であったかが伺えますね」


 司書官の声が明るい。ルネの気持ちも、つられて軽くなる。そこまで詳しい情報があるなら、市民とエティエンヌを救える可能性は十分にありそうだった。

 だが、司書官が現代語訳して転記した情報を目にして、ルネは言葉を失った。


『不死鳥マナの有効性は、症状の進行段階によって大きく異なる。

 発症前であれば、少量のマナで十分な予防効果が期待できる。一方で、発症後の有効性は病種により著しく異なる。軽度の風邪や胃腸炎であれば、小片程度で十分な治癒効果を期待できる。一方で――』


 文言の続き部分に、目が吸いつけられて離れない。


『――霜熱病をはじめとする悪性伝染病では、症状の進行に伴ってマナの有効性は急激に低下する。発熱のみが現われた段階では、不死鳥一羽分。皮膚上に霜状病巣が発生している段階では、最低でも三羽分を継続して投与する必要がある。下回れば十分な治療効果は期待できない』


 めまいを覚えつつ、棚に並んでいた肉塊の数を思い出す。

 記憶の中、白カビに包まれて棚に鎮座する塊は、幾度数えても、たった四つだけだった。

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