要
「要くん。脳波の受信記録が短くなってきていますね。」
森さんに告げられ、母が段々弱ってきていることを悟った。母親は、いわゆる植物状態にあり、心臓から臓器までなんら問題がないが、脳の損傷により思考や身体を動かしたりなどの行動はできない。モニタを操る森という人間は、病院の医師ではなく母が所属していた部署の同僚である。
僕が聞いた話では、母はヘルスケア関連機器の開発に携わっており、年々増加している高齢者の孤独死を無くすべく、心拍から体温、血流状態を常時モニタリングし異常値が見つかればヘルパーやかかりつけの医師に連絡がいくという健康管理システム開発に努めていたという。母は実際に高齢者や家族さんへ説明の上、生命管理機器が上手く作動するか何年もデータを取っていた。
ある試験者のテスト期間中に、アラートがなり、実際にかかり医を連れて自宅へ駆けつけた。試験者は発作を起こしており、医師により懸命な処置が始まった。母は症例など知識は豊富に勉強してきていたのだが、発作患者を目の当たりにしたのは始めてだったようだ。
『痙攣が発生しています、AEDを持って来てくれますか』
車には救命道具は1式準備しており、医師の指示で母はAEDを急いで取りに戻った。医師は手早くパッドを貼り付け、電気ショックの操作をした。バタバタと走る足音が聞こえてきた。アラート情報は親族へも自動に連絡がいくようになっており、どうやら駆けつけてくれたようだ。
『母さん!大丈夫なの!聞こえる!?』
患者の娘さんはかなり慌てているようで、身体に触れようとしている。
『触れないで下さい!』
医師が大声を出し注意をしたが、娘さんはパニックでそれどころでは無かった。必死の思いで駆け寄る娘さんを押さえ込めたが、その反動でバランスを崩し、机の角で頭を強打してしまった。医師の措置で患者さんは大事に至らなかったが、母はその時の打ち所が悪く大脳の神経を損傷してしまった。母は寝たきりの状態になり、担当の医師から植物状態であることが告げられた。医学会でも植物状態の患者の経過処置方法は一概に言えず、家族の思いを尊重したいと言うことだった。
姉から聞いた話だが、母が急に寝たきりになり父も姉も現実を受け止めきれていなかったが、平謝りを続ける患者の娘さんの前では、父は泣くことは許されず、ただ一言告げていたという。
「妻の行動を誇りに思ってます。妻もお母様を助けられて安心してると思います。もう泣かないでお母様の側にいてあげて下さい。」
娘さんは何度も頭を下げ、これ以上やれることはないと諦め病棟を後にした。姉はこの時の父親の姿をみて、母のことを大事に思ってたんだと痛感したという。
母の入院が続く頃、会社の同僚がお見舞いにきてくれた。その彼が森さんである。森さんも母と同じくヘルスケア機器の開発に携わっており、淡々と説明を始めた。
「お母様の脳波を見える化されませんか」
森さんの研究は、脳波の信号を読取り、その信号を映像化するというものだった。森さんの研究もまだ開発途中で、信号から作りだした映像に整合性があるか参照データを取りたいとのことだった。始めは母を実験台にされることに抵抗があったが、上手くいけば母と意志疎通が取れるかもしれないと、家族合意のもと試験器の利用が始まった。森さんは担当医師に、機器の目的と安全性を説明し、母の脳波の測定を始めた。森さんは脳波の電気信号が読取れていることが確認とれたと説明してくれた。
「何か話かけて貰えますか?」
家族で目を合わせ、何から声をかけて良いものかと口を紡いだが、
「お母さん、聞こえる?」
僕は恐れながら呼びかけた。モニタには何やら薄い色味がモヤモヤしているなか、時折濃淡が強くなっているのが見えた。
「海馬に反応あります。要くんの声、聞こえてますよ!」
「僕だよ。要だよ!」
「ちょっとモードを切替えますね。」
森さんは!モニタを操作すると、今度は文字が浮かび上がってきた。
『男、黄色、柔らかい、愛、丸い、、』
「まだ開発途中なので、信号の具現化がいまいちなのですが、脳波の信号を解析した文字を表してます。」
父を見上げると、目が充血しているのが分かる。父は口数が多い方だったが、母がこうなってから黙って何か考え込む時間が増えていた。父も取り乱すまいと色々溜め込んでいたのだろう。姉は気を良くしたのか、母に向かって話かけていた。
「こないだ、美玖とね、買物行ったよ!」
美玖は姉の幼馴染で、小さい頃からの付き合いだ。
『ボール、服、ラーメン』
「ラーメン!」
姉の大好物のラーメンの文字が浮かび上がり、皆の顔に笑顔が見えた。森さんも母が『生きている』事が確認とれて、肩を落としている様子だった。森さんは、話かけてない間も信号が取れることがあることを教えてくれ、信号の記録は定期的に報告するとのことだった。植物状態からの回復は保証出来ないが、今まで呼びかけに対して無反応だった状態より微かに希望が見えた。
あれ以来父は、母の知り合いには出来るだけ声を掛けて、母に会いにきてくれないかと頼んでいるようだった。僕が居ない間も、母の知人が何度か見舞いに来てくれていることが、脳波の記録で知ることができた。
しかし、今回の森さんからの報告で、記録の回数が減っていること、受信できる脳波が微弱になってきているとの事だった。呼びかけにも反応がない時間も増えてきているのは確かだ。森さんは担当医師とも脳波記録について議論を進めているが、過去には脳波の信号を受信しなくなった時は、脳死判定が下りている症例もあるようだ。母からの信号はまだゼロではないが、僕は母の反応が無くなるまでは諦めたくない。