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コメディシリーズ

いもこん。


 作者、妹として複雑。



 中古ゲームショップに行って要らなくなったゲームを全部売った。たいした値はつかなかったが、今月の小遣い残高に困っていたので少しは足しになった。それでゲームの査定を終えてさあ帰ろうかと財布をジーンズ後ろのポケットにしまった時、レジで査定をしてくれた店員のオネエサンが俺に声をかける。


「よかったらそこのワゴンから、好きなの持ってっていいわよん」


 オネエサンの流るる長いまつ毛から覗くタレ目の視線を浴びて、こちらが溶けそうなほど甘ったるい声の飛び出す口元を見た。ほくろがある。

「は、はい」

 俺はどぎまぎしてオネエサンの言った通りにワゴンから好きなのを選び出す……レジのカウンターよりこっち側、すぐ傍にワゴンがあって、『ジャンク・処分品』とPOPを描かれて商品小物が雑然と放り込まれていた。全部1円だった。


 好きなのを、とは言ってもあるのは全然聞いたこともない無名の携帯ゲームやおもちゃ、興味の湧かないカードやフィギュア。どれでもよかったが、俺はキーホルダーにもなるミニサイズのたまご型携帯ゲーム機をひとつもらって帰路についてった。家までは2キロ、自転車だとあっと言う間に着くはずだ、だが途中道のり、信号が25個もある。誰かが趣味で信号を作ったとしか思えない町だった。


「ただいまー。はあ、疲れた」


 俺がスニーカーを玄関に放り投げ階段を上った時に、小柄で白いジャージを着た妹と鉢合わせした。「おかえり、お兄ちゃん。お母さんは今晩飲み会だってさー」明るい響きが廊下に渡る。

「主婦が飲み会かよ。あれそういや、車が表にはなかったぞ、まさか飲んでるくせに運転して帰ってくるつもりかあの親。警察に捕まるぞ、来年大学受験を控える俺にやめてくれよな」


 そう愚痴りながら俺が嫌な顔をすると妹は、「あー大丈夫大丈夫」と何でもないように手を振っていた。何だその態度、どういうことだ? 俺は顔でそう妹に聞く。

 妹は、あははと大声で笑っていた。


「飲むのはお酒じゃなくて、琵琶湖の水だから。大丈夫大丈夫」「――びわこ!?」

「お土産に鮎パイ買ってくるってはしゃいで行ったよ。琵琶湖の水を飲み尽くすって」


 日本一広い湖の。心意気は買うが、頼まれても俺は絶対についていくつもりはない。

 俺は部屋に入っていった。「ご飯は私が作るからねー期待しててねー」妹は張り切って階段を駆け下りて行ったようで、閉めたドアの向こうでタタタタタ、タ・ンと、調子よいリズムの足音がしていた。


 どんがらぴっしゃんかん。

 俺が妹と話した一時間あと、破壊音が下の階から断続的に聞こえたが、気にもしていないどころか俺は気持ちよく柔らかい布団の上で横になってうたた寝をしていた。起きたら、下に敷いていた雑誌に掲載されていた、よだれまみれのアチャコ、もとい韓流45次元アイドルが俺にアンニョンハセヨと微笑んでいた。まだ寝ボケていた。設定ではアチャコは永遠の1052歳。次元が違っていた。


「ご飯できたよー」

 妹が部屋のドアを開けて、俺を呼んだ。ノックくらいしろよと文句を言いかけたが妹の顔に大きく貼られた絆創膏(ばんそうこう)を見てそれは引っ込んだ。右の頬から左の頬にかけて鼻の穴を空け、顔面いっぱいに大きく貼られた絆創膏、俺は同情というより何処で売ってたんだその絆創膏と聞いてみたかった。

「ああこれ? 油がはねちゃって。たいしたことないよ明日には治るから」


 そうか、ならいいけれど。……とにかく妹は元気だ、無味無臭無病で健康が一番だとこの時に俺は思った。妹からカレイ臭がする。加齢、華麗、カレー、(かれい)。過冷な温度の空気が漂った、とてもさぶい。


 妹の、腕によりをかけて作ったラーメンを食べ終えて、俺はソファで寛いでいた。ぼうっとテレビを観ていたら洗い物を済ませた妹がやって来て、持っていた布巾でテーブルの上を拭き始める。

 すると置いてあった小物を拾い上げて妹は、「これ何のゲーム?」と俺に聞いてきた。


 拾い上げたのは俺が夕方に中古ゲームショップで頂いてきたジャンク品の携帯ゲーム機で、ポケットに財布と入れておいたんだが座る時に思い出してそこに放り出しておいたんだった。

「さあ。たまごっちょみたいなもんじゃねえの。欲しけりゃやるけど、説明書ないぜ」

「ううんいらない。たまごっちょ持ってるし」

 俺の所へ携帯ゲーム機を投げてよこして、妹はテーブル周りに広がっていた新聞や雑誌などを片付け出していた。散らかしてばっかり、とへらず口が俺の耳を通過していく。


 俺はごろりとソファの上で仰向けになって、ゲーム機をつまんで眺めていた。

 電池入っているよな、と裏側にあった電源スイッチらしきものをグイと押した、命が吹き込まれたようで、小さな画面に『GO』とドット文字が表示された。

 表の画面枠外には『いもこん。』とだけ書かれていて、あるのは十字キーのみ、先ほども言った通り説明書もなければ、どんなゲームなのか見当もさっぱりだった。それにしてもいきなり最初に『GO』と表示されてから数分か経っても、画面のなかは何も動かず大人しくしている。


 何も始まらないのだろうか?

「うーん」

 俺は唸りながら、十字キーの上[↑]を押してみた。するとどうだ。

「きゃんっ」

 何処かで悲鳴が上がった。俺は「え」と声のした方を見つつ上半身を起こした、犬のような可愛い声を出したのは。「ま、真奈?」俺はたじろいで名前を呼んでいた。

「……」

 妹の真奈は床で落ちている毛を拾い集めて掃除していたはずだが膝をついて立って背筋を伸ばしている。眼鏡をかけているがレンズの向こう、目は瞬きもせず声を上げてからは何の反応も示さない。

 手をサカサカと真奈の目前でかざしてみてもダメだった。意識が……ない。「真奈!?」

 俺の呼びかけにも答えない、肩を揺すっても、デコピンをお見舞いしても、眼鏡を外して逆さまに付けかえてやっても、動かなかった。どうなっちまったんだ。


「真奈……」


 大変だ、これは病気か、医者を病院を……肩を落としていた俺はゆっくりと立ち上がって、真奈からいったんは離れた、するとだ。

 足の下に放られていた携帯ゲーム機を俺は踏んでしまい、退いた。「きゃんっ」また真奈が鳴く。

「んん?」

 俺の疑いはゲーム機へと。まさか。俺の疑惑は的中する。

「きゃん」

 ボタンを押せば、真奈が鳴いた。上キーばかり連打した。

「きゃんきゃんきゃんきゃんきゃん」

 やはり真奈も連呼する。俺は完全に分かった。真奈はこのゲーム機、というよりか俺に操られているのだ。「きゃんきゃん……きゃ」試しに右[→]キーを押すと真奈の右腕が持ち上がった。ということは左が左腕なのか、では下は? どうなってんだ、どう……。

「きゃんきゃんきゃんきゃんきゃん」

 何度でも真奈を鳴らしてみた俺。「あ、面白い」感想を第一に俺は漏らした。それからだったんだろうが……。


(これって、……すごいものなのでは……)


 始め面白がってはいたが段々と妹が不憫に思えてきて、遊ぶのをやめた。電源を切ると真奈は正気に返り、「あれえ?」と不思議がっていた。あーよかったと俺と俺の良心は安堵する。いくら何でも妹をおもちゃにするなんて……どうしよう、おいしい。

 しかもどうやら操られている間は記憶がないらしかった。ますますおいしい味を占めていきそうだった。やばい、俺はどうしたら。色んな『やばい』ケースが頭に浮かんだ。

 たかだかジャンク品でタダでもらっただけなのに。


 ……


 3時限目が終わって。教室で生徒たちが好き勝手に休み時間を過ごすなか、俺は席を立たずにキーチェーンでぶらさがった『いもこん。』を眺めていた。昨晩の夢のなかでは、真奈ではなく淫らな浴衣着のアチャコが出てきてコンニチハ、ご主人様遊んでとドングリコロコロ千年ボイスで俺に話しかけてきていた。


 それで、じゃあ、と俺は卓球をしようと誘ったが、「温泉じゃねえよ!」と消える魔球サーブで攻められて俺は落ち込んだ。夢なのにリアルに痛いぞと目が覚めたら部屋の棚からおぎやはぎの眼鏡写真集が落ちてきていてちょうど俺の胸元に当たっていたらしい、深夜に地震でもあったのだろうかと、夢の深層心理などを隠そうとしていた。いいんだ、もうどうでも、夢だし。


 そんなことより、この『いもこん。』のことだ。これって誰にでもきくのだろうか。素朴な疑問はいつまでも気になるので早急に解決してしまいたいのだが、さて。

「秋月ぃ、次、理科室ー」

 教室の外、廊下から俺を呼ぶ友人の声がした。言われて俺は、「いけね。予鈴が鳴る」と急いで机から教科書を探して引っ張り出し、用意しながらでもまだ考えていた。

 肌身放さず持っておくべきだよなァ、と『いもこん。』は、手中に。カバンにつけっ放しにしておくわけにもいかねえだろと思って、手のなかにあるそれをひとまず握りしめる。


 廊下で待ってくれている友人を追う前にだ。ひとりぐらい誰かで試してみようかと、いたずら心に電源を入れて十字キーを押してみた。ピ。


「きゃん」


 近くで可愛らしい声がした。

(ん?)

 前を見ていなかった顔を上げて、俺は反応のあった声の方を向く。

 教壇の前を横切ろうとした女生徒が立っていた。クラスメイト、出席番号27番、西野みなみ。所属は女子ソフトテニス部、ショートヘアのよく似合うとても可愛い活発な女の子で。美化委員会の委員長とかになって積極的に意見を公言しテキパキと物ごとや問題を片づけていく委員長、その役割を果たす彼女はとてもとても、手が届くもんかと昼の空の太陽のように眩しくて。眩しくて俺は……


 ……実は俺が密かに好きな女の子だったりする。「きゃん」と鳴くってことは……。


 反応あり。


 俺の思いのまま。あんなことそんなこと。あん……。


 鼻血ブブウ。


 血液が鼻から噴射、それはただの俺の妄想のなかの出来ごとだった。実際に教室(こんなところ)で出血してたまるか……ぐぐぐ。

(何だとう……!?)

 俺は冷や汗をかいた。何故だかわからないけれどいきなり寒気が走った。

 隣でアチャコがせせら笑いをしていたかのようだ。俺は試されている、この『おもちゃ』は貴様の妹だけではなく恋焦がれる西野にもきくらしいぞ、さあお前はどうするのだ? と、破壊神並みの迫力や圧迫感で俺は問われているのだった……嗚呼、アチャコ神よ。


「おおい、先に行ってるぞー。チャイムが鳴りそーだ~」


 友人が再びに呼んでくれたおかげあって、俺は即座に正気に返ることができた。

「あ、ああ。今、行く……」

 気の抜けた返事をして、俺は……電源を切って、西野の横を何でもなかった風に通過していこうとした。その前に心配になったので、一応だが西野に声をかけてみた。「西野……さん?」


「え? ……やだ、いけない。ぼうっとしちゃって私ったら」


 西野は我返ったようでいて、恥ずかしそうに……照れていた。『てへっ』と、肩を竦める仕草が可愛過ぎて俺の心臓をわし掴み。除夜の鐘にでもなって打たれたみたいだった、ごーん。


 俺は西野をどうするのか。どうしよう。

 小走り去る西野を尻目に、俺は自分の未来に一抹の不安を覚えたことは言うまでもない。


 ……


 何度か妄想に襲われながらも俺は、この『いもこん。』について色々と試してみた。

 適当に通りがかった友人、クラスメイトや先生、校長・理事長、外国人や妖精など、男女・年齢・種族を問わず対象物に向けて調べてみた結果、きく者ときかない者がいることが分かった。

 どうやら、きく者というのは女子。男にはきかず、きく女子とはいってもごく少数のようだ、何か理由があるのだろうか。うーん。


 考えながら学校からの帰り道を歩道に沿って歩いていると、前方に近づく地下道への入口の手前で高校生数人が、いかにも気弱そうな小さな男子学生を囲み楽しそうに笑いあっている場面に出くわした。

 人通りは高架下の、駅の裏道で少ないとはいえ、こんな堂々と見晴らし抜群な所で厚揚げ、いやカツアゲか。楽しそうに笑いあっているのは囲んでいる連中だけで中心にいる男子学生は全然楽しそうではないが、下らないこと言っている間に俺は歩くのをやめないとこのまま現場に遭遇してしまうだろうと思われる。


 今のうちに回れ右すべきだろうか、いや左? 助けてやりたいが、腕力に自信はなく相手が複数じゃなァ……と迷いながらも、俺は連中に近づいていった。

 同時に偶然だが、高架下の暗いなかから向かい、大根やネギがはみ出た食料品の詰まってそうなスーパーの袋を両手にぶらさげて、パンチパーマのおばちゃんが歩いてきた。チャンスだ。俺のなかに天からの閃きが舞い降りた。何がチャンスなんだ? ……一瞬、俺は俺自身に問いかける。


 気がついてないらしい平和なおばちゃんが、連中の横を通過する、俺は自然とポケットから『アレ』を取り出そうとまさぐっていた。『アレ』は間違いなく俺の手によって取り出される。

 そうだ『いもこん。』だ。それいけ。

 きくか分からないが俺は、試しにとおばちゃんに向けて上キー[↑]を押してみた。ピ。するといい反応が返ってくる。


「ぎゃん」


 低音だった。若干発音が濁ったみたいだが、成功した。推定45歳といったところか、いい感じに皺を隠した厚化粧、着ている裾の広い服はトラの柄。いる所にはいる普通のおばちゃんだが、発声したあとは手さげの袋を道に落とし動かなくなった。

 そうか、俺の次の指示を待っているんだった。このおばちゃんコントローラー……


「あ、……そうか。そういうことだったんだ!」


 俺は解った、この時に。何故、この『いもこん。』で操られる者が決まってくるのか。


『いもこん。』の響きが、何かに似ているとは感じてたんだ、やっと謎が解ける。『リモコン』だ、そうなんだ。remote controller、リモートコントローラー。テレビやエアコンなどでお馴染み、機器を離れた場所から操作する物だった。


 じゃあ、『いも』って何なんだ、何の略か?


 たぶん『いもこん。』の『いも』とは、きっと『いもうと(妹)』のことで、つまりは『いもうとコントローラー』の略なわけで。あのトラ柄のおばちゃんは、何人だか知らないが兄姉妹(きょうだい)のうちの妹に当たるわけで、男や上の兄姉にはきかないわけで、西野には上に兄か姉かいるわけで……これまでの実験結果全部に納得がいった。


『いもこん。』、いや今なら『おばこん。』だろう。お化けみたいだが人間であるおばちゃんを俺は操作しようと適当にキーを押していった。それいけおばちゃん。


「な、何だよババア」

 連中のうちの体格の細い奴が、一番に異変に気がついたらしくおばちゃんを睨んでいた。俺に操られ意思を失くしたおばちゃんは、ぎ、ぎ、ぎと……鈍くねじ巻くように首を動かして奴らに顔を向ける。


 しばらく俺は思いつきでおばちゃんを動かしてみた。カーン。ゴングが空で鳴り、戦いの火蓋はきっておとされた。


 尋常では有り得ない動きをしていた。トルネードスピンのかかった右フック、自らが回転した体当たり。左蹴上げ、おばちゃん独自のコークスクリュー・ブロー、猫だまし、目つぶし、パンチパーマの頭突きだ。上上下下右右右右[↑↑↓↓→→→→]。下上下上上右左右右[↓↑↓↑↑→←→→]……


「んハアアアアアアッ……」


 おばちゃんの口から白い煙……いや、息が。「臭えええええ!」「うぎゃあああ」モロに浴びた連中の顔がみるみる歪んでいっている、かなり強力らしいおばちゃんの口臭攻撃だった。凄まじい。「ひぎえええぇえ」……


 どんだけ臭いんだろう。未知なる冒険は見るからにご遠慮したく、嫌な汗が俺に流れていた。

 おばちゃんは連中をなぎ倒していって、最後のひとりと対峙した。


 長髪だった高校生はおばちゃんを「調子にのりやがって、こんのクソババアあああ……」と挑発したが、意思のないおばちゃんに表情はなく。逆にそれが怖かった。チョウハツ男は消えエエエとつま先立ちで飛び立つ格好となり片足を上げて羽ばたき飛びかかろうとした、だが俺はそれを上手いことかわしていた。

 素人技の俺のコマンド入力は、偶然にも正確に奴の急所を狙っていった。ちーん。明るい音が鳴ったが、長髪に隠れて奴の蒼白になった顔が覗けた。俺は遠巻きからそれを見ている。


 みんな倒れた。立っていたのは、正義のおばちゃんだけだった。

 助けに入るつもりでおばちゃんを操っていたのだがまだ操作に不慣れな俺は、庇うべきはずの気弱な学生にまで攻撃してしまったようだった。枯れ葉が風で飛んできてうずくまっていた彼の背中に載る。

 ――すまん。俺は心のなかで謝っていた。


(本当にすごい『おもちゃ』だなこれは……)


 電車が通過し高架の下で勢いよく吹きすさぶ風のなか、俺は『いもこん。』の電源を切り右手で握り締めて感動していた。



 ……




 じきに冬休みがやってくる。俺は教室の黒板の隅に書かれていた日付を見てため息をついていた。日付を目で追いながら下降していくと、本日の日直である2名の名前が並びで書かれている、名前が。

 俺の名前と、……西野みなみの、……『西野』。


「あーあ、今日は外のコート、やっぱ下がぐちゃぐちゃかなぁ」


 俺が座る横で、机にもたれかけていた西野は窓の外を眺めながら言っていた。本日は朝から雨の神様張り切っての大雨小雨の繰り返しで、微妙に昼前には雲の隙間から日光が射していたのだが、地面の乾きは期待できなかった。「まあ……仕方ないんじゃない。天気予報もそう言ってたし」俺は日誌を書くふりをして、内心落ち着きが少なかった。


 天気予報じゃ今日は昼頃から急に冷え込むかもというプラスの情報もあったのだが、緊張と、喉の渇きと、時稀に見えるアチャコの美貌と書いて幻覚と、動くたびに西野から微かに甘い香りが漂っているような気がして病的に気になって集中できないのとがあって……言葉を続けず何とも俺は常に冷静であるように『振る舞った』。


「はあ……冷えるね。寒くない? 遠野くん」

「い、いや……ああ、うん。今日は冷えるらしいから」

「部活、休みかな、今日は……遠野くん今日はこの後に部活ある? 何部だったっけ」


 可愛らしくきょろきょろした目で俺の顔を窺っていた。俺は返答どうしようかと一瞬悩んだが、隠しておくのもなと正直に言い西野の反応を試すことにする。「……改造部」


 何だそれはと聞き返してくるもんだろうと思っていたが、西野の返答は予想外で違ったものだった。

「あ、そだっけ」


 拍子ぬけ、そんな言葉が思い浮かんでは消えていった。「知ってんの?」

 西野はからからと笑いながら答えていた。「知ってるよ? 有名だもん」


 また意外な答えが。俺の驚きを西野は楽しんでまた笑っていた。恥ずかしい……。

(何で知ってんだよ……)

 有名だもん、って、一体女子の間ではどのように見られているんだろう、超マイナーな部だと思うのだが。部活で扱うのは玩具、機械、肉体、一部魔改……いや、俺はマトモだ。友達の付き合いで入部手続きをしただけだ。所属2年近くになるが顔を出す機会は極力少ない、今年の文化祭では肉体美を披露した展示をして盛り上がっていたのが目に焼き付いている。俺の与えられた役割はプロテインの効果について原稿用紙100枚にまとめることと、人択をとるためにインターナショナル・クライン・ブルーの絵の具を買いに画材屋を渡り歩く羽目になったことだった。ああもう思い出だった。蒸し返したくはない、これ以上。やめて……。


「遠野くん?」


 俺はハッと西野の呼びかけに過敏になった。「あ、ご、ごめん」挙動不審さが俺をさらに強張らせていた。

「寒いね……」


 腕をさすりながら西野は俺から目を逸らし、再びに窓の外を見た。雨は音もなく降っていて、気温をまだこれからも下げていく。暖房といえば古いストーブしか教室にはなかったのだが、俺と西野しかいないここでは既にもう消されていた。


 夕方5時が近づいている。早く日誌を書いて職員室に持って行って、西野とサヨナラすれば家に帰れるのだが……。

(西野とサヨナラ)

 思った途端、俺はぎくりとした。せっかくの恵まれたチャンスじゃないのか。そう思っ……。



 今……2人きり……なんだぜ。



 ……。


 アチャコが武装して俺に囁きかける。もちろん幻覚だった。

(もうすぐ冬休み……)

 冬休みに入れば、学校でしか会えない西野とは来年までオサラバだった。もの凄い寂しさが……今は近くにいるので解らない感覚だが、きっと後々になってやっと解ってくるんだろう、俺は怖くなった。

 もし冬休みの間に西野に彼氏ができたとしたら?

 例えば、スキーなんかに行って色黒の神奈川県相模湾沿岸から来ました的な男にナンパでもされたとしたら。もしくは、神奈川県横須賀市から来ましたと危険な香りがする謎の香港人にでも出逢ってしまって大冒険。休みの間に命からがら危機を乗り越えた2人は見事愛のやいののゴールイン……あああ。


「遠野くーん。おおーい」


 俺が神奈川県を噛みがかりで敵視する寸前で、西野が俺の妄想で暴走の夢を止めてくれていた。非常に助かった。「だ、大丈夫だ」何が大丈夫なんだと内心焦っていた。


「日誌書けた?」


 西野は気にする風もなく、書きかけの俺の手元を覗こうと。

(!)

 西野が至近に俺の所へ来た、香りが濃くなり、存在も強くなってますます俺は緊張する。俺は……俺はどうしたら。

「書いたげよっか、貸して、待ってて、すぐに書いちゃうから……」

 西野はヒョイと机の上の日誌を取り上げて、隣の席へと移った。


 束の間の幸福。

 俺は……


 俺……



 ……。



 ……西野を独り占めにしたいと、思った。



 よって、ズボンのポケットに手を突っ込む。


 中にあるのは承知の通りに、『いもこん。』だった。

 電源を入れておく……そこまでは考えることなく単純でスムーズだった、俺はこれで。

(西野……)

 まるで俺は淋しがり屋のプードルみたいだと思った。ただ何となく。

 目の前で机に向かい、日誌に字を書いている彼女が欲しいと心で願っていた。『いもこん。』を持つ手は汗ばんで、かなり震えていた、情けなく。

(ごめん!)


 俺はぎゅっと目を瞑り、上キー[↑]を強く押した。いっそ壊れてもいいと思うくらいに強く押していた。


「きゃん」……


 予定通りに西野の声は、俺に安心を与えたのだった。

(西野は俺のもの……)


「やったねこのヤロー☆」と、肩を想像のアチャコに叩かれた。アチャコからの賛美を浴びて俺は、背筋を伸ばし固まってしまった西野をこちら側に向けて立たせて、足先から順に上へと、泳がせずに顔まで目線を移した。言いかけた口をしたままの俺は西野の瞳に吸い込まれていった。


 このまま手を引っ張ってもいいだろうか……


 俺の所へ……抱き寄せて……


 大丈夫だろ、操れる。だけど……


 だけど?


 

 ――冷静な自分がいた。それでよかったと後にして思う。

 俺がもし欲望をなりふり構わずさらけ出せる奴だったなら、西野はとっくにもう俺の腹のなかだ。美味しく頂いているに違いない、残さず平らげて……な。ぺろりんちょ。


 俺は臆病な、……おおかみだ。


「西野……俺は」

 自分でも情けないほどの音量で呟いていた。真剣になればなるほど、出す声が聞こえにくくなる。他人がしゃべっているのを聞いているかのようで、これが本当に俺の声なのかと疑ってしまうんだ。……情けない。

「俺は。」

 西野が俺を見つめている瞳のなかに俺が映っていた、情けない俺の姿が丸見えで。

 もう構うもんか、成るようになれと、アチャコを俺のなかから消していった。


「俺は、ずっとあなたが好きでした」


 きっぱりと、言い切った。


 どうせ操られている間は記憶なんかないんだ。だったらいいじゃないか、みっともなくても。

 だからと俺は堂々と言ったんだった、……だが。

 俺の予想は裏切られる。



「ほんと? ……」



 返事をしないはずの『人形』は、してしまった。

(なにいいい!?)

 逆に、俺の方が『人形』になってしまい、凍りついて動けなくなってしまった。

(どういうことだ!?)

 俺はびっくりして、開いた口が塞がらない。魔法を解かれた如く西野は、さらに俺の真ん前まで歩み寄ってきていた。「嬉しい……!」そんな日本語までちゃんと言っている。

 確かに俺は『いもこん。』で西野を『操作』したはずがされてはいない、西野には意思がある、西野の意思で動いている、俺は命令も合図もしてはいない、だったら、だったら何故? 何故なんだ……


 疑問の沼へと堕ちていった。すぐに救い出されるけれどもだ。


「ずっとドキドキしていたの……何しゃべっていいかわかんなくって焦っちゃった……えへへ」


 西野の顔を改めて見れば、真っ赤だった。俺は思わず目を逸らしてしまう、でももう一度、恐る恐るに西野を……彼女を、見た。

 俺が一番可愛いと思う顔がそこにあった、決まって俺がする行動はひとつだ、『引き寄せる』。



 かたん、と、音が床に響いて落とされた『いもこん。』は電池切れで何も応答はせず、静かに俺たちを祝福してくれていた。おめでとうよかったねこの妄想男、臆病野郎。チキンテリヤキハム野郎。どこが静かなんだと俺の思い込みは相変わらず。

 消えたアチャコも応援してくれているに違いない、次元の向こうから。


 ……


 今度、妹を使って遊んでやろう。

 兄貴という身分は思い切り使うべし。ぐはははは。

 恋愛を手中に入れた俺は、無敵になったようで強気になっていた。油断もするさ、誰だって。

 するさ……。



 オカンに踏まれた『いもこん。』の葬式を終えて、俺は立ちあがった。

 居間から出ると、廊下に貼ってあったゴミの日カレンダーが俺に次の燃えないゴミの日を告げていた。明後日らしかった。


 さようなら、『いもこん。』、素晴らしい妄想(プレゼント)をありがとう。



《END》




 ご読了、ありがとうございました。



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