愛の呪いに囚われる
妻、ミリーが亡くなってからどのぐらいの時間がたったのだろう。
妻の気配がなくなった家でコンラッドは妻のことを考えていた。
死病にかかっていること、もうすぐ死ぬことを伝えられ、それで自分の役目は終えたというかのようにミリーの病状が急激に悪化し三日後に亡くなった。
誰もがミリーの急死におどろいた。
コンラッドの母はミリーの調子の悪さを妊娠のせいだと思っていた。重いつわりに苦しんだ母は、きっとミリーもつわりがひどいのだろうと思い込みまさかのことに号泣した。
妻の両親も自分たちに何も知らされなかったことをなげいた。妻の両親もミリーの調子の悪さをおめでたと思っていた。
妻の親友、ナディヌだけが妻の病気について知っていたことにコンラッドは打ちのめされた。
「彼女があなたに内緒にしてほしいといったから何もいわなかった」
ミリーについて知っていることを教えてほしいと頼んだがナディヌに拒否され、妻よりも幼馴染みを大切にした結果だと冷たい視線で吐き捨てるようにいわれた。
幼馴染みを大切にすることの何が悪いのか分からない。お互いを助け合う大切な友人だ。
まるでコンラッドが浮気し妻を裏切ったかのようにナディヌにいわれる意味が分からなかった。
以前、幼馴染みの妻の一人が「あなた達の関係は浮気とかわらない」といったことがある。
友情は大切だというくせに、実際に友情を大切にすれば浮気と同じだといわれる。妻だけを愛しているにもかかわらず浮気者扱いされるのは訳が分からない。
幼馴染み四人組の妻達の不満はまったく納得がいかなかった。
男同士の友情を保つことの何が悪いのだ?
程度の問題だというが過剰なことなど何もしていない。
幼馴染みとの付き合いが結婚してから過剰になったなら分かるが昔と何も変わっていない。
「あなた達には分からないでしょうね」といったミリーの声がする。
彼女のいうとおり何が悪いのか分からない。
彼女が病気のことを教えてくれていたらコンラッドは彼女を看病した。それを拒んだのはミリーだ。
言ってくれさえすればよかったのだ。
言ってくれさえすれば――。
「結婚記念日に話そうと思っていたのだけど」
彼女の言葉がよみがえる。
あの日、もしあいつの妻が家をでなければ。そうだ。あいつの妻のせいだ。あの女のせいで。
何の音もしない、妻の気配がしない家にひとり。
もうミリーはいない。
コンラッドは妻が使っていた毛布を手にし、使う人がいないことに胸がつぶれた。
「愛の呪い」といったミリーの言葉がじわじわと胸のなかに広がっていく。
ミリーを愛していた。同僚として仲良くなり、一緒に時を過ごせば過ごすほどミリーのことが好きになり、ずっとそばにいてほしいと思った。
ミリーもコンラッドを愛してくれた。
それまで二度、幼馴染みとの付き合いで女の子にふられてきたので、ミリーには付き合う前から仲の良い幼馴染みがいることや友情を大切にしていることを話していた。
ミリーは友達は大切だといってくれた。長く付き合える友達が多くいるのはうらやましいともいってくれた。
最後に四人組で会った時のことを思い出す。
「元嫁とミリーの葬式で会っていわれたよ。俺が地元の女性と再婚できる可能性はないって。釣った魚にえさをやらない男として有名だって。
再婚したいなら少し離れた地域の人にしろって嘲笑われた」
「なんだよ、それ。傷物女のひがみだろう?」
妻が子を連れ実家にもどっている幼馴染みが同調したが、沈黙していた一人がいった。
「実は俺も妻から離婚してほしいといわれた。ミリーが亡くなって目が覚めたって。
四人組の妻は全員、いつか俺たちが変わるだろうと思って結婚した。妻と一緒にきずいていく家庭を一番大切にしないといけないと分かるはずだと。
でも…… 俺たちは変わらなくて、ミリーが病で亡くなった。
妻は自分もないがしろにされたまま今日死んでもおかしくないと思って怖くなったといってた。こんな不幸な結婚をしたまま死にたくないって」
沈黙がおちた。不幸という言葉がコンラッドの胸に刺さった。
コンラッドはミリーと結婚して幸せだった。ミリーも幸せだったはずだ。
幼馴染みとの付き合いで文句をいわれることはあったが夫婦仲はよかった。
「俺たち間違ってたのか?」
妻から離婚を切り出された幼馴染みがぽつりといった言葉に、コンラッドを含めた三人は反応できなかった。
「でも友達だぞ? オヤジがよくガキの頃から付き合ってる友達を自慢してる。幼馴染みと一緒に酒をのんで楽しそうにやってる。
なんで俺たちだけが間違ってるような言われ方するんだ?」
「俺たちはもうガキじゃない。結婚して子供が生まれてと夫や父親として責任を果たす必要がある。
ガキの頃は友達優先でも許されてきたけど、大人の男として自分の家族に責任をもつべきで、それを俺たちは怠ってきたんだ。
俺たちは大切にすべきものを間違っていた。友情も大切だけど、これまでとは違った形で大切にすべきだった」
離婚を切り出された幼馴染みがいらだったようにいった。
「なに日和ったこといってんだよ? 嫁なんていくらでも代えがきくだ――」
「本当にそう思うのか? じゃあ、お前の再婚相手が見つからないのはなぜだ?」
「それは――。結婚って家同士のかねあいもあるし簡単に決められるもんじゃないからで」
「お前の両親が再婚話をいろいろな家に持ちかけてるが断られてると聞いた。お前のところに持ちかけられた話ってあるのかよ?」
離婚した幼馴染みが激怒した。
「なんだよ、その見下した言い方。うちはそれなりに裕福だし相手に困るわけないだろう。厳選してんだよ。離婚するの面倒だろう?
初めから厳選しておけば離婚せずにすむから、そのために条件をきびしくしてるんだ」
離婚を切り出された幼馴染みが鼻で笑うのがきこえた。
「なに笑ってやがる。お前との結婚を不幸だといわれた奴が。
俺と元嫁は性格があわなかっただけだ。お前みたいに不幸にされたなんて一言もいわれてない」
そのように言われた幼馴染みの目が据わった。日頃は温和だが切れると危ない。
「お前が頭悪いの知ってたけど、本当にとことん悪すぎて笑えてきたわ。
離婚したってことは、元妻がこの男と幸せになれないと思ったからだと分からないところが痛すぎだろう。お前のそういう頭の悪さに耐えきれなくなったんだよ」
怒った幼馴染みが相手の胸ぐらをつかんだので、あわてて二人をコンラッドともう一人の幼馴染みで押しとどめた。
「帰る。お前らうっとうしすぎ」
捨て台詞をいい去っていく幼馴染みの後ろ姿を目で追っていると、大きなため息と疲れた声がきこえた。
「四人で力をあわせて森からもどってからずっと四人でいるのが当たり前で、お互いの力になることが普通だったけど……。
あんな馬鹿な奴だったのかとがっかりした。でもそれはお互い様か?
これまでずっと子供のままでいたから妻に捨てられそうになってるんだよな」
あれから幼馴染みとは会っていない。会いたいとも思わない。そのように思うのは初めてかもしれない。
――もしミリーが本当に幸せだったなら呪いをかけて死ぬはずがない。
コンラッドはわきあがったその言葉に胸が痛くなる。コンラッドはミリーの毛布を顔にあて声をあげ泣いた。