愛の呪いをかけました
「嘘だろう……」
ミリーはようやく結婚記念日に伝えようと思っていたことをコンラッドに伝えられた。結婚記念日から三週間たっていた。
吐き気と気分の悪さで寝こんだ妻の体調を気にし、夫が腰を落ち着けたのでミリーは報告した。
「なぜ今まで黙ってた?」
ミリーの手をにぎり泣きながら聞く夫の姿をみて、ミリーは夫に自分への気持ちがあったことにほっとする。
「結婚記念日にいおうと思ってたんだけど幼馴染みが大変だと行ってしまったから、落ち着いてからいおうと思っていたら今日になってしまったの」
さすがにミリーもこれほど遅くなるとは思っていなかった。
「たぶんこれからは立ち上がることも出来なくなるだろうから、世話をしてくれる人を今週からお願いしてるの。だから安心して。あなたに迷惑かけないから」
夫の愕然とした顔が目にはいる。
「何がどうなってるんだ? どうして、どうしてだよ? どういうことだよ?」
夫のあわてる様子に、自分の予想よりも夫がおどろいてくれたことにミリーは満足した。
妻が死病にかかり先が見えているにもかかわらず、夫はそのことをまったく知らなかった。
ミリーの病について知っているのは親友のナディヌだけだ。ミリーの体調を気にしてくれ、毎日ミリーの様子をみにきてくれる親友に感謝しきれない。
「体調が悪くて吐き気があったから妊娠かと思ってお医者さんにみてもらったら死病だっただけの話。
治療法はないの。だからあと一ヶ月とか二ヶ月とかで死ぬみたい。私の持ち物はすでにまとめてあるから。私の世話をしてくれる人もいるし、あなたが心配することはないわ。
もし私を看取るのがいやなら実家に送り返して。でも離婚の手続きは面倒だから少しの間がまんして。すぐに死ぬから。その方があなたも――」
「そんなこと聞いてない! なんで病気のことを今まで黙ってた!」
夫が叫んだ。ミリーは思わず笑っていた。
「なんで笑ってるんだよ? 何がおかしいんだよ?」
「私の体を気にするんじゃなくて、私が黙っていたことを気にするんだと思って」
夫がたじろぐような表情をみせた。
「黙っているつもりはなかったけど、こうして落ち着いて話す機会が今日までなかったのよ」
「そんなことはないだろう! 毎日顔を合わせてたんだ。いくらでも話すことはできただろう?」
ミリーは自分でもおどろくほど大きなため息をついていた。
「もうすぐ死ぬという話を仕事に行く前のあなたにできる? 仕事から帰ってきたあなたに伝えようとすると幼馴染みが家にきたり、幼馴染みによばれて出かけてしまう。
幼馴染みとの用事がおわればあなたは疲れたといってすぐに寝てしまうし、幼馴染みの家に泊まって帰ってこなかったりする。
落ち着いて話す時間がいつあった?」
夫が手で口元をおおい視線をミリーからはずした。
「幼馴染みの方が大切だったんだから、いまさら私のことを気にするふりをしなくても平気よ。
私が死ねば彼らがなぐさめてくれる。喪があければきっと再婚についての相談にのってくれるわ」
「俺のこと愛してなかったのか? 俺が妻をないがしろにするような男だと思ってたのか?」
夫のその言葉に笑いがこみあげた。
幼馴染みを優先することが妻をないがしろにすることになると分かっていない夫は、これまで自分が妻をないがしろにしてきたという意識さえないだろう。
「きっと幼馴染み四人組には一生分からないでしょうね。男の友情を優先することが、自分の妻や家族をないがしろにしていることになるって。
友情はもちろん大切よ。でも程度があるの。あなたが一番大切にする幼馴染みのために、私との結婚記念日をないがしろにした。私は彼らよりも大切じゃないってことでしょう?」
「ちがう……。大変なのはあいつだから……」
「そうよね。彼の方が大変だったものね。だから彼を優先した。分かるわよ、その気持ち。
その後もずっと彼のことが心配だったから私との時間を作らなかった。結婚記念日を台なしにしても埋め合わせる気もなかった。
だからあの日に私が言おうとしていたことを今日まで聞くことがなかった。
本当にそれだけのことなの。
大切な友達を優先して、彼らよりどうでもいい妻のことを後回しにした。妻のことはどうでもよかったのよ」
体力がすっかり落ちているのでいつまでも恨み言をいっている暇はない。すでに体力をずいぶん消耗してしまった。
もう言える機会も限られている。言いたいことをいっておかなくてはならない。
「これは私の愛の呪い。あなたのことが大好きで愛してた。でも私はあなたの一番になれなかった。
夫婦として過ごしていれば、いつか一番になれるだろうと思ったの。
でも私にはもう時間がない。
本当はあなたにできるだけ迷惑をかけずに死のうと思った。良い妻だったと思ってもらえる死に方をしようって。
でもね、良い人って記憶に残りにくいといった人がいて、その言葉がつよく頭の中に残ってたの。
たしかに良い人って、何となく良い人だったとぼんやりとしか覚えてない。
でもひどい人とか変な人のことってよく覚えてる。どういうことをしたのかを含めて。
だからあなたの記憶に残るひどい妻として死のうと決めたの」
「なんだよそれ? なに訳わかんないこといってるんだよ? 変だよ!」
「そう。変なの、私。こういう変な女だって知らなかったでしょう? よかったね。もうすぐ死ぬから今度はまともな人と結婚できるよ」
夫が顔を手のひらにうずめた。これ以上は受けとめきれないのだろう。
言いたいことはいった。これで心置きなく死ねる。
もう幼馴染みより大切にしてもらえないと悲しむこともない。愛されない、みじめだと泣くこともない。
ミリーだけを大切にし、愛してくれる人に出会えたと思った。夫が幼馴染みにみせる情の深さを自分にもむけてくれ、幸せになれると思っていた。
それが独りよがりな考えだったと認めたくなかった。夫の「愛してる」という言葉を信じたかった。愛されていると思いたかった。
結婚記念日に邪魔がはいったことで絶望しそうになったが、結果的にこれでよかった。
もしミリーの病を知ったあとに夫が幼馴染みとの友情をとっていたら、衝動的に自分を殺してしまっただろう。
あの時に決めた。夫がミリーの体調を気にすることがないかぎり病気のことは話さないと。
ずいぶん前から自分が夫にいだいている気持ちが嫉妬でゆがんでしまったことに気付いていた。
嫉妬でゆがんだミリーの愛は夫への憎しみに変わった。
自分を傷つける夫を傷つけ返さなければ気が済まないと思うほどゆがんでしまった。
それでも―― もし結婚記念日を一緒に祝えていたら、夫に看取られおだやかに逝こうと思えたかもしれない。
これまで自分を保つことができたのは親友のナディヌが寄りそってくれたからだ。
死を間近にむかえた友人のそばにいるなど、とても苦しいはずだ。自分がその立場になったなら耐えきれるか分からない。それでもナディヌはそばにいてくれた。
死にたくないと泣くミリーをなぐさめ、夫への恨み言をはくミリーの背をなで、苦しさをかくし平気な顔をして隣にいてくれた。
本当は夫にそうしてもらいたかった。
愛されていると感じながら死にたかった。
それが叶わないので夫に呪いをかけることにした。
やるべきことはすべてやった。
疲れた。痛みをこらえ、気持ちの悪さをいなすのも疲れた。
体力がなくなってしまったおかげですべてのことがどうでもよくなった。夫への怒りや憎しみも、死への恐怖もうすれた。
いまはすべてから解放され早く楽になりたいという気持ちでいっぱいだ。
夫を一生しばる呪いをかけた。ミリーの存在を、ミリーの愛を忘れないよう呪いをかけた。
もういつでも逝ける。ミリーは動揺する夫の姿を見ながらうっすら笑った。