構われるという孤独
「お゛に゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛!!!」
アニキの車で医者へ行って風邪薬を処方してもらった後、家の駐車場に着くと妹からの大歓迎が待ち構えていた。
妹、愛葉 愛花。
小学五年生、頭ゆるふわだが成績は悪くなく、運動神経が尋常じゃなく良い。
学校の高鉄棒で片手で大車輪とかかます程度には凄い。
性格は正義感も強く妥協を許さずノリがよく、友達も非常に多い。
が、幼い頃から両親が海外で仕事してるためか寂しがり屋で、肉親であるぼくにべったり。
言ってみればこのブラコン気質が無きゃ主人公体質なのだが。
「おにいが帰ってこないから心配で心配で学校休んだああああ!」
「いや行けよ」
ともあれ、玄関を開けたら即座にぼくに抱きついて離れない愛花を引きずって、どうにかアニキにキッチンへと運ばれる。
既に下準備は出来ていたのか、自家製・・・になるのか、すぐにお店で出てくるのと遜色のないつけ麺がテーブルに並べられた。
味玉はぼくと愛花、3個ずつだ。
つなぎを一切使わず小麦粉のみで作られた麺は、専門の麺職人が丹精込めて伸ばして切った一本一本が特注と言えるツルツルシコシコ麺だ。
喉越しの良いその麺と濃厚で魚粉の効いたスープの相性は最高だ。
風邪ひいて調子悪くてもこれだけは食える。
あとは体調悪いぼくに配慮したのか、長ねぎスライスがスープにたっぷり浮いており、少し生姜の風味が強い気がする。
「ん~!おじのつけ麺はいつもうまいな~!」
「うん」
「そうかそうか美味いか!何度言われても言われ飽きないねぇ!」
おいしそうに啜るぼくら兄妹を満足げに眺める叔父・草薙 桃次である。
この叔父・・・アニキは若い頃は中国に修行に出ていたらしく、料理の基礎はそこで培ったとのこと。
何の修行かは聞いても詳細を教えてくれないが、とにかく色んなことを学んだらしい。
その後はなんやかんや日本で店を開いて結婚して子供をこさえて、働きつつぼくと愛花の面倒も見てくれているわけで。
ぼくもアニキには料理の手ほどきやケンカのテクニックを教わったりと頭が上がらない。
勉強の方はからっきしらしくて他の人に教わってるけど。
「ごちそうさま」
「おう。今日はおとなしく寝とけよ。一応おれも家にいてやるからよ」
「うん」
いつもの半分以下のペースでつけ麺を平らげたぼくは、後片付けを愛花とアニキに任せて自室で眠ることにした。
風邪薬を飲んで、コンビニで買った栄養剤で胃の中へ流し込む。
こうして食欲があるだけまだマシだな、でなきゃ薬も飲めやしない。
しかし、アニキは店に戻らないのか。
ますます頭が上がらないな。熱で頭が回らないというのもあるけど。
「おにぃ!あたしが介抱してやるぞ!」
「ほう、具体的には何ができる?」
「氷枕作るとか!」
「実にいいな、作れるなら作ってくれ」
「わかった!あと添い寝してやる!」
「風邪感染るからやめとけ」
ふらつく足取りでリビングを出て階段を上り、間借りしている自室という名の元物置へと這入る。
シングルベッドにどさりと倒れてから、いま武のジャージ着たままだということに気付く。
しまったな、洗って返すつもりが・・・まぁいいか。
どうせ外は雨で干せないし、今から着替えるのだるいし。
あれ・・・乾燥機ってあったっけ、うち。
いかん、本格的にぼうっとしてきた・・・薬が効いてきたかな。
熱い目頭のまま天井を眺めていると意識が薄れるのも早く、次第にまどろみの中へ。
最後に聞こえたのは、下で水をこぼしたらしい愛花の悲鳴であった。
※※※※※※
夢を見ていた気がする。
幼い頃の夢。
美奈子と和弥、そしてぼく。
三人で遊んでいたころの夢だ。
和弥とはよくケンカをしたな。
いつも負けて泣く癖に、毎日絶対にあきらめないでぼくにかかってくるんだ。
で、和弥が泣くとぼくが美奈子に怒られる。
毎度のパターン。
ぼくらの力関係はいつも美奈子が一番上だった。
小学生のいつ頃だったかな、和弥がぼくにケンカを売らなくなったのは。
生意気な和弥を小学六年生のボスみたいな奴がいじめてた時期があって。
その先輩をぼくが殴って骨折させたんだった。
仕方なかった、相手は5人がかりで来たんだから。
アニキをはじめとしたいろいろな親戚から伝授された拳法がぼくにはあった。
全員を病院送りにしたということで学校から、モンスターペアレントから怒られて。
それでも最後まで味方してくれたのはその親戚たちと、美奈子。
最終的には高学年による低学年へのイジメに対する罰という形でケリがついた。
勝ったんだな、と思った。
けど、ぼくはアニキたちに怒られた。
理由は一つ。
『誰かのために力を使ったんだから良い。けど、おまえはピアニストでギタリストでサックスプレイヤーでヴァイオリニストなんだから、殴ったりしちゃ駄目だ。自分を、自分の手を、もっと大事にしろ』
その日からぼくはケンカに手を使わなくなった。
同時に、和弥がぼくに突っかかってくることもなくなって、むしろ一緒にアニキたちから修行ともいえる運動に参加するようになった。
・・・懐かしいな。
そういえば、何であの高学年たちは和弥をイジメたんだっけか。
確か・・・美奈子のリボンを馬鹿にしたやつがいたような・・・。
ああ、なんだ。
美奈子のためか。
和弥もあの頃から美奈子が好きだったんだな。
―――わかってたはずなのに、な。
※※※※※※
ふと目が覚めると視界がぼやつく。
重い頭はひんやりとした冷たい枕に支えられ、目覚まし時計の横には愛用の伊達眼鏡が置いてあり。
カラカラの喉は水を欲しており、冷蔵庫に入れてあるスポーツドリンクを取りに起き上がろうとするが。
「あっ、ごめん!起こしちゃった?」
聞き覚えのある声に意識は瞬間覚醒する。
いつのまにやらぼくの腕枕で眠っていた愛花を横へどかし、上半身を起こしてその声の主へと向き直ろうとするが、
「ああっ!だめだめ、寝てなきゃ!まだ熱下がってないんだから!」
「・・・うぐ、げほっ、げほっ」
「ほら、大丈夫?水、飲める?」
咳き込んだぼくに、水差しから水を汲んでくれた美奈子からコップが渡される。
葛城 美奈子。
ぼくの初恋のひと。
何故ここに、と聞くのは野暮だろう。
幼馴染だから、当たり前のように。
これまでと同じように面倒を見てくれているだけの事だろう。
唇を濡らす程度にコップに口付けて、その後にゆっくり口に含む。
ちびちびとした動作で水を飲みおわると、美奈子はぼくの肩を押してベッドに寝かせ、その上から布団をかけ直してくれた。
「・・・いつから?」
「来たばかり。本当はちょっと様子を見たら帰ろうかなって思ったんだけどね」
「そっか・・・」
桃次さんから連絡があって、と前置きして美奈子はそういった。
あの叔父め、余計な気を回しよって。
美奈子はぼくの寝ているベッドの端に遠慮がちに座ると、感慨深げに部屋を見回した。
「なんだか幹の部屋、久しぶり。部屋のポスターの配置も変わってない」
「そうだったっけ」
言われてみれば、中学に上がってからはあまり美奈子がぼくの部屋に来ることは無かったか。
思春期らしく、なにか感じ入るところがあったのかな。
「そういえば、和弥は?」
ふと、あと一人がいないことに気付いて聞く。
熱のせいか、気まずいという感情は起きなかった。
「コンビニに寄ってから来るって。栄養剤とか風邪薬とか買わなきゃって」
「もう飲んだっつの。あいつ、病人の看病とかしたことないのか」
「ふふっ、わたしたちみんな風邪とかひかなかったもんね」
「馬鹿は風邪ひかないんだよ」
「それって嫌味~?」
ぼくは今回風邪ひいたから対象外だと伝えると、すこし膨れる美奈子がかわいい。
実際、ぼくらは健康な子供だったと思う。
多少のケガをすることがあっても、風邪をひいたりすることなど滅多になかった。
せいぜい、和弥が中学の時に盲腸で入院した程度か。
「それで、幹はどうしてこんなんなっちゃったの?」
「・・・こんなんって」
「学校のグラウンドで寝てたって聞いたよ?」
「・・・・・・」
思い出した。
思い出して、一気に気まずくなる。
見てしまったなんて言えない。
それが原因で泣き喚いたなんて知られたくない。
だからぼくは嘘をつく。
まるで息をするかのように。
「制服のままランニングしてたら寝心地が良さそうだったんだよ」
「グラウンドが?」
「悪いかよ」
「悪・・・い、とは、言わないけど」
歯切れ悪く、肯定も否定もしない美奈子。
他人の言う事をいったんは飲み込む癖が美奈子にはある。
だから今、美奈子の中では『幹にとってグラウンドはベッド同然?』と疑問符が浮かんでいる事だろう。
別に信じてくれなくていい。
とりあえず適当にこの場を凌げれば、そのうち忘れてしまうだろう。
「で、気付いたらびしょ濡れになって風邪ひいてました。おわり」
「う、うーん、そんな事ってある?」
「あるさ」
「あるのかー・・・」
膝に肘つけて両手で頬を支える美奈子。
こういう頭がよわよわなところが実にありがたく、愛おしい。
などと、少し気まずい空気を払拭しつつあったところへ、階段を駆け上る音がした。
こんな風に人の家・・・というか叔父の家の階段を急いで登るやつなんて、家主を除けば愛花と和弥くらいしかいない。
で、愛花はここでぐおーぐおーいびきかいて寝ているから、足音の主は和弥しかいないわけで。
「よぅ幹!見舞いにきたぜー!」
「帰っていいよ」
「オレの気遣いが行方不明!!」
がちゃりと部屋のドアを開けて入ってきた和弥の独特なツッコミを聞きながら、ああ、ぼくの毎日はかつてこうだったな、と思い出してくる。
中学卒業式から変わってしまったけど、またこういう空気が出来るのは・・・嬉しい。
「あ、そうそう、風邪薬とリポD買ってきたぜ!これ飲んで元気出せよな!」
「美奈子さんや、こちらはどなたじゃったかのー」
「あらあらお爺さん。ウーバーですよウーバー」
「おおそうかそうか、じゃあそれ置いてゴーホーム」
「寸劇!!」
唐突に始まる老人コントwithツッコミの和弥。
手に持ったビニール袋振り回すなよ。
「ふん、なんだい、元気そうじゃないか。心配して損したぜ」
「あらあら和弥くんてばぼくのこと心配してくれたのー?」
「し、してねぇし!?」
「ツンとデレの配合が昭和ですわねぇ」
「そんな古くねぇし!せいぜい平成だし!」
などといったやり取りを少々。
ふたりと話していたら少し気が楽になった気がする。
この二人で傷ついてこの二人で治るとか、どんなマッチポンプだ。
そうこうしているうちに時刻は午後5時。
「さて、そろそろおいとましようかな」
「うん、そうだね」
「ん」
ぼくの体調を考えてなのか、いつもより早く帰ろうとする和弥と美奈子。
すこし寂しいような、ほっとするような複雑な気持ち。
確かなのは、心の傷が疼いたという事実だけだ。
「じゃあな幹。お大事にな」
「またね幹」
「ん、ありがとう」
「はは、幹がありがとうだってさ」
「ふふっ、珍しいね」
「・・・うっさい、早く帰れ」
布団を少し蹴り飛ばしてやると、二人は笑いながら部屋を出ていった。
はぁ、やれやれ。
ぼくは改めて温くなった氷枕を頭につけて布団をかぶり直した。
あいつらはきっとまた、ぼくのいないところで手を繋いで帰るのだろう。
そしてまた、別れ際に―――キスをするのだろう。
想像するだけでまた胸が痛む。
「・・・気分悪いな」
「おにぃ、まだ具合悪いのか?」
いつの間に起きていたのか、一緒のベッドにいた愛花が立ち上がり、ぼくを見下ろしていた。
ベッドの上に立つんじゃありません。
「待ってろ、おじにおかゆ作らせるから!」
今度は布団を吹き飛ばしながらベッドを飛び降りて部屋の外へダッシュしていく愚妹。
せめて静かにできないものか。
そしてようやく一人きりになれたぼくを待ち受けていたのは、静寂。
誰もいない部屋で耳鳴りだけが響く中、熱がぶり返してきたのか寒気がひどい。
寒い。
さむい。
さっきまであんなに温かかったのに。
ぼくはひったくるように布団をかぶり直すと、抱き枕のようにして横になる。
回した手に力を込めながらぼくは、小さく呟いたのだった。
「いつまで・・・この寒さは続くんだ」