2話
一度今日泊るブリリアンホテルに戻り、メノアが買ったヌイグルミを置いて来てから温泉を目指して俺たちは木に生える葉から漏れる光が射す森へ入っていた。
歩いているだけで心が洗われるような心地よい気持ちにさせてくれる森の空気を感じながら四人並んで歩いていると、木々に隠れて見える動物達がこちらを観察していた。おそらく遊園地のキャラクターのモデルであろう兎やリスがおり、鳥の鳴き声なんかも聞こえてくる。
「いい場所ね、森林浴も悪くないかもしれないわ」
「とても胸がすっきりするのです! ここだけ空気が違うんでしょうか?」
「どうだろうな。でも、そんな気にさせられるくらい綺麗で美しい場所だ」
「お兄ちゃんがそんな言葉使うなんて……」
「はぁ? 俺だってなー」
「そんな事にムキにならなくていいでしょ。それより、温泉はこの道を真っすぐよ」
「そうか」
俺は生返事を返し、改めてこの場所の綺麗さと懐かしさを堪能する為に枝葉を見上げる。
「お兄ちゃんも昔を思い出す?」
「ああ」
俺とメノアが育った故郷も近くに森があってよく二人で遊びに出かけていた。その森も美しく、ちょうどこの場所と似通った感じで動物も住んでいたんだ。あの頃は、俺もメノアも小さかっただけに森の中を自由に駆けまわって――キュア達ともよく一緒に遊んでいたな。
「マスター楽しいですね。もっとマスターと色んな場所に旅行したくなります♪」
「ああ、俺もだよ」
そして、たぶん皆もだ。
ティラには感謝しないとな。ティラのおかげで遊園地や温泉、ホテルと満喫することができる。俺には旅行するっていう発想もなかったし、お土産をたくさん買って帰らないとな。
カナリやアモーラ、タナテルの分もだ。サーナタンやスリット王国では、あいつらにも迷惑を掛けたり助けられたりしてるし、その感謝をこの機会に伝えるのも悪くないだろう。
「ポロは幸せなのです〰〰〰〰♡」
甘えん坊モードにいつ入ったのか、ポロが急に俺の左腕にしがみ付いて頬擦りをしてくる。
それに対して俺は抵抗せずに苦笑いをするだけだった。
今は皆の休暇だし、こういうのも許容しなくていかないとな。
「ポロちゃんずるいよ! それならわたしも!」
メノアは偶に妹の位置にプライドを感じている部分がある。だからだろうか、メノアもポロの対抗して俺の右腕にしがみ付く。
メノアは、ポロと違って胸があり、その感触が腕に伝わってきた。
おい待て、メノア! いや、待つのは俺か!?
何も感じるな、これは妹だ! メノアだ! 何とも思ってない! 胸なんて触れてない!
そうだ、胸なんてないんだ。メノアはずっと――
「あー、足が滑ったー(棒)」
棒読みの科白があってから背中からロゼが抱きしめてくる。
流石にロゼの豊満な胸に耐えるなんてできるわけはなく、全員を振り払おうとする。
「ば、ぶっ、っ〰〰、歩けんわ!!」
恥ずか殺す気か!!
煩悩に耐えていた反動で呼吸が荒くなり、体が熱くなっている気がする。
恥ずかしさが爆発したおかげで適当な理由が出るのが遅れた。
「それより、温泉はどこら辺にありますかね~?」
服と呼吸を整えて平常を装うとする。
「…………さっきの地図の感じ、もう少し先だな。温泉の辺りは、森じゃないみたいだから近くに来たらすぐに分かるはずだ」
「他にも秘湯とか、露天風呂もあるみたいだし、全部回るとしたら温泉を出るのは夜になりそうね」
ロゼは、ホテルから持って来たパンフレットを何食わぬ顔で開いており、先を歩き始めている。パンフレットには地図も載っているみたいだし、道も入り組んで無さそうだがら迷うこともなくなるだろう。
「へぇ~、楽しみだねお兄ちゃん♪」
「あはは……そ、そうだな」
なんで女の子って温泉って聞くと目の色変えるんだ?
メノアもさっきまで人形で喜ぶ幼女みたいだったのに、急に乙女の貫禄を出し始めている。
ロゼに至ってはパンフレットまで持ち込んで……温泉の力って凄まじいんだなって関心しちまうよ。
メノアは俺の反応を見て、俺が興味なさげなのを分かったように頬を膨らませ、目を細めている。
「バロウはあまり興味がないみたいね」
「えっ!?」
メノアはあえて言わないようだったが、ロゼによって図星を突かれてしまい俺はビクッと驚き足を止める。ロゼも俺のことよく分かってきたようで、メノアが二人になったような錯覚をしてしまう。
「まぁ、それでも付き合ってもらうけどね」
「はいはい、そうですか……」
嫌味な笑みを見せてくるので俺は肩を落とす。してやった気分を共有するかのように歩き続けるメノアとロゼがクスクス笑っていた。二人が先に行き、何があったのかと前で足を止めて首を傾げるポロに気を遣わせまいと最後尾を行くのだった。
メノアとロゼが前を歩き、俺とポロが後ろを歩く列になると俺はどこからか自然とは違う物音が聞こえて立ち止まる。それを疑問に思ったポロが俺を呼び、先を行く皆も立ち止まる。
「どうしたのですか、マスター?」
「いや……」
俺は辺りを見渡して耳を澄ます。何か嫌な感じが近づき、森の雰囲気も変わったような気がして放っておこうとは思わなかった。
それは、目を閉じて感覚を研ぎ澄ませるとすぐに判った。
誰かが何者かに追われて息を荒げながら走っており、今にも追いつかれそうである。その者達を避けるかのように近くいる動物達が離れていくのが判る。それがきっと森がざわめいているように感じた正体なのだろう。
俺はすぐさま皆を放って道を外れて林の中へと入っていく。
「ちょ、お兄ちゃん!?」
「バロウ!」
「また何か見つけたのかもしれません」
「面倒事じゃないでしょうね?
はぁ……いつもの事だからもう慣れている自分が奇妙に思えてくるわ」
「わたしたちも行くよ!」
「うん!」
不意の事で驚く三人は、呆れながらも同じく道を外れて森の中へと入っていくのだった。
整備されていた道とは違い、木の根っこなどが盛り上がっている為に走りづらい。よくこんな森の中を逃げ惑っているなと関心するほどだ。俺は地面を行くのは不効率と考え、木の枝を跳ぶことにし、近場の木の枝を掴んで跳び上がって枝の上に着地する。幸い木枝がお茂っているおかげで足場を見つけるのに苦労せず、木の間を跳んで追われている人の所へと向かって行く。
◇
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ――…………」
体中に汗を滲ませ、森の中をひた走る桜色の髪をした少女は、息をするのに必死で口を開けたまま走り続ける。後ろを振り向くと、7つの人の形をした黒い影のようなものが走る動作もなく、ただその影を移動させているかのように不気味な動きをしていた。
いくら走っても影は少女への追跡を止めず、追いつくまで離れなさそうである。
少女は苦しそうにし、今にも転ぶのではないかという走り方になる。それが祟ったのか少女は下を見るのを忘れ、木の枝に足を引っかけ転びそうになってしまった。
しかし、それを見越したかのように少女を木の枝の上へ引き上げる者がいた。
少女がいきなり消えた事でその場を通り過ぎる黒い影達は見失ったようでキョロキョロ顔をを動かしている。
◇
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ――…………っ誰?」
「しっ、静かに」
俺が抱きかかえる少女が息を整え喋り出すので、指を一本立て静かにするように促してから下を覗くように顔を出して影の動向を確認する。
なんとか救出はできたが、あいつらいったい何なんだ? どう見ても人間に見えないし、あんな種族は聞いたことがない。
こいつもこいつだ、なんであんな変な奴に追われてるんだ? ってか、前にもこんな事があったな。タナテルがキモい仮面をつけた奴等に追われていた。
過去を振り返っているうちに少女の左腕あたりを掴んでいる俺の左手の甲の方が少しばかり光ったのが気になった。
ん? なんだ…………?
その光のせいか俺たちの居場所を黒い影に気付かれてしまっており、少女がそれを真顔で報せてくれる。
「バレた」
っやべ……!
影がこちらへ飛んでくる寸前に立ち上がり、別の木へと飛び移る。
後ろを振り返れば影は宙を浮遊し、俺たちを追って来るのが見え、俺は少女を両手でお姫様抱っこのように抱えたまま次々と木の枝上を移動していく。
「あれは、なんなんだ?」
「……知らない」
森の中だから炎魔法は使えない。俺の得意魔法って制限ありすぎだな、もっと他の属性魔法を使えるようにしとけばよかった、クソ。
「フラッシュ!」
少し逃げ回り続けていると木の下より魔法が唱えられるのに気が付き、足を止める。
振り向くと、ロゼが掌を黒い影に向けており、光の閃光が眩く解き放たれていた。
影達は、その光を嫌がるように反対方向へと逃げていく。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「マスター!」
そこにはロゼだけでなくメノアとポロもおり、俺を追って来てくれていたのだと悟って木から下り、三人の下へと移動する。
「ありがとな、助かった。よく光魔法が効くって解ったな」
「なんか黒かったし、試しにロゼにやってもらったんだよ。光魔法はロゼが得意だしね」
流石メノア、よく解らないが光魔法を選んだのは得策みたいだったな。
「それより他に言う事があるんじゃないの?
また勝手にどっか行って、一言わたしたちに言ってっからとかできないわけ!?」
ロゼが近づきながらお怒り気味に説教を説いてくるので、俺は後づ去りしながら苦笑いで対応するしかなく、真面目さを強調すべく抱える少女をゆっくりと下ろした。
「はは……ごめんごめん」
「そうだよお兄ちゃん。そろそろ報連相ができてもいいくらいの歳なんじゃない?」
うっ……それを言われると結構傷付くな。
「また女性をお助けしていたのですね……」
今回ばかりはポロも目を細めた疑いの目を向けてくる為、俺に味方はいないようだ。いつもは味方のポロまでそんな顔だと俺の居場所がなくなってしまうから本当に困ってしまうな。
「別にやましい気持ちとかはなくですね……」
「それくらい分かってるわよ。
で、今回は何が原因なわけ?」
おぉ……ロゼが話を聞いてくれるらしい。まぁ、悪い事したわけでもないし、怒られる筋合いもないのだが、いつも皆説教してくるから慣れていたのかもな。
真顔で俺たちの様子を窺っていた少女へと視線を移す。
桜色の髪に前髪が長くて右目しか拝めないが、その目は髪色と同じくピンクっぽい。
背丈はポロよりは大きく、メノアよりは小さいくらいだから150センチあるかないかというところだろう。森を長らく走っていた脚にしては細いし、肌も色白で美人だ。
男に追われるとかならまだ分かるものの、あんな良く判らない奴等に追われるには相当の理由があるのだろう。当の本人にはその理由に覚えがないようだが。
「なぁお前、どこに住んでんだ?」
本人が知らなければ、親兄弟などの近しい者が原因の可能性が高いだろう。
「ここ」
「え?」
少女はまたも真顔で遠くを見るように言う。不思議な子というか、ちょっと変わった子なのかもしれない。
「俺はバロウ。お前の名前を教えてくれないか?」
「バロウ……。名前…………ない」
「ない!?」
俺たちは当然のように驚いた。名前がないというのはつまり、俺のような孤児であったり生涯奴隷といったような特殊な人生を歩んできたような者である事を指し、親兄弟がいないという事でもある。
「ほらあれよ。まだわたしたちの事を信じられなくて教えられないだけよ。
察してあげなさい」
ロゼの言う事も一理あるが、名前を教える教えないで何か変わるか?
「教えてくれないって事か?」
「ない」
少女はゆっくり首を横に振り、端的に否定する。
「特殊な家柄の子とか?」
「ポロのような人造人間にも見えませんから、逸れロボットでもないと思うのです」
この不思議な少女に魅入られたかのように皆がまじまじと眺め始める。
「じゃあお兄ちゃんが名前を付けてあげれば?」
「は、はぁ~?」
この少女が何者か考える俺にメノアがそんな提案をしてきた。あまりにも簡単に言うので呆れてしまう。
「確かに呼びづらいのも面倒よね。どうせバロウならこれからも首突っ込むだろうし」
「マスターに名前を付けて頂けるなんて、羨ましいのです!」
「な、何言ってんだよお前等……」
なぜかメノアの意見に賛成らしい二人がいてアウェーな俺は戸惑いを隠せなかった。
「お前も嫌だよな? こんな初対面の奴に名前を付けられるなんてさ」
「そんなことない、あなたに付けて欲しい」
問いかけると少女は首を振り、むしろ願い出るように微笑むのだった。その言葉と表情で仕方ないと腹括るに至り、とりあえず考えてみることにする。
「じゃ、じゃあ……サクラ? いや、ほら、髪が桜色だしさ」
「いいんじゃない? 可愛いし」
「ダメ出ししようとしてたのに、そこまで悪くない……」
ロゼはそんなこと考えてたのか!
「素晴らしいのです!」
「うん、嬉しい」
少女は少し微笑み、その名前を了承してくれたようだ。
正直、名付けには自信が無いのだが、嬉しいとまで言ってくれるのはこちらも嬉しくなってしまう。それもこんな可愛い子の笑顔を引き出せたしな。
「名前も決まった事だし、どこに行く? このままここにいるのは危険かもしれないわ」
「そうだな、とりあえず温泉は諦めて遊園地の方に戻るか。人ごみの方がアレも手出ししてこないと思うし」
「えぇー……」
メノアが嫌そうに肩を落とす。
「仕方ないだろ。先に温泉があるだろうが、森の中にこれ以上……さ、サクラをいさせるのは危険だ」
俺は、自分が決めた名前を呼ぶ恥ずかしさから言葉が詰まってしまう。
「アンタが決めた名前でしょ、堂々と呼びなさいよ」
「わ、わかってるよ、ちょっと恥ずかしかっただけだろ!」
「ポロはマスターに付いて行くのです!」
「……分かった。
サクラちゃんを守る方が先決だもんね」
すまないなメノア。今回の一件が終わったら必ず連れてくるから許してくれ。
「じゃあ、サ……クラ付いて来てくれるか?」
「うん」
サクラは首を縦に動かし、肯定してくれる。俺はその返事に安堵し、皆を連れて来た道を戻るように遊園地の方へと戻っていく。
遊園地方面は、俺たちが今晩泊る予定のホテルもある為、身を隠すには打って付けだ。森の中は警戒が必要だが、着いてしまえばいくらか安心できるだろう。
「わたしはメノア、あの寝癖頭の妹」
「寝癖頭……!?」
メノアは俺の髪をそういうふうに解釈していたのか……!?
「ロゼよ」
「ポロなのです!」
「……サクラ」
歩きながら自己紹介を始める皆をサクラはそれぞれ見ながら微笑んだ。
「アンタが付けた名前を気に入ったようね」
「……それはまぁ……俺も嬉しいけど」
「けど?」
サクラの詳細がはっきりしないし、まだまだ謎は多そうなんだよな。あの黒い影がなんなのか分からないし、嫌な予感がして……こっからはあまり休息にならないかもな。
「いや、なんでもない」
言葉を飲み込んだ俺は、その後も周囲を警戒しつつ皆とサクラを遊園地へと連れて行く。
その途中、俺は思い出すように左手の甲を見る。先程、木の上にサクラを引っ張り上げた後に光ったところだ。
見てみると――そこには、見知らぬ紋様があった。
紋章のようにも思えるが、サイズ的には小さめだ。二本の角が曲がって生えた悪魔の顔のようにも見えるし、反対にしたら気色悪い杖にも見える。
どちらにせよ俺は何か大変な事に巻き込まれたのかもしれないと悪寒に背筋を撫でられ身震いする。
気のせい気のせい。
でも…………呪いとかだったらどうすっかな。