20話
巨人像の攻撃をなんとか防いだことで着地点での受け身のミスだけが俺の体を蝕んだ。
いつの間にか俺を覆う紋章の力は消えており、体が回復するのを待つより先に元の場所へと戻ろうと巨人像を目印に肩を押さえながら歩いてきた。
紋章の力も万能ではなく、回復の限界量が存在する。
おかげで体全体を回復するのには結構時間が掛かっている。
ユウもそれに注力しているのだろう。俺とユウとのコミュニケーションはとっくに無くなっていた。
俺の体のことはユウに任せることにして、やっとの想いで戦場へと戻る事ができたのだが、
俺が見たのは、島の王として君臨した巨人像の姿だった。
もうこれを相手に立ちはだかる者は一人もおらず、ラキウスも虫の息で倒れているのを気配だけで読み取った。
ゾアスも同じく生きてはいるが、命の灯は限りなく小さくなっている。
ケンタも生きてはいるようだが、こちらへ来る足は俺並みに遅い。
サクラを助けられていない現状で、俺達は満身創痍もいいところだった。
しかし、巨人像の動きが無表情のまま止まっているのも確かだった。
俺の魔力の一部分を吸ったサクラの魔力を吸収し続け、もうサクラの体力が限界に近づいているのだろう。
巨人像は魔力を吸いあげる速度を急激に遅くし、サクラの魔力を回復させようとする腹積もりらしい。
まだだ……。ここなんだよ……。
ゾアスもラキウスも、そしてポロだって俺のせいで倒れた。
ケンタも戦って負傷しているんだろう。
もうユウもいないし、サポートは一切無い。
だけど、巨人像もいま動くことをしていない。
今なら、サクラを助け出せるかもしれないんだ。皆のぶんまで、俺が動け。
皆が俺を未だに動かせるようにしてくれたのは、俺がサクラを助け出せるって信じてるからなんだ……!
俺なら、あの巨人像を倒せるって信じているからだ……!!
ここで動かなくて、バロウ・テラネイアを名乗れるか!
骨が折れてる? 内蔵が破裂したかもしれない? これまでの傷が完治していない? サポートがこない?
知ってる!
それでも動くのが、動かなくちゃいけないのが、ここにいる――
「バロウだ」
巨人像の遠くを見ていた視線が急に下方へと移動する。
そこで一人、アリ同然の小さな戦士が歯を食いしばって自分へ向かってくるのを視認する。
それは、先程から自身の周りをウロチョロし、攻撃をしかけ、一度は吹き飛ばされもした面倒な相手。
しかし、彼の放つ圧はさっきとは比較にならない程に感じられなく、空前の灯にしか見えなかった。その為、巨人像は魔力を最小限に抑えながら小人への攻撃を始める。
左足を伝い、必死に駆け上ってくる相手に、これまで通り虫を払うように腕を振るう。
直撃すると同時にやれやれとまた力が抜けるが、なぜか払ったはずの手が何かに引っ掛かったように膝あたりで止まっていることに顔色が少し変わった。
その手は、バロウの左腕一本によって止められていたのだった。
彼を見る目は変わらず、先程より存在感を示すような圧を感じなかった。自分と互角に張りあえそうな焦りをもたらすような存在感を感じなかった。
しかし、その瞬間にだけ得体の知れない畏怖を感じずにはいられなかった。
彼の向ける視線がこれまでとは比べ物にはならない威圧感を放っていたからだった。
バロウの瞳は紅く、宝石のように輝いていた。
「まだ、俺がいるぞ!」
まだ身体が悲鳴を挙げているのには変わりない。無謀でも、紋章だって回復重視だから使えないんだからしょうがない。
けど、天とやった時みたいな昂りが、衝動が、今の俺にはある。
諦めるな、死んでも離すなって俺の中のどっかが叫んでる。
もうサクラ以外は見ねェ……。巨人像なんてどうでもいい。
サクラを救う事だけに注力する!
巨人像の手を離し、俺はそのまま巨大な右脚を上って行く。
それまでの嘲笑うような笑みがなくなり、焦りが見える表情にも目もくれず、迫り狂う勢いのない攻撃は腕を払うようにして弾き飛ばし、サクラへと直線的に走った。
もうサクラの灯も弱くなっていってる。今すぐに助け出さねーと、次はないのが判る。
今、この手をサクラの所まで行き届かせてみせる!
「うぉおおおおおおおおおおおおお!!!」
体の悲鳴や限界なんてどうでもいい、サクラを取り戻すまで俺はもう地面に足はつけねェ!!
体が今まで以上に熱くなっていくのを感じた。まるで火が出ているんじゃないかってくらいの炎圧を放っている錯覚さえした。
しかし、それと同時に体が動くのを感じていた。
ほぼ九十度の山を手を使わずに足だけで垂直に上っているのだが、それがまったく苦に思わない。
一歩一歩に力が、
腕の一振り一振りに風圧を巻き込むのが、
進むに連れて推進力が、
あらゆる現象が俺を前へと運んでくれる。
巨人像の胸あたりに差し掛かろうとしていた時、巨人像の攻撃が一瞬止むのを感じた。
そのありえない現状に違和感が不意に俺の視線を一瞬巨人像の瞳と合わせた。
嫌悪感と鳥肌が内から出てきてしまうほどの満足気な嘲笑い顔がそこにあった。
一瞬にしてゾクゾクと寒気が全身を走る。
そして、俺を標的とする両拳の影が不気味に俺を覆った。
何をするつもりだ?
そう疑問に思った瞬間、巨人像は自分を壊す勢いで胸部を殴り出す。
俺を破壊する為だけに自分の体を犠牲にし始めたのだ。
しかしその速度は急激に速度を上げた先程とは天と地ほどの差があるほどのもので、攻撃を食らうことは承知して出て来た俺はそれを防ぐ術がなかった。
なんでもできる自信があった。
攻撃をはじき返し、一直線にサクラの所まで辿り着くことができるという自信が。
足を止めることはなかった。
鳥肌の立つ嘲笑を見せられても、雨のように無数に降り注ぐ拳が自分へ迫っても、いくらか拳を受けても。
だけど、いつの間にか俺の足の裏に触れる道が消えていた。
自分の体にヒビが入ろうとも構わず拳を打続け、結果俺は体と拳に挟まれるように打ち付けられた。
意識は飛ばさなかった。
目は離すまいとサクラへと向けた。手を伸ばした。
出血しようとも、骨が折れようとも、脚を進めようとした。
だが、俺の踏み出した脚は空を切った。
落下していくのを感じる中で見下ろす巨人像の顔があった。
最後の希望を打ち砕かれてしまった、という現実に言葉を失い、力が入らない。
俺の視線は最後に意識の失ったサクラで切ろうとした。
「まだ!」
その瞬間、頑張って声を張る誰かの声が耳に入った。
その一言だけで、「諦めるな」という意味が孕んでいるのを悟った。
「まだ、終わってないよ! お兄ちゃんっ!!」
「――ああ……」
拳に力が入る。
既に体はズタボロで復活なんて無理。
だが、最後の一振りだけは、何がなんでもかましてやると命を燃やした。
「吹き飛ばせっ! メノア!!」
下は向いていない。
メノアが今何をしようとしているのかを見た訳ではない。
だが、メノアはきっと俺を届かせてくれると信じて拳を構えた。
メノアは、落下していくバロウとは少し離れた場所から叫んでいた。
肩幅に足を開き、胸の前で両手を開いて構えながら。
「痛いのは我慢して――これが最後だから!
頼んだよ、お兄ちゃん!
レグレッションバースト!!」
瞬く間に光り出す掌から魔素の浮き球が現れたかと思うと直線状に伸びる光線が真直ぐにバロウの真下へと向かっていく。
レグレッションバーストは、魔力を溜め込むことで威力を上げるわたしの一番の魔法。
だけど、魔力を溜め込まなければ、威力の調節が楽でもある。
つまり、直撃時の威力を弱く、推進力を持たせるジェット魔法となる。
メノアが両腕を上へと上げたタイミングで光線先端が急上昇する。
まるで生きたように思えるその魔法はダイレクトにバロウの背中を捉えた。
「行って――」
「ぐっ――…………サクラッ!!」
これで最後だ……。
何がなんでも、これだけはぶちかませッ!!
何故か近づいてくるバロウを目を見開いたまま固まる巨人像。
メノアの魔法に乗せられ勢いよくサクラのいる額の水晶へと一直線に向かうバロウは、力強く握り締められたままの拳をタイミングを合わせて突き出していった。
「《焔魔撃》!!」
歯を食いしばって衝撃に対する痛みを耐え、全力を掛けた拳は炎を放った。
水晶には光の中で必死な顔をする自分が映り出されたが、それは一瞬にしてパリパリパリパリという連続したガラスの割れる音と共に破られた。
その瞬間、俺の背中を支えていた温かみが消え、再び落ちていく。
しかし、今回はさっきとは違う。
俺の手はしっかりと水晶と噴出された炎の中にいたサクラを引っ張り出し、抱きしめていた。
「本当の本当に……待たせたな、サクラ」
意識が無さそうに目を瞑ったままのサクラに、俺は落下中に優しく囁いた。




