14話
壁に本棚が敷き詰められた暗い一室の中央に大きなベッドが佇み、その上で白くふかふかした布団が蠢く。度々その布団から獣の体毛に覆われた尻尾が顔を出し、振ったり、丸まったりを繰り返している。そこへ、焦った様子の黒の短髪をしたスレンダー美人である、いつも通りスーツ姿のティラが入室してきた。
「カナリ様!」
その慌てように反応したのか、中央で蠢く布団が動きを止め、押し上げるようにむくっと起きる。
「ティラ、部屋に入る時はちゃんとノックをするのですね」
ティラの様子に反し、寝ぼけ眼の少女が布団に包まりながら振り向いた。
ベッドの上に散りばめられるほどの長い茶髪は、ベッドの上では自分で踏まないのかと思う程に長く、布団の隙間から覗ける獣耳はやる気が無さそうに下を向いている。肩が出る程よれよれのピンクのキャミソールで全身からやる気の無さを表現しているようだった。
「皆様が旅行に向かわれたブリリアンアイランドに異変が起きています」
「どうせ嵐でしょ。孤島は天候に犯されやすいから」
「そんな事で来たのか」と明らかに面倒そうに答えるが、次のティラの言葉を聞いて目が開く。
「確かに空は雲に覆われていますが、ある者はブリリアンアイランドに巨人が現れたと言う者もいたようです」
暫しの無言の後、ティラは布団から出て立ち上がる。その表情は、ティラと同じく焦りへと変わっていた。
「ティラ、その孤島へ行く準備をして。あのアモーラとタナテルも一緒に連れていく、声を掛けなさい」
「承知しました」
カナリの言葉で業務用表情に戻ったように落ち着き、首を垂れる。
「もしかしたら、帰ってきてしまったのかもしれないのですね。古代の害悪である――殲滅の巨人像が……」
◇◇◇
俺が地上へ出てきた時、既に巨人像はその大層デカい体で海を目指して足を進めており、目に見える光景はアレの足跡でできていた。周辺一帯が森あったはずなのに、その様子は確かにそうだったなと思えるくらいに土と同化して残った倒れている木々くらいだ。
まだ巨人像の復活も本調子ではないのだろう。進める足は、人間のように開いているものではなく、爺や婆のように足を引きずっている。
俺は、肩に意識の無いロゼを抱えていたが、この先も背負ったまま行くのは無理に思えて近くに倒れている木を前に座らせた。
地下から出てくる際、埋められる前に出る事ができず、落ちてくる岩などが当たってロゼは気絶してしまった。
額から血が出てきていたけれど、それは俺のハイヒールで止め、軽い傷も治した。後は目が覚めるのを待つだけ。
しかし、これ以上の無理はさせられない。あの巨体を相手にできるのは、俺かケンタか、それくらいだろう。サーナタン王国の事件以来、ロゼは紋章を使うことができずにいたから。
俺も俺で出てくる時に両腕が岩に挟まったりしたけれど、それはいずれ紋章の力で治るから無視だ。今は、サクラを取り戻すことを優先する。
「ここで待ってろロゼ、今から全部、俺がなんとかすっから」
ロゼの眠り顔を見送り、俺は先でどこかへと向かっている巨人像へと駆けだした。
◇◇◇
巨人像の額にある水晶の中に囚われたサクラ。
声も出せず、目を開くこともできなく、身体の自由は効かないようで身動きは何一つしないが、彼女は自分の意識の中にいた。
「トガメ。貴女は、他の人とは違う運命を宿しているのよ」
母は昔、まだ幼いわたしによくそう言っていた。
今でも幼いけれど、もうそれは遠い昔のようで、まるで百年くらい経ってしまったみたいに思える。
「うんめい?」
三歳になったばかりくらいのわたしは、何も理解していなく、母の言葉に首を傾げるだけだった。
「そうよ。それはわたし達、島の人には当たり前のもので、未来を知らせてくれる詩なのよ。
ふふふっ、トガメにもいつか解る時が来るわ。もしこの先、貴女に苦しい事があっても乗り越えていけるようにね」
あの時、母は笑顔でそう言っていたけれど、こうなる事を判っていたのだろうか。もし判っていたのだったら、母は笑顔ではなく、渋い顔をしただろうか。
今になっては母がどう考えたかは判らないけど、きっと、母ならば自分の娘が運命の子となることができて喜ぶだろう。
任せてお母様。わたしは、絶対に成し遂げてみせるから。
今になって、やっとあの時お母様が言った言葉の意味を理解できた。
『ごめんね、トガメ。あなたに隠している事が一つあったの…………。苦しい想いをするだろうけど、役目を果たして』
きっと、わたしがこうなるって最後には判っていたんだ。
でも、だからこそ、助かると確証が持てる。
わたしは大丈夫だと。
バロウさんは、わたしを助けてくれる。
あの人がどんな人かは判らない。けれど、何も知らないわたしを、ただ追われているだけのわたしを、助けようとしてくれた。
巨人像を動かそうとする人達の前にわざわざ出て行って倒しに行くという無謀なことをしたにも関わらず、見捨てないでくれた。
守ると言ってくれた。
「大事な仲間」って言ってくれた。
助けてバロウさん!!
◇
巨人像が進む度に地鳴りが鳴り響く荒野を颯爽と駆け抜ける男がいた。
男は暗雲立ち込める闇の中、怒りを表すように叫び、歩く巨人の背後に迫る。
すると、拳を握って、その体に鎧のように赤い靄を纏いて進める足を更に速めた。
「《赤煌》――50パーセントアドバンテージ!!」
一気に巨人像の股から前方へ抜かす。
見上げれば、俺を見下ろし、目が合った。いけ好かない愚王の嘲る目だ。
それでより力が拳に込められ、跳び上がった。
「サクラを返せッ!!
赤――っ!!?」
拳を振り上げると同時に、巨人像の腹部に到達する前に想定外の俊敏な腕に阻まれ、森の中へと吹き飛ばされる。
まるで師匠の反応速度を見ているようで、察知するのも敵わず、容易に叩かれてしまった。
硬い木々を折りながら地面へと到達し、痛みが全身を覆った。
それでもと、よろめきながら立ち上がり、再び森の中を駆ける。
今度は、デカい為に目印があり、俺を倒したつもりで進み続けるデカブツへ向かって駆けた。
足の回転なんて数えるだけ無駄であり、疾風迅雷という言葉がお似合いの一足で直線距離で約二キロ間を移動する《足赤》を使った。
ゆえに、コンマ数秒で再び目の前に青銅の体が現れる。
「俺から、逃げられると思うなよ!!」
痛みに耐えながらもう一度拳を振り上げ、宙を自由自在に駆け抜ける事の出来る《空赤》を使って巨人像の気色悪い眼前へと躍り出た。
すると、意識を失ったサクラが目に映る。眠っているのか息はあるようだった。
「サクラ!!」
目の前で叫んでも返答がないどころか目を開けさえしない。
俺は、サクラに気を取られて一瞬巨人像の事を忘れてしまっていた。
「しまった!」
巨人像の目が赤く光ったかと思えば、そこから強大な威力が込められた魔力砲レベルの魔力が放出され、空中にいた俺は、逃げる術がなかった。
直撃を受けた俺は、その本流に抗えず、息もつかぬままに地面へと叩きだされる。
地面へ行きついても、巨人像はその光線を止めることはなく、地面を抉ってまた地面の中へと戻されて行ってしまう。
悔しがる中で必死に魔力を押し返そうとするが、相手の勢いに勝つことはできなかった。
くそっ! くそっ! くそっ! サクラを取り出さなくちゃいけないのに、目の前まで行ったのに!! ちくしょぉ――――ッ!!
声として出ない俺の想いは、土の下の幾重にも重なる岩盤の中へと骨を埋める。
暗闇の中で光っていたはずの俺を包む赤い紋章の力は、いつしか俺の意識と共に消えていくのを感じた。
◇
◇
◇
どれくらい土の中にいるだろうか、俺の意識は未だ戻らないが、なぜか声が聞こえてきた。
誰もいないはずの、洞窟の中でもない地面の底で聞き覚えのある声が俺を起こそうとしているのだ。
幼くも透き通った…………これは、歌だろうか。誰かが歌っている。
心地良く、心穏やかにさせられる綺麗な歌声だった。
ほら、また聞こえてきた。
「もしも私が私を失くしても
君が見つけてくれるって信じてる
いつか怯えて君が困っても
わたしが助けに行ってあげるから
何も知らないわたしを救ってくれた貴方が
君だって知らなくて
何も言えなくてごめんね
現在はもう
傍に居たい
離れたくない
誰より強い絆で生きていこう
わたしと一緒に
信じて
手を取り合って
背中合わせて
最後の私の友達
どんなに離れても君達と共に在るよ」
その歌と一緒に俺の中に流れ込んでくる記憶があった。
そして、俺は見た。誰も助けてくれない孤島であるこの場所で繰り広げられた殲滅行動をする巨人像の様。
無慈悲なそれは、島を破壊するようにありったけの魔力を放出し、島に王が君臨したぞと言いたげな目で破壊の限りを尽くした。
巨人像の薄ら笑いを歪めてやろうかと拳を振るったけれど、結局これは記憶に過ぎず、俺は干渉ができなかった。
クッ……俺は、夢の中でさえこいつに一発も入れられないのかよ!
そこで逃げ続ける親子、その一人がサクラに見えた。
あれは……サクラか!? だけど、少し小さいような……?
彼女等は、森の中へと入り、いつかは森の中にあった地下道を走る。
サクラは、母に手を取られ、「急いで」と何度も言われながら走り続けていた。
行きついた先は、俺たちが奴等を見つけた地下洞窟だった。
巨人像はその身を潜めていなかったが、確かに内装や暗く湿った感じはあの洞窟に間違いがなかった。
そこでは、やつれた婆さんが一人だけおり、他はどうしたのかと疑問に思っていると、
「トガメよ。お前は、未来でバロウという男と出逢うだろう」
自分の名前が出てきたので驚く。
しかし、サクラと呼ばれていないことにまた疑問に思ったが、そういえば自分が名前を付けた事を思い出し、そうかと手を叩いた。
サクラは、本当の名前はトガメというのか。やっぱり、自分の名前があったんだな。
どこか安堵する自分がいて、少し含み笑いをしてしまう。
「その者が必ずあの巨人像を倒してくれるはずじゃ」
何故か俺が知りもしない婆さんにそこまで頼られる事に不思議に思いつつ、その反面嬉しさもあり照れ臭くなって自分の頬を搔いた。
それにしても俺を知っている上に、この先の未来でサクラが俺と出逢うというのだから、この婆さんは凄い。未来予知なんて、誰にもできない芸当だろう。
実際に邂逅し、俺はサクラを助けようとしている。まだ助けられてはいないが。
「やっぱりアレって悪いものなんだ!」
「お前の運命の歌には、巨人像の事は何一つ触れられていなかった。もしかしたらと思っておったが、やはりそうであるはずじゃ」
運命の歌? そうか、あの歌が運命の歌なのか。
先程聞いていた歌がそうなのだろうと理解してまた手を叩く。
「ここは、運命を正す『時飛ばしの祭壇』とも呼ばれておる。今からお主を救世主がいる時代へと送る。お前は、バロウと共にあの巨人像を倒して欲しい!」
「……何言ってるの? そ、そんなこと無理だよ。だってわたし、魔法だってろくに使えないし…………」
婆さんは怖いくらいの眼圧でサクラを見つめ、当人は怖気づいているようだった。
これから何をするのか期待の目で見つめていると、サクラの母が「始めます」と何かを地面に書き始める。赤い物で書かれているので、血かもしれない。
そうこうしている間に、自分の核になる人物と本能で判ったのか天井の穴より目を覗き込ませる巨人像がいた。
来やがった!!
「ジュタイナ様、お願いします!!!」
「トガメよ、我等の希望よ。我等の時間、運命を、取り戻しておくれ」
何が何やら解らない内に三人は本題に入っており、
「あの巨人像は、同じ空間の定めが一致しているという。未来で奴を倒せば、ここにいる巨人像も消えていなくなるはず! 運命の歌を変えて欲しい!!」
「…………運命の歌を変える…………」
…………運命の歌を変える…………。
無意識に俺とサクラの考えている事が一致した。
やがてサクラは、眩い光が包む魔法陣の中へと入っていき、俺の身体も光を放つ。
そこで俺の目の前は暗く閉ざされていった。
そうか、あの詩を歌ってる奴ってお前だったのか――サクラ。




