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ポンコツ悪役令嬢と一途な王子様

作者: 蔵崎とら

 私は悪役令嬢である。……はずだった。

 婚約が決まったあの日、私は確かに思い出したのだ。

 ここがとある作品の中の世界であること。婚約者がヒロインとくっつくキャラであること。私が悪役令嬢であること。

 私の記憶が正しければ、悪役令嬢は婚約者に断罪されて、学園を追放される。

 追放先は、長閑な南の島。そしてそこにいる辺境伯の亡くなった奥様の代替品、要するに都合のいい後妻になるのだ。

 辺境伯がまぁまぁのおじいさんなうえにわりとすぐに亡くなってしまうので若くして未亡人になってしまう女として悲惨な追放後のように描かれていたけれど、こうして未来を知っている私としてはそう悲惨ではないと思う。

 なぜなら未亡人ではあるものの、結果的には長閑な南の島で悠悠自適な日々を送れるのだから。他人が稼いだ金で楽して暮らせる、いいことではないか。

 と、そう思い至った私は、全てを思い出したその日からずっと悪役令嬢たる立ち回りを心掛けてきた。

 かつて見ていたあの作品の悪役令嬢の姿に近付くようにと髪型も変えたし、口調も変えた。もちろんヒロインに対して嫌味も言った。悪役令嬢はヒロインに突っかかってこそだもの。

 ただすこし気がかりだったのは嫌味を言いに行ったヒロインが、常に泣き顔だったこと。

 私が言った嫌味で泣いたわけではなく、いつもすでに泣いているのだ。

 作品内ではヒロインの前に颯爽と現れて嫌味を言ったり嫌がらせをしたりと優雅に立ち回っていたのだが、現実はそうはいかない。なぜならヒロインがどこにいるのか全く分からないから。


 作品内の悪役令嬢はどうやってヒロインの居場所を察知していたの? ストーカーなの? 私が鈍いだけなの?


 そんなことを考えつつ作品内でヒロインと悪役令嬢が邂逅していた場所を巡り、聖地巡礼気分になりはじめたところで妙に見目麗しいイケメンモブに声をかけられたり、そういえば少女漫画とか乙女ゲームとかってモブも顔面平均値高いよなぁと思ってみたり、モブに変な顔のやつがいたらそっちが目立っちゃって何かの伏線か? ってなったりしちゃうからかなぁなんて思ってみたり……あ、そういや一人異色キャラがいたな。あれは確か北の辺境伯。2メートル近い身長に筋骨隆々、髭も体毛もガッツリと描かれていてついたあだ名はイエティだったっけ。でもあれは別に伏線とかではなく原作者の夫が有名な漫画家で、遊び心から夫にモブの絵を頼んだって話だったな。懐かしいなぁ。SNSとかで騒ぎになってたなぁ。

 ……と、なんだかんだでヒロインのことを忘れかけたところで中庭の片隅だとか皆が帰ってしまった後の教室だとかにポツンといるヒロインを見付けるのだ。毎度毎度。

 なぜ泣いているのかは知らないけれど、声をかけるタイミングがその時しかないので私は嬉々として嫌味を言いに行く。

 泣きっ面に蜂……と思わないこともなかったが、これは私のためでもあれば彼女のためでもあるのだから仕方がない。シナリオ通りの未来のためを思えばこその行動だ。嬉々として行くけども。


「人目のある場所で泣くなんてみっともないわね。ほら、その鼻水をお拭きなさい」

「ぐすっ……ぐず……」


 ヒロインはめそめそしながらも私が差し出したハンカチを受け取る。


「泣き止んだらさっさと帰りなさいね。あぁ、そのハンカチはあなたに差し上げるわ」


 泣いている理由は聞いてあげないわ、なぜなら私は悪役令嬢なのだから。と、心の中で呟いて、私は颯爽とその場を去る。

 泣いている理由、本当はめちゃくちゃ知りたかったけど。泣かせるポジションは私なのに、誰が私より先に彼女を泣かせているのだろう。

 それから彼女が泣いている姿を何度も見た。そのたびに一応小さな嫌味を言うのだが、さすがに心苦しくなってきた。

 そもそも彼女はいつも一人で泣いていて、私の婚約者と一緒にいるところを見たことがない。というかヒロインの味方になるイケメンキャラがいっぱいいたはずだがそいつらは何をしているんだ? ヒロインが泣いてるんだから慰めろよ。ヒロインはイケメン達にちやほやされるからこそヒロインなんじゃないのか!?

 なんて、私がどんなに心の中で憤慨しようと、彼女はいつも一人で泣いていた。

 この際嫌味ではなく泣いている理由を聞いてしまおうか。理由次第では慰めてしまおうか。そう思ったこともあったけれど、悪役さえ断罪されればきっとヒロインにはバラ色の未来が待っているはず。多分。

 たとえヒロインが私の婚約者に近付いている様子がなくとも、ヒロインの側に他のイケメンキャラがいなくとも、本来あるはずのヒロインと悪役令嬢との邂逅イベントが一つも起きていなくとも、悪役さえ断罪されれば……。

 たったこれっぽっちの嫌味で断罪されるか? という疑問はあるけれど、そこは何か、こう、誰かがあれこれ罪をでっちあげるとか、なんかそういうアレがあれば? ……多分。


 もやもやとした気持ちが晴れなくとも、断罪の日はやってくる。

 今夜、修了式前最後の夜会が行われる。そこで私は婚約者から学園を追放されるのだ。あと一年待ってくれれば卒業出来るものを、というタイミングで。

 しかし悪いのは私なので仕方がない。高笑いなどキメてみたりして優雅にこの場を退場してみせなければ。目指せ、他人の稼いだ金で悠悠自適の南国ライフ! っつってね。

 夜会が行われた三日後、修了式の日に南の辺境伯の元へと嫁ぐことが決まるので、驚き絶望に打ちひしがれる演技の練習もしなければいけない。

 間違っても喜んではいけない。あんなおじいさんのところに嫁ぐなんて、驚かないはずがないのだ。私は作品を見たから知っているけれども。

 そうは思うが、今まであの作品で起きていたイベントなどが全く起きていないのも事実である。

 もしかしたら私が思い出したという作品の記憶は、単なる私の妄想で、本当はそんな作品なんかなくて私は悪役令嬢でもなんでもなくて、泣いている普通の女の子に嫌味を言いに行くだけのただの最低な女なのでは?

 もしもそうなのだとしたら、最後に一度だけ、一言でもいいからヒロインに謝りたいな……。


「……しまったー!!」


 うだうだ考えていたらいつの間にか眠ってしまっていた。

 夜会は疲れるだろうから準備前にちょっと横になって体力を温存しようと思ってしまったばっかりに!


「なんで起こしてくれなかったの!?」


 近くにいた侍女に声をかける。


「疲れているんだろう、寝かせておけ。夜会は自由参加だから大丈夫だ。と、殿下がおっしゃったものですから」


 婚約者ァ!


「い、今から準備をするから……ん? なにこれ、なんでこんな変なところに髪飾りが?」


 後頭部につけるタイプの髪飾りが前髪についていた。しかも斜めに。


「あ、それは殿下がさきほど」

「……部屋まで来てたの?」

「はい。エスコートをするために迎えにきてくださって」


 迎えは分からないこともないけどなんで部屋まで入って来た婚約者ァ!


「それからお嬢様、今から準備をなさったとしても学園に到着する頃には夜会は終わっておりますよ」

「や、でも」


 私がいなきゃ断罪イベントが起きないではないか。


「お嬢様も楽しみでしたよねぇ、正装なさった殿下とのダンス」


 んんんそこは別にどうでもいいのよ。


「しかし我々も殿下のお心遣いを無下にするわけにはいきませんので」

「いや、まぁあの、うん、そうね。そうよね」


 断罪イベントの日に寝坊する悪役令嬢とはいったい……。


 侍女たちのニヤニヤ顔があんまりにも私の心に突き刺さるので、私は夜会に行くことを諦めた。

 きっと学園では私不在の中何かしら事件が起きて、なんやかんやで私が追放される流れになっていることだろう。なんやかんやで。

 それでこの後学園から通達とかが来るんだろう。明日から来なくていいです、みたいな。

 ……まぁ、来なかったけど。

 翌日、侍女の元気な声で目が覚めた。いつも通りのありふれた朝だった。

 どんな顔して学園に行けばいいのだろう、出来ることなら行きたくないなと思っても、侍女に「昨日は殿下のお許しがありましたけれど、今日のサボりは許されませんよお嬢様!」と言われてしまったので行くしかない。侍女に仮病は通用しない。

 ゆるゆると馬車に乗り込み、のそのそと教室まで歩く。そして私は遅刻ギリギリの時間に滑り込んだのだった。


「おぉ、おはよう。昨日いなかった?」


 席に着くと同時に、隣の席のイケメンモブに声をかけられる。


「ええ、まぁ」

「昨日ちょっと面白かったんですのよ」


 イケメンモブの挨拶に応えていると、後ろの席のご令嬢が食い気味で話に加わってくる。

 昨日、夜会でちょっと面白い出来事が起こったらしい。私関連だろうか。


「夜会で、いったい何が……?」


 恐る恐る首を傾げると、彼らは「あの席の」と少し離れた席を指さした。

 そこには誰もおらず、ただの空席となっている。


「あの子、隣のクラスの子をずーーっといじめてたんですって」

「そうそう、隣のクラスの、ほら平民だけどものすごく成績のいい子」


 ヒロインのことだ。


「平民のくせに生意気だっていって淑女の風上にも置けないような罵詈雑言を浴びせていたそうですの」

「怖い話だよ。大人しそうな子に見えたけどな」


 彼らの噂話はまだ続いていたけれど、私の頭にはあまり入ってこなかった。

 なぜなら彼女がいつも泣いていたのは、私ではない別の子にいじめられていたからだったのだから。

 もしも私に対する断罪がないのだとしたら、私は急いで彼女に謝るべきではないのか?

 悪役令嬢だのなんだのなんて、彼女は知らないのに。ただいじめられていた彼女に酷いことをしてしまっていた。


「でも殿下が見つけてくださったのですって。それで結局昨日の夜会で殿下が学園からの追放を言い渡していらっしゃいましたわ」

「学園からの、追放……」


 追放されるのは私だったはずなのに、私以外の人が追放されてしまっていた。

 この場合、何が悪かったのだろう。

 私の立ち回り? それとも私が昨日寝坊したから? それともそれともヒロインをいじめたあの子が単純に悪かっただけ?

 次から次へと疑問は湧き出てくる。しかし答えは誰も持ち合わせていない。


「なあなあなあ!」


 その日のお昼休み、隣の席のイケメンモブがテンション爆上げで駆け寄ってきた。

 何か話したいことがあるようだ。しかし周囲に聞かれるとマズイ話なのか、彼は己の口元に人差し指を添えて小声で話し始める。


「俺さっき職員室で先生達の噂話聞いたんだけど、あの学園追放される子、修道院送りになるはずだったんだって」

「修道院」

「でも断固拒否するもんだから北の辺境伯のところに行くらしい」

「北!?」


 私の声が大きかったからか、彼に「静かに!」と怒られてしまった。申し訳ない。でも、だって北って。

 いやいやいやでも分からない。ここまで作品通りに進まなかったんだから北にあのイエティはいないかもしれない。

 イエティがいなければあの作品については私の妄想だったってことになるかもしれない。思い出したのではなくただの思い込みだったということに。


「北の辺境伯は独身だから、嫁入りするって話だったよ。辺境も辺境だから誰も嫁になりたがらないって話は前にどこかで聞いてたけど」

「北の辺境伯……って、どんなお方でしたかしら」


 小さな声で問いかけると、イケメンモブが眉間に皺を寄せた。

 そして後ろの席のご令嬢は一切話に加わってこないなと思いそっと視線を送ると、彼女は見事に目を丸くして完全に絶句していた。


「……俺、確か一度見たことあるんだけど、すっっっごく大きくて筋骨隆々で」


 彼はそこまで言って、す、と己の袖をほんの少しだけ捲る。


「俺の二十倍くらい体毛が濃かった」

「イ」


 イエティ!! イエティじゃないか!!

 うっかり口から滑り落ちそうになったけれど頑張って堪えた。ちょっとはみ出たけど。

 後ろの席のご令嬢は小さな声で「修道院のほうがマシ」と呟いていた。可哀想なイエティ。

 ただこの国の北部は想像を絶する住みにくさだと聞いたことがあるので、北の辺境伯がイエティじゃなくスーパーイケメンだったとしてもお断りはしたいなと私も思う。

 いやしかしいたのかイエティ。いたってことは妄想ではないんだろうか? 分からない。

 ただ一つ分かるのは、やっぱりイエティは異質なんだろうということと、なんだかちょっと可哀想だということ。修道院のほうがマシは可哀想だよ。会ってみたらとってもいい人かもしれないじゃん……。


「あら」


 こっそりとイエティに同情しながらふと顔を上げると、廊下に殿下がいらっしゃった。

 どうやら私を呼んでいるらしい。学園内で私に接触してくるだなんて珍しい。

 呼ばれたからには行かなくては、と立ち上がったところで殿下の背後に人影が見えた。

 ヒロインだ。

 ……ってことは昨日寝坊して出来なかった断罪イベントが起こるのか? 今? ここで?


「彼女が君のハンカチを持ってうろうろしていたのでな」

「あ、あの、違うんです、私、盗んだんじゃなくて」


 ヒロインがどんどん小さくなっていく。可哀想に。あと誰も盗んだだなんて言ってないしそのハンカチは以前私があげたやつだし。っていうか殿下はなぜあれが私のハンカチだってわかったんだろう。名前なんて書いてないのに。


「修了式前にお返ししなきゃって思ってて、私」

「それは差し上げるって前に言っ、あぁほら、人目のある場所で泣くなんてみっともないってあの時も言ったでしょう」


 そもそもなんで泣いてるの! ついさっきまで泣いてなかったじゃない! 私が泣かせたの!?

 どうしよう! という意味を込めて殿下の顔を見上げると、殿下はただただ首を傾げている。ヒロインが泣いてるんだぞ助けろよ!


「私、私、ずっとお礼が言いたくて」

「ハンカチのお礼なら結構よ」

「違う、違うんです。私、ずっといじめられてて、皆にも無視されてて、声をかけてくれたのはあなただけで、ぐすっ」

「……あぁ、そう。私もずっと謝りたかったの。もっと優しい言葉をかけてあげられなくてごめんなさいね」


 よかった、謝ることが出来て。たとえそれが私の自己満足だとしても。……と、そう思っていたら、彼女の大きな瞳がこれでもかというほど丸く見開かれる。そしてそこから滝のような涙が流れ始めた。


「うわあああああん!」


 うわあああああ! 子どもみたいに泣き出したあああああ!


「え、ちょっ」


 私は動揺しつつ、彼女の頭をひっ捕まえる。そして自分の胸に彼女の顔面を押し付けてよーしよしよしとなで回す。早く泣き止むようにと。

 小さな子どもでもあるまいし、大勢の目の前で女の子が大声を上げて泣くなんて、この子がこのあと我に返ったらきっと恥ずかしさで穴があったら入りたい、いや埋まりたいくらいの気持ちになるかもしれないから。

 しかしこれはもう完全に私が泣かせてしまったので、きっと殿下も怒ってしまうことだろう。やっぱり断罪か。


「医務室にでも連れて行こう」


 殿下は私の髪をいじりながらそう言った。この男、飽きている。


 ゆっくりとした足取りで、殿下と私とヒロインは医務室に入る。

 そしてとりあえずヒロインをベッドに座らせた。私はその隣に座って、彼女が落ち着くようにと背中をぽんぽんと優しく叩く。

 殿下は私の隣に立ったまま、相変わらず私の髪をいじっていた。何してるんだろうこの人……。


「ぐすっ……うぅ」

「まぁ安心しろ。お前をいじめていた奴は二度とこの学園に近付くことは出来ない」


 私の髪を三つ編みにしながら、殿下は言う。

 返事が出来る様子ではない彼女の代わりに、私がそっと口を開く。


「殿下は、この子がいじめられていることに気が付いていらっしゃったのですか?」

「ああ。君を目で追っていたらついでに泣いているそいつが頻繁に目に入っていた」

「私を目で追っていた? ……私を?」

「婚約者を目で追って何が悪い」

「いえ別に」


 突然の開き直りである。じゃなくて、ヒロインを見ていたわけではないのか。

 殿下の話によると、あまりにも頻繁に泣いている姿を見るため、おかしいと思って秘密裏に調べたのだという。

 そこでイエティ送りにされたあの女が浮上し、証拠を掴んで夜会で突きつけた。

 いじめた子が貴族、いじめられた子が平民だったため、中途半端に注意をするだけでは逆恨みの危険もあると判断されて夜会という大勢の目がある場所で大々的な断罪が行われたのだとか。

 とはいえ、しばらくは様子を見たほうがいいだろうということで、ヒロインには護衛が付くそうだ。王家の紋章を付けた騎士らしい。そういえばあの作品にもイケメン騎士がいたっけ。

 あのイケメン騎士がつくのかなぁ、とほんのりわくわくしていたら、医務室のドアがノックされた。


「お迎えに上がりました」


 ドアの外から男性のとてもいい声が聞こえてくる。

 殿下が返事をすると、ドアが開いた。そしてそこにいたのは、私の想像していた通りのイケメン騎士だった。

 本当にいた! と少しテンションが上がる。


「俺の従者に呼ばせておいた。お前は早退しろ。その顔では目立つだろう」


 鼻水でぐずぐずだぞ、と、殿下は相変わらず私の髪をいじりながら呟いている。

 イケメン騎士はそんな私の頭のあたりを怪訝そうな顔で一瞥した後、ぐずぐずのヒロインを連れて歩き出した。


「あ、あの」

「どうしたの?」

「このハンカチ、返そうと思ったんですが……やっぱりください」

「ええ、どうぞ」

 

 くださいもなにも以前あげたつもりでいたので気にせず持っていてくれれば。


「お守りにします」


 ヒロインはそう言って今までに見たことがないくらい綺麗な、最上級の笑顔を見せてくれた。まぁちょっと涙でぐずぐずではあったけれど。

 殿下もイケメン騎士もこれを見たら一発で落ちてしまうのでは!? と思ってちらりと殿下を見上げるが、殿下はものすごく真剣な顔で三つ編みを編んでいた。いや本当に何をしているんだろうこの人。

 ヒロインもイケメン騎士も医務室から出ていき、ここには殿下と私のみ。ここに普段いるはずの先生は近所の孤児院に出張中だとかで不在だった。


「殿下、お昼休みが終わってしまいます」

「今から行ってもどうせ間に合わん。一時間サボるか」


 あみあみする手を止めずにそう言うということは、私もサボりが確定してしまったというわけですね。

 修了式目前だしそれほど大切な授業でもないから文句はないが、このなんとも言えない空気で一時間はわりとつらい気がする。私は一時間髪を編まれ続けるのだろうか。


「……あの子、大丈夫でしょうか」


 返事がなければそれでいいかと思いつつ、私はつぶやく。


「いじめていた奴は北に行くらしいからな。よほどのことがない限り会うこともないだろう」

「北の辺境伯の元に嫁ぐと、噂で聞きました」

「そうらしい。その辺はあっちの家が決めたことだから俺も詳しくは知らんが」


 やっぱり本当なんだ、イエティ送り……。イエティ送りってなんだよ……。


「南はともかく北となれば、生きていくだけでも精一杯だろうな」


 王都でぬるま湯に浸かったような生活をしていたお嬢様が生きるには過酷過ぎる地らしいもんなぁ。


「……南、南と言えば南にも辺境伯がいらっしゃいますよね」


 私の予定では、私はその南の辺境伯の元へと嫁ぐことになるはずだったのだけど。


「いる。愉快なじいさんらしい。ただの荒れ地だった南を開拓して、見たこともない大小さまざまな遊具を作っては人を集めて」

「遊具……?」

「遊園地、と呼んでいるそうだ。今じゃあの元荒れ地も観光客で溢れかえっていると報告を受けた」

「ゆうえんち……」

「あぁ、あとは、なんと言っていたか……タ、タオ……? とにかく泥水にカエルの卵を入れたような飲み物が一時期流行っていたらしい。甘くておいしかったと聞いたが、俺はそんなものを飲む勇気はない……」


 タピオカじゃね? え、南めっちゃ楽しそうじゃね? ちょっと行ってみたい。

 あとこれは単なる想像だが、南の辺境伯……前世の記憶がありそうだな。遊園地だけならまだしもタピオカもとなると……。


「土産で貰ったチュロスとかいう揚げた菓子は美味かった」

「へぇ」


 いや南超楽しそうじゃん。行きたい。


「今、平民の間では南に新婚旅行に行くのも流行っているそうだ」

「新婚旅行?」

「平民は恋愛結婚が主流だからだろう。結婚の記念に二人で遊びに行くのだと言っていた」


 そうか、平民の皆さんは新婚旅行に行くのか。楽しそうだな。

 王族貴族は政略結婚が主流だし結婚は義務みたいなところがあるから、遊びに行くような精神状態ではないことがほとんどだもんなぁ。


「……恋愛結婚に憧れたことはあるか?」


 私の髪を編み続ける殿下の手が、ほんの一瞬止まった。


「え、いえ」

「そうか」


 殿下の声が、なんとなく寂しそうだった気がする。顔も寂しそうなのだろうかと思ったが、殿下は今私の後頭部あたりの髪を編んでいるので顔が全く見えない。


「俺は憧れた」


 マジか!


「王宮に出入りしている商人が恋愛結婚をしていてな。新婚旅行の土産話を楽しそうに話してくれたんだ。泥水の話を教えてくれたのもそいつだ」


 泥水じゃなくて多分タピオカね。

 しかしまぁ実際恋愛結婚をした人の話を聞いたら確かに憧れちゃうのかもしれない。


「俺も好きな人が出来たら、あの二人のように仲良く一緒に出掛けたりしたいと思っていたが、現実は難しい」

「はあ……」


 まぁ私みたいな婚約者も出来ちゃったしな。可哀想に。


「好きな人が出来たからといって、自動的に相手にも好かれるわけではないからな。不用意に声をかければ嫌われる可能性だってある」

「そうですかね?」


 殿下は顔もいいし評判もいいし、そもそも王子様に見初められたとなれば喜ぶことしかないだろうし、誰も嫌いになどならない気がするけれど。

 ところでやけに具体的だけど、実体験か? そっちのほうが気になる。


「……髪が綺麗なんだ。一目見た瞬間、心を奪われた」


 あ、実体験だわ。


「その日から、街に出るたびに髪飾りが目に付いた。きっとあの髪に似合うだろう、と。いくつも買ったが、結局どう渡したらいいのかがわからなくてな」


 殿下も淡い恋をしているんだな。でも、さっきの様子を見た感じだとヒロインが相手ではなかったようだけど。

 どこの誰なのかは教えてくれるのかな、なんて期待をしていたら、殿下がぽんぽんと私の頭をなでる。


「よし出来た」


 謎の三つ編みが完成したらしい。何本か作られていたようだが、果たして私の頭はどうなっているのだろう。外を歩ける状態であればありがたい。

 ドレッドみたいになってたら殿下には申し訳ないが今すぐ解かせてもらいたい。


「さてと、今から行けば丁度いいんじゃないか? さすがに二時間サボるわけにもいかないだろう」

「え、あら、もうそんな時間」


 私が時計を見ている間に、殿下はさっさとドアのほうへと歩き始めていた。

 急いで追いかけて、殿下の後ろにつくと、殿下はほんのりと苦笑いを浮かべて私を見る。


「やっぱり、似合ってる」

「え?」


 殿下の視線が私の頭に向いていたのが気になって、医務室の隅にある鏡を覗き込んでみたところ、謎の三つ編みはいつのまにか可愛いアレンジヘアになっていて、そこにはいくつもの見知らぬ小さな髪飾りが付いていた。


「え!? なんかいっぱいついてる!」


 私の聞き間違いでなければやっぱり似合ってるって言った? そしてこれはいくつも買ったと言っていた髪飾り?


「ってことは……? え!? ちょっと、待っ……お、お待ちください殿下」


 今まで私が聞かされていた話は殿下の実体験というか、ただの愛の告白では!?


「殿下! 殿下ぁ!?」


 殿下は一切足を止めてくれないけれど、その耳は少し離れたこの場所からでも分かるくらい真っ赤だった。





 

ネタを考えていたのが結構前なのでタピオカが古くなってしまったのですが、どうしても泥水って言わせたかったのでそのまま使いました。


読んでくださってありがとうございました!

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