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かげろう

作者: こな子@

 蝉のなく声が聞こえる。

 田舎もたまにはいいものだと思う。

 夏休み、僕はいつものように母の実家に来ていた。いつもと違うのは、僕にやさしくしてくれていた爺ちゃんがいないことくらいか。

 爺ちゃんは去年の冬休みに突然死んでしまった。母たちが話しているのを聞いた限りでは、どうやら心臓が悪かったらしい。

 僕は爺ちゃんの部屋で、古い新聞を読むのが好きだった。何とも言えない古い紙の匂い。爺ちゃんが時々話しかけてくれる。そんな優しい空間で、ゆったりとした時間を過ごすのが好きだった。

 去年と同じように新聞を読んでいるけれど、爺ちゃんがいないとなにかが物足りない。

「つまんないな」

 誰かに聞いてもらいたいわけではない。ただ、口から出てしまっただけの言葉……。宙に舞い、夏の暑さに溶けていく。

 ふと思い立って、僕は爺ちゃんのアルバムを開くことにした。昔から、時々見せてくれていたアルバム。若い頃の爺ちゃんと、婆ちゃんの写真。僕には、婆ちゃんに会った記憶はもうないけれど。

 立ち上がり、アルバムを取り出す。少し埃をかぶっていたから、それをぬぐってぱたんと開く。

「爺ちゃん……」

 写真の中では、若い頃の爺ちゃんが元気に野球をしていたり、少し気取った格好で婆ちゃんと並んでいたり……。その時の想いがこっちにまで伝わってくるような爺ちゃんの表情に、僕は胸に何かがこみ上げた。

 風が吹く。

 背を何かが通った気がした。風……とは違う感覚。慌てて振り返るも、なにも変わったところはない。

 ほっとして、またアルバムに目を落とす……。黒い影……?

 怖い。声も出せないくらいに。

 どうやらこの影は、写真を見ているようだった。僕のほうには見向きもせず、写真に目を奪われているような……。影がみている写真は、爺ちゃんと婆ちゃんの結婚式の時の写真だ。僕はそれをそっとアルバムから取り出し、影に手渡してみた。ゆっくりと、手渡す僕の手と、影の手が触れ合う。刹那……影の心が僕の中に流れ込む。

 気づくと、写真を見つめていた影だったはずの生き物は、人間の姿になっていた。

 よく見ると、少し若返っているけれど、爺ちゃん……。

 爺ちゃんは、死んだはず……。僕は、少しの間、何も考えることができなくなって、動くこともできなくなって……。

 嬉しそうに、愛おしそうに写真を見つめる爺ちゃんを、見守ることしかできなかった。

「おい」

 僕に投げかけられた爺ちゃんからの言葉。最後に聞いたようなしわがれた声ではなく、若々しくて太い声。

「なに……?」

 恐る恐る返事をする。

「憶えているか……?」

 問いかけの意味がわからない。何を?何を憶えているかなのだろうか……そんなことは、わからないけれど……僕にわかるのは、今目の前にいる爺ちゃんは、俗に言う幽霊であるということくらいだ……。

「爺ちゃんをっていうこと……? それなら、憶えているよ……当り前じゃない……」

 僕がそう答えると、爺ちゃんは満足そうに口の端だけをあげて笑う。きっと爺ちゃんは、昔からこうやって笑っていたのだろう。

「そうか……そうか」

「どうしたの」

「いや……懐かしい空気だったから、戻ってきてしまった。お前と話すつもりはなかったんだが。お前は、前と違ってつまらなさそうに新聞を読んでいたし、前と同じでアルバムを広げていたから。写真……そう、写真が、入っていなかったから……取りに来たというのもある」

 写真を撮りに来た……。そういえば、爺ちゃんはよく僕に、もし自分が死んだらという話をしてくれていた……。自分が死んだら、婆ちゃんとの結婚式の時の写真を、一緒に焼いてほしい、と……。

 お葬式の準備の時に、僕が母さんにそのことを伝えたけれど、お母さんはショックだったのかあまり話を聞いてくれなかったから……。結局入れてくれたのか、僕にはわからなかったから……。

「どうした、爺ちゃん、なにかひどいこと言ったか? それとも、爺ちゃんが……怖いのか?」

 僕のほっぺたを汗じゃない液体が伝う。いつのまにか僕は泣いていた。なぜ? 爺ちゃんと婆ちゃんの思い出を汚してしまったから……? それとも、爺ちゃんが言うように、爺ちゃんが怖いから……? 僕は、爺ちゃんが、怖い……?

 「違う」

 そう。違う。

 「僕は爺ちゃんが大好きだよ。爺ちゃんがいないのなんて信じられないくらいに。ここにこうして、爺ちゃんに会いに一人で来てしまうくらいに……爺ちゃんに会いに来たんだ」

 今日は特別な日だから。

 「そうか……有難う。ところで、お前の母さんやらの姿が見えんが」

 「今日は僕、一人で来た」

 「そうかそうか……わしに会いにか……有難うな……」

 爺ちゃんの部屋で一人でいるときには、やっぱりやめようかとも思ったけれど……。爺ちゃんと話せて決心がついた。なんで僕がここに来たか、爺ちゃんに聞いてもらいたい。そう思って話し始めた僕の視界からは、もう爺ちゃんはいなかった。けれど、僕はそれには気づかなくて、気づけなくて。僕の小さな胸の中には、抱えきれない思いがたくさんあって……もうあふれそうだ。

 「僕ね……。爺ちゃんが大好きだから……僕だけじゃなくて、お母さんも爺ちゃんのこと大好きだったんだよ……爺ちゃんがいなくなってから、お母さん……おかしくなっちゃって。だから……だから!」


 今日はお盆。

 死んでしまった人が戻ってこれる日。

 そんな特別な時期だから。

 僕が迷わないように。

 案内してほしいんだ。

 爺ちゃん。もう僕は耐えられない。

 もう、家にいるのは疲れたよ……。


 いつのまにか、蝉はなきやみ蛙が田んぼを牛耳っていた。

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