諦めるのが当たり前になる前に
始まりは一人の女子だった。
「ねぇねぇ、メアド教えてよ」
近くで見ると中々可愛らしい顔をした女子は、確か隣のクラスだったのではないだろうか。
何度か廊下ですれ違ったのを思い出す。
その彼女は満面の笑みで、俺の隣の呆けてる男を見つめそう言った。
「え、え? オレ? 別に……いいけど」
「幸喜……、とりあえずそのアホ面なんとかしなよ」
「んだと!?」
ぼんやりと頬杖をつきながら、彼女とメアド交換をしている幸喜を横目で見つつボソリと言ってやる。
過剰に反応した馬鹿を鼻で笑ってやると、彼女は「あとでメールするね」と幸喜に手を振り教室を出て行った。
ふと教室の時計を見上げてみると、そろそろ昼休みが終わる時間だった。
何も変わらない筈だった俺の気持ちが、大きく変わることになってしまった昼休みが終わる時間だった。
執着心が無い。
それが俺だと思っていた。
「一番好きなものは何?」と聞かれれば、「とくに無い」と答えるようなツマラナイ人間だった。
執着、依存、そんな感情は俺には無縁のものだと思っていた。
高校に入って、何がきっかけだったかさえ覚えてないのに、何故か隣には必ず幸喜が居るようになった。
席が隣だったせいかもしれない。
それ以外に何かがあったかもしれない。
ツマラナイ俺と一緒に居てくれる友人が出来たことに、俺は嬉しかったのかもしれない。
気付けば俺の一番は、幸喜だった。
「彰、そろそろ帰ろうぜー」
「ん」
「あ、おい!」
「…なんだよ」
放課後、いつものように幸喜に一緒に帰ろうと声をかけられ席を立とうとすると、それに気付いた後ろの席の男子が俺に声をかけてきた。
「彰お前、前に簿記の授業の時に配られたプリント、簿記じぃに出してないだろ? 簿記じぃが出して無い奴はちゃんとやって職員室まで出しに来いって言ってたぜ?」
「うっわ…だる…」
簿記の担当の割りと歳のいった教師は、色々うるさいことで有名だ。
親しみをこめてなのか嫌味をこめてなのかは知らないが、いつの間にか簿記じぃとあだ名で呼ばれている。
勿論俺は嫌味をこめて言っているが。
くっそあのジジイプリント出し過ぎなんだよ俺は簿記が一番嫌いなんだ。
いらん報告をした後ろの席の男子は、自分はそれで役目を果たしたとばかりにさっさと帰っていった。くそ腹立つ。
「で? 彰はそのプリント終わってんのか?」
「……終わってない、幸喜は?」
「オレは抜かりなく他の奴に見せてもらって、とっくに提出済みだ!」
「……ダメだろそれ」
呆れたように言えば、幸喜は得意げに笑った。
いや、だから何でそんな偉そうなんだよ。やってない俺が言えたことじゃないけど。
「じゃ、オレどっかで時間つぶしてるから彰は頑張ってやれよー?」
「ここで待たないのかよ」
「お前の他にも居残り組が居るみたいだしなー、こんなピリピリした教室に居られないっつの」
その言葉にまわりを見渡してみれば、確かにプリントと向き合って必死に電卓を叩いてるクラスメイトが何人か居た。
俺もその中に加わるのかと思うと、心底うんざりする。
「多分図書室辺りに居ると思うから、なるべく早く終わらせて来いよー?」
「……努力はする」
笑顔で手を振って教室を出た幸喜に多少イラッとしながらも、仕方なくよれよれになった簿記のプリントを机の奥から引っ張り出し向き合う。
……破っていいかな。
◇◇◇◇
「……終わった…」
目の前のプリントに突っ伏せば、近くの席の男子に苦笑された。
「お疲れさん、早く簿記じぃに出さないときっと凄い不機嫌になってると思うぜ? 俺も終わりてぇよ」
「……だろうね」
それに幸喜も図書室で待ってるだろうし、俺は手早く帰り支度をし片手にプリントを持って職員室へと向かった。
廊下を歩いていると、窓の外に図書室のある校舎が見える。
幸喜は何をして待っているだろうか。図書室にある数少ないマンガでも読んでるのだろうか。
早く迎えに行かなければ。一緒に帰ろうと。
職員室に行けば、予想通り不機嫌そうな簿記じぃが居た。
俺が来る前に提出しに来たらしい生徒のプリントを採点していた簿記じぃは、その手を止めて俺を見上げる。
「出来たか」
「……遅れてすみませんでした」
形だけの謝罪をし持っていたプリントを差し出すと、受け取った簿記じぃは軽くプリントを眺めてから、再度俺を見上げた。
何か物言いたげなその表情に、俺は軽く首を傾げる。
「……なんですか?」
「あまり……我慢するんじゃねぇぞ」
我慢。
簿記じぃから見て、俺は何を我慢してるように見えたのだろう。
「言いたいことがあるなら、ちゃんと伝えないと駄目だ。自分の中に押し込めたままで、お前はそれで満足か?」
「……言ってる意味が、よく分かりません」
「お前はもう少し、感情を表に出した方がいい。目で、語り過ぎてる」
「……そう言う先生は、俺の目から何かを感じ取ったんですか」
「………友達は、大切にしとけ」
会話になっていない会話を、簿記じぃは一方的に終わらせた。
さっさと帰れとばかりに俺の提出したプリントを採点し始める。
それを見降ろした俺も、用は済んだとばかりにさっさと職員室を出た。
簿記じぃの戯言になんぞ付き合ってられっか。
図書室のドアを開けると、中には放課後にも関わらず数人の生徒がたむろっていた。
本も読まないのならさっさと帰ればいいのにと思いながら、俺の目は幸喜を探す。
すぐに図書室の奥の席に座る幸喜を見つけ、歩み寄ろうとした俺の足が止まる。
(……誰だあいつ)
こちらに顔を見せるように座った幸喜と、その向かい合わせに座った女子の背が見える。
誰だあいつ。
俺に気付かず、俺に向けるのとは違う笑顔を浮かべてるあいつ。
あいつにそんな笑顔を浮かべさせているあの女子。
誰だあいつら。
「お、彰じゃん! 終わったのか!」
呆然と立ち尽くしてた俺に気付いたらしい幸喜が、手を上げて俺を呼ぶ。
そして幸喜につられるようにこちらを振り返った女子の顔に、俺は猛烈にその女子を殴りたくなった。
(取られるかもしれない、俺の、俺の一番が、)
昼休みに突然やってきた、あの女子だった。
◇◇◇◇
冷静になれ、俺。
ひとまず落ち着こうと、ゆっくりと幸喜たちに近付く。
「つか、お前時間かかりすぎー」
「……自力で解いたから。誰かさんと違って」
「嫌味か!」
「嫌味だ」
……なんで違う。
さっきまでそこの女に笑いかけてた表情と全然違う。
座る二人を見降ろせば、近くにいた顔見知りの後輩がなにやらニヤついた顔で寄って来た。
「いーじゃないっスか、彰先輩が居残りだったおかげで、幸喜先輩その人とイチャつけたんですから」
「………へー…」
「ちょ、彰!? 俺はいつもみたいに「何言ってんだ」みたいなことが返ってくるのかと思ったんだけど!?」
なにこいつ殴りたい。
しかもイチャついてたことに関しては否定しないのかよ。なんだそれ。
「……もういい、帰るぞ」
「どうしたんだよ彰ー、なんかノリ悪いぞー?」
「あ、ねぇ! あたしも一緒に帰りたい!」
それまで意図的に話しかけなかった例の女子が、突然会話に入り込んできた。
「佐藤さんも?」
「……佐藤さん?」
「あ、昼休みにオレにメアド聞きに来た子だよ、いくら人の顔覚えない彰でも…覚えてるよな?」
「……嫌味か」
「あぁ嫌味だ」
したり顔で俺を見上げる幸喜。の、腕を何故か掴んで幸喜と同じように俺を見上げる佐藤サン。
「別にいいよね、彰クン?」
「……俺は先に帰るから、二人で帰れば」
気付けばそんなことを口にして、俺は図書室を一人で出ていた。
幸喜に近付く女。
それを受け入れている幸喜。
俺の一番は幸喜でも、幸喜の一番にはなれない俺。
分かりきってる。
トモダチなんか、そんなものなんだろ。
(俺が、どうかしてる)
執着し過ぎてる。
トモダチに対する感情として、色々超えてる。
苛々する。
俺以外と一緒にいる幸喜も、相手の人間も殴りたくなる。
なんで、俺の一番は幸喜なのに。だけど幸喜の一番は俺じゃない。
恋愛感情じゃないのかもしれない、だけどトモダチに対しての感情でもない。
もしかしたらただの子供じみた独占欲かもしれない。
それでも、俺の一番は幸喜だ。
「彰っ!」
「……っ」
ごちゃごちゃと考えながら正門を出たところで、突然背後から幸喜の声がした。
振り返るのに躊躇っていると、腕を掴まれ強引に振り向かされる。
「なんで一人で帰るんだよ、一緒に帰るんだろ?」
「………佐藤サンは」
「彰の方が優先だからな、図書室で別れてきた」
その言葉に思わず目を見開いて幸喜の顔を見た。
「なん…」
「何驚いてんの? だって彰、オレと二人だけで帰りたかったんだろ?」
彰優先にして当たり前デショと続けた幸喜に、俺は色んな感情が溢れ出そうで、何も返さずに今度は俺が幸喜の腕を掴んで歩きだした。
後ろで慌てたような幸喜の声がしたが、そんなん知るか。
何で俺はこんなにも幸喜の言葉に振り回されているのに、幸喜の一番は俺じゃあないのだろう。
俺の考えてたことが分かるくせに、なんで一番気付いて欲しいことは分かってくれないのだろう。
こんなに好きなのに。