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魔力至上主義世界編 - 77 セイユ市民の後悔 (9)

 セイユ市民たちは後悔していた。


 まず、毎晩のように繰り返される飯テロがきつい。

 なにしろ泥草ラジオでは、いつのまにか「今日のグルメ」というコーナーが新設され、おいしそうな料理を食べる様子が毎晩放送されるようになってしまったのだ。

 グルメリポートと共に、料理の美味な匂いが町中にあふれかえる。


 市民たちにとってつらいのは、彼らがその料理がいかに旨いものであるかを知ってしまった、ということだ。

 セイユの食糧が焼き討ちにされた後、泥草デリバリーにより、市民たちは、普段自分たちが食べている料理とは比べものにならないほどに、泥草の料理がおいしいことを思い知らされてしまっていた。


 そのおいしい料理を、レーナが「うーん、このビーフカレーもデリシャスですねえ!」などとラジオでリポートし、町中にうまそうなカレーの匂いが流れるのである。

 よりにもよって深夜の空腹な時に!

 詳細なグルメリポートつきで!


「ぐっ……」


 市民たちからすれば、毎晩毎晩これである。

 気が狂いそうになる。

 それでも泥草たちはやめない。


 おまけに「今日のグルメ」には、泥草や元市民たちが毎回のように出演する。

 彼らもまた、実に美味そうに食べる。

 カレーを、ハンバーグを、ビーフステーキを、ピザを、実においしそうに食べる。


「うまいなあ」

「いやあ、このチーズのもっちりした感じがたまりませんねえ」

「うーむむむむ、最高ですなあ」


 こんなことを嬉しそうに語る。


 それから、かつての同僚や知人に語りかける。


「あの、どうも、聞こえていますか? アンリです。あの、大工ギルドの皆さん、お元気でしょうか? ここの料理はとてもおいしいですよ。みなさんもこっちに来れば良かったのに。みなさん、普段からずいぶんと泥草さんたちのことをバカにして笑っていましたけれども、でも、こっちのご飯はすごくおいしいですよ?」

「どーも、マルセルっす。聞こえているっすかね? 俺のこと、さんざん殴ったり、踏みつぶしてくれた市民のみなさん、元気っすかね? まあ、俺から言えることはあれっすね。あんたらに食わせるメシはもうないから、そこで指をくわえて見てるといいっす、ってことっすかね」


 言われた市民たちとしては、たまったものではない。

 大工ギルドの面々も、マルセルに難癖つけて憂さ晴らしに殴ってゲラゲラ笑っていたような連中も、歯ぎしりするしかない。

 鼻孔には、何とも言えないおいしそうな匂いが流れ込んでくる。

 そのおいしそうな飯を食べるアンリやマルセルの声が聞こえる。

 自分たちはもう一生味わうことの出来ない、あの最高の食事を、自分たちがバカにした連中が実に美味そうに食べるのだ。


「ちきしょう……ちきしょう……」


 屈辱以外の何物でも無い。

 気が狂わんばかりに歯をギリギリとさせ、拳を握りしめ、けれどもどうすることもできず、ただただ悔しそうな顔をするしかない。


 食事が終わると、泥草や元市民たちのトークコーナーが始まる。

 レーナを司会として、何かテーマを決めて話をするのだ。


「さあて、それではトークコーナーを始めましょうか。今日はそうですね、市民の皆さんは、泥草を選べばこんなおいしい料理が毎日のように食べられるのに、どうして教団を選んだのか、について話しましょうか」


 レーナがそう問いかけると、泥草や元市民たちは口々に答える。


「なんでだろうなあ。教団なんてマズイ飯しか提供できないどころか、この間の食糧焼き討ち騒動の時なんか、数少ない食糧を市民たちから強奪していったしなあ」

「本当にね。それでも教団についていく市民の皆さん。不思議です」

「ねえ、ひょっとして、市民のみなさんって、ドMなんじゃないかしら?」

「へ?」

「ド、ドM?」

「そう、ドM。苦しいこと、つらいこと、きついことが大好きなのよ。いじめられるのが好きで好きで仕方がないのよ」

「うわあ」

「そりゃあ、変態だな」

「でも確かにそれなら納得できますね」

「でしょ? ドMじゃなかったとしたら、泥草さんたちがこれだけ優れているって見抜けなかったバカってことになるわよ。さすがにそれはねえ」

「ですよね。わたしたちは見抜いたわけですしね。さすがにみなさんそこまでバカってことはねえ」

「あはははは。市民のみなさんがそんなバカなわけないじゃないですか。みなさん、筋金入りのドMなんですよ」


 そう言って元市民たちは楽しそうにゲラゲラ笑う。


 嘲笑することに罪悪感などない。

 これまで泥草がどれだけ笑われ、殴られ、文字通り泥をなめさせられてきたかを思えば、今笑っていることなどその一万分の一にすら満たないほどである。

 ゆえに遠慮無く笑う。


 ドM呼ばわりされた市民たちは、怒りと屈辱で顔を真っ赤にする。

 真っ赤にするが、どうしようもない。

 彼らは元市民たちが言う通り「泥草のことを見抜けなかった」のだから。


 市民たちはうすうす気づいていた。

 泥草を選んでさえいれば、自分たちは、もっと豊かな生活が出来ていたと。

 こんな苦しい毎日を送らないで済んでいたのだと。

 そうして、そんな生活を選んだのは、他でもない自分自身なのだと。


 食糧が失われ、残されたわずかな食糧を教団に根こそぎ徴収されたあの日。

 泥草たちの料理がとてつもなく美味いことを、自分自身の舌で思い知ったあの日。

 あの日から少しずつ、市民たちの心の中で、(もしかして、自分たちは間違っていたのでは……)という思いが強くなっていっていた。


 今や、その思いは無視できないほど大きくなっている。


 だが……。

 それでも……。


「自分たちは間違っている」


 そんなこと、考えたくなかった。

 考えると気が狂いそうになる。


 それでも、ふとしたはずみに、頭の片隅で、自分自身の心の声が聞こえる。


(おい、お前は間違えたんだぜ)

(お前はマヌケにも苦しい道を自分で選んでしまったんだぜ)

(お前って本当にバカだよなあ。何やっているんだよ)


 市民たちは苦しそうな声を上げる。


「うわああああああ!」


 叫び声を上げながら、発狂したかのように頭を壁にガンガンとたたきつける。

 そうしないと、あまりにもみじめな現実に、気が狂いそうになるからだ。

 そうして、ただただ後悔に打ちひしがれる。


 市民たちは今やはっきりと、自分たちの選択を悔いていたのだった。


 ◇


 そんなある日、クイズ大会が開かれた。

 ラジオでレーナがこう言ったのだ。


「さーて、セイユ市民のみなさーん。お知らせがあります。なんと来週、クイズ大会を開きまーす。

 大会の内容は簡単。

 クイズを1問出すだけ。

 正解者は全員、泥草を選ぶ権利が与えられます。

 覚えていますか? 以前、泥草か教団かをみなさんに選んでもらいましたよね。

 それをもう一度選択する権利が、クイズの正解者全員に与えられるのです。

 もし正解者がいなかった場合は、答えが近い人トップ3に権利が与えられます。

 これはチャンスですよー?

 さて、肝心の問題ですが……」


 レーナは一拍おいて、こう言った。


「ズバリ! 問題はこちらです。

 謀反の神様であらせられます松永弾正様が、泥草か教団かを選ぶ選択を皆さんに求めた時、演説をしました。

 覚えていますか?

 出だしはこうです。

 『むっほん! セイユ市民よ。わしは謀反の神、弾正である』

 これです。

 この出だしから始まるあの演説を最初から最後まで暗唱してください。

 それがクイズです。

 来週、みなさんが1人でいるところを狙って、泥草がこっそりやってきます。

 そしてこう言います。

 『クイズの答えは何ですか?』

 クイズに参加希望の方は、その場で答えていただければオーケーです。

 ただそれだけ。簡単でしょ?

 そうそう、正解者には副賞として、鼻眼鏡やふんどしを解除する権利も与えられます。

 じゃ、みなさん、奮ってご参加くださいねー。

 ではではー!」


 レーナの話はこれで終わった。


 町中が大騒ぎになった。

 クイズに正解したら、泥草のところに行く権利が手に入る!

 正解しなくても、正解に最も近い回答を出した人トップ3に権利が与えられる!

 そう、権利が手に入ったら、泥草のところに行けるのだ。

 行けばそこは天国である。

 おいしい食べ物。

 きれいな服。

 ほとんど働かなくてもいい生活。

 まさに極楽ではないか。


 だが……。

 そう、肝心なのは問題である。


 弾正の演説を全文暗唱しろと言う。

 そんなの覚えているわけないではないか!


 いや、うっすらとなら覚えている。

 泥草と教団のどちらかを選ぶが良い、とかなんとか言っていた。

 教団はゴミだとか諸悪の根源だとか言っていた。

 だが、うろ覚えである。

 はっきりとは覚えていないのだ。

 覚えてさえいれば天国に行けるのに……。


 夜が明けた。


 町の様子がはっきりと変わった。

 通りを歩く市民たちは、何やらぶつぶつ言っている。

 苦しそうな顔で必死に何かを思い出そうとしている市民もいる。


「ちくしょう、思い出せない! なんでだよ! なんで、俺、もっとはっきりと聞いておかなかったんだよ! なんでもっとはっきりと覚えておかなかったんだよ!」

 と、泣きそうな顔でそんなことを叫ぶ市民もいる。


 町の大通りでは、妙な連中がたむろしている。

 ある市民は「兄さん、兄さん、これがばっちりホンモノの演説全文だよ。残りわずか。買うなら今しかないよ?」と言って、何やら怪しげな紙を売りつけている。

 ある屈強な市民は、刃物をちらつかせ、「おい、お前。なんか賢そうな顔してるじゃねえか。もしかしてよぉ、演説の内容覚えているんじゃねえか? おら、隠すんじゃねえ。とっとと吐け!」と(すご)んで、弱そうな市民を脅す。


 要するに、弾正の演説を売買しようとしたり、恐喝して聞き出そうとしたりしているのだ。


 聖職者たちも黙ってはいない。

 そういった現場を見つけ次第、取り締まろうとする。

 が、数が多くて取り締まりきれない。

 それどころか、聖職者の中には、「私は立場上、町の出来事を記録していてね、例の演説も全部メモしてあるのだよ」などと言って、金持ちに高額で「演説メモ」を買わせようとする者すら出てくるほどだ。


 情報は錯綜する。

 少しでも金のある市民は、売られている「演説全文」を買いあさるが、どれも内容が違っていて、どれが正しいのか判別がつかない。

 市民たちは互いに疑心暗鬼になる。


「あいつは本当は演説を知っているんじゃないのか? 知っていて隠しているんじゃないのか?」

「隣の家のあいつが、演説を全文暗唱しているのを俺は聞いたぞ」


 そんな曖昧な情報が錯綜する。

 もはや何が正しいのか誰にもわからない。


 誰も信じられないなら、自分で何とかするしかない。

 が、自力で思い出すことは、ほとんど不可能である。

 記憶が曖昧だからだ。

 真面目に演説を聞いていた市民など、皆無に近かったのだ。


 彼らは弾正のことをあざ笑っていた。

 バカなことを言っているやつだ、と思っていた。

 教団が泥草どもをやっつけるさ、と言ってゲラゲラ笑っていた。


 そんな自分たちの過去を、市民たちは後悔した。


 ああ、あの時、きちんと演説を聞いていれば!

 そうすればこんなことにならなかったのに!

 どうして、真面目に聞かなかったんだ!?

 どうして、バカにしたように笑ってしまったんだ!?


(ああ、どうしてだよ! どうして俺は真面目に演説を聞かなかったんだ! どうしてゲラゲラ笑っちまったんだ! どうして、どうしてあんなことを! うわあああああ)

(なんでなのよ……なんでわたし、教団なんか選んじゃったのよ……)


 ずぶずぶとした後悔の気持ちが、黒くねっとりと市民たちの心に巣くう。


 ちなみにクイズでは正解者が1人出た。

 その1人の市民は、弾正の演説を面白いと思ってこっそり自分でメモしていた者であり、さほど泥草に偏見も持っておらず、教団を選んだのも何となく、という変わり者の市民だった。

 家族も友人もいない日陰者であり、ラジオで当選者発表された時は「まさかあいつが!」という反応をセイユ市民たちにもたらした。

 そしてその1人を除く大多数の市民たちは、これまでと変わらず、苦しい生活を送ることになるのだった。

後悔編はこれで終わり。

次回から最終決戦編に入ります。

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