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魔力至上主義世界編 - 70 セイユ市民の後悔 (2)

 決戦から数日後。

 その日、セイユの市民たちは、いつものように仕事をしていた。


 重い荷を運ぶ。

 石材を加工する。

 洗濯をする。

 釜を炊く。

 町の外に広がっている畑に行き、雑草を抜いて、鍬を地面に打ちつけて耕す。


 何もかもが手作業である。つらく苦しい労働である。

 体の節々が痛む。骨の髄までつらさが染み渡る。ストレスで胃が痛くなる。

 日々、嫌な思いと、きつい思いをしながら、労働をする。


 これだけの労苦を負って、得られるのは、まずい食事と、粗末な衣服、それに狭い質素な住居、ただそれだけである。


 それでも人々が、せいせいが酒場で愚痴る程度で、さほど不平不満も言わずに働いているのは「みんなそう」だからだ。

 正確には「みんな」ではなく、神官や王候貴族らは庶民よりも一段上の生活をしているのだが、情報化とはほど遠い時代のことである。彼らの私生活は庶民にはよくわかっていない。

 なんとなく「いい暮らしをしているんだろうなあ」とは思っていても、実際に毎日何を食べて、どんなところに寝泊まりしているのかなんてわからない。

 わからないから、リアリティがない。リアリティがないから、あまり嫉妬する気にはなれない。

 それゆえ庶民たちは嫉妬に狂うこともなく、なんとなく「今のままでいいんだ」という気分で生きていくことができたのだ。


 ところがその日、セイユの庶民たちのそんな気分を吹き飛ばす出来事が起きた。


 とある鍛治屋の主人が汗だくになりながら鉄を叩いていた時のことである。

 店の前を派手な格好をした一団が歩いていた。

 主人は、ちらりと見て「ああ今日は祭りか」と視線を下げ、すぐに「いやいや! 祭りじゃねえだろ!」とあわてて視線を戻した。


 目の前を、色とりどりのきれいな服を着た数十人の男女が歩いている。

 ひと目でわかるほど、上等な絹仕立ての服である。さらさらとして滑らかで光沢がある。それを全員着ている。

 顔は、みな笑っている。片手に上質でうまそうな肉の刺さった串、片手に色の良い高そうな酒が入ったグラスを持ち、楽しそうな声をあげながら、時には歌いつつ、わいわいがやがやと通りすぎていく。


「で、泥草……!?」


 鍛治屋の主人は呆然とつぶやいた。

 楽しげに笑いながら通る一団の目は、誰一人として赤くなかったからだ。

 泥草の目である。


「やあ、主人。お勤めご苦労。がんばってね」


 泥草の一人がさわやかな笑顔とともに、そう声をかけてくる。

 主人は唖然とするほかない。

 泥草たちは散々美味そうに飲み食いしがら、歌って騒いでどこかへ行ってしまった。


 主人ははっとした。

 今のがなんだったのかはわからない。

 泥草ごときが、いったい何をやっているというのか?

 追いかけて問い詰めてやりたいと思った。


 だが、彼にはやるべき労働があった。

 今日中に片付けなければならない仕事がまだたくさん残っているのだ。

 ハンマーを握る。振り上げ、鉄を叩こうとする。

 その時、ふと自分の格好を見た。ところどころがほつれ、染みがつき、しわだらけの汚い服。

(俺はこんな汚い恰好のまま、これから汗だくになって、鉄をまた叩かなければならないのか……)と思った。

 豪華な衣服を身にまとい、楽しそうに笑いながら歩いていた泥草たちを思い出す。

 ひどく惨めな気持ちになった。


 このお祭り騒ぎの泥草集団は、セイユの町中のいたるところで目撃された。

 へとへとになりながら働く市民たちの目の前を、美味そうな匂いを漂わせながら、泥草たちが豪勢なメシを食べ歩いているのだ。

 町のあちこちで同時に目撃されたというから、複数の泥草集団が騒ぎ歩いていたのだろう。


 市民たちも、泥草たちの楽しげな様子を見るのは初めてではない。

 これまでも、ガラスの塔の中で泥草たちが宴会をしている姿を、市民たちは何度も目撃してきた。

 だが、それはまだガラス越しであったし、塔の近くを通るときだけ目を伏せていれば見ないで済んだのだ。

 だからまだ耐えられた。

 それなりに嫌な気分にはなったが、まだ見て見ぬ振りができた。現実逃避して見なかったことにすることができたのだ。


 ところが、この日、泥草たちは、あろうことか自分から町に出てきた。

 出てきて、市民たちのすぐ目の前で、笑いながら飲み食いして騒いだ。

 美味そうな匂いが強烈に漂ってきた。自分たちが一生着ることのできなさそうな、高級そうな衣服の質感がリアルに伝わってきた。楽しそうな笑い声が直接耳に響いてきた。

 ガラス越しではない圧倒的なリアリティで「楽しそう」「豊か」が伝わってきたのだ。


 鍛冶屋の主人も、小麦商人の徒弟も、洗濯女も、みな惨めな気持ちになった。


(くっ……俺たちは朝から晩まで嫌な思いをしながら汗水たらして働かなきゃいけねえってのに……)

(あたしたちはまずいご飯を我慢して食べてるのに、泥草たちはあんな美味しそうなものを……)

(くそ……楽しそうに笑ってやがる……)


 惨めな気持ちは次第に怒りへと転化する。


「信じられるか!? 泥草ごときが、俺たちより楽して、俺たちより贅沢してやがるんだぞ!?」

「しかも『お勤めご苦労』とかなめたことぬかしやがって!」

「許せないわ!」

「泥草の分際で、なめやがって! ぶっ殺してやる!」

「今日は思わず呆然としちまったが、今度見かけたらただじゃ済まねえからな!」


 強烈なまでの嫉妬が彼らを襲った。


 質問:ゴミだと見下していたやつらが、贅沢さを見せつけてきました。どうしますか?

 答え:ぶっ殺す!


 質問:でも泥草たち、教団の軍を倒しましましたよ? 強いんじゃ?

 答え:あんな変態どもに勝ったから何だってんだ! ぶっ殺す!


 ◇


 翌日、泥草たちは昨日に続いて、楽しそうに町を歩いていた。

 歌い、踊り、笑いながら、食べ歩いている。


 そこに、血の気の多い市民たち数十人が、棒や包丁など武器をもって襲いかかってきた。


「うおおおお!」

「泥草どもおおおお!」


 泥草たちは、ちらりと市民たちに視線をやると、すぐに談笑へと戻ってしまった。

 無視された市民たちは怒りで顔を真っ赤にする。


「無視すんじゃねえ!」

「美味そうなもん食いやがって!」

「死ねええええ!」

「くたばれえええ!」


 市民たちは怒りをこめて泥草に襲いかかった。


 光る刃物が、若い女泥草の顔に突き刺さろうとする。

 とがった棒が、泥草の子供の喉を貫こうとする。

 硬い石が泥草の頭に振り下ろされようとする。


 市民たちは、生意気な泥草が血まみれになるのを想像して、いやらしそうに笑った。

 そして、直後、凍りつく。


 ぽふっ。


 攻撃が柔らかいゴムに弾き返されるような衝撃とともに押し返されたのだ。


「……は!?」


 刃物も棒も石も、市民たちのあらゆる攻撃が、謎のバリアで防がれてしまったのだ。


「え? え?」

「はい? ど、どういう?」


 泥草たちは、にっこり笑って言った。


「こーら、いきなり人を殺そうとしちゃダメだぞ」

「おしおきだね」


 泥草たちは、えいっと手をかざす。


 とたん、市民たちは顔に違和感を覚える。

 戸惑う市民たち。

 そんな彼らに、泥草の一人がニコニコ笑って鏡を見せた。


「な、なああああ!」

「なんじゃこりゃあああ!」


 市民たちは悲鳴をあげた。

 彼らの顔面には大きな鼻眼鏡がついていたのである。

 赤く巨大な鼻、黒太縁のださいメガネ、鼻の下からモジャモジャ生えているチョビヒゲ。

 パーティーグッズでつけるような鼻眼鏡である。

 おまけに頭には、これまたパーティーでかぶるようなキラキラ光るトンガリ帽子がかぶさっている。

 要するに、クリスマスパーティーで羽目を外したやつがするような格好を、市民たちはさせられていたのである。


「ひいいいい、なにこれえええ!」

「外れねえ! 外れねえよおお!」

「誰かぁ! 誰かこれを取ってくれえ! 取ってえええ!」


 反狂乱になりながら、鼻眼鏡を外そうとする市民たち。

 が、鼻眼鏡もトンガリ帽子も、まるで顔面とガッチリ一体化してしまったかのようにはがれない。


 泥草たちはそんな市民たちに笑顔を向けると、

「じゃあね」

「もう人を殺そうとしちゃダメだぞ」

 と言って、去って行った。


 後には狂乱の悲鳴を上げる市民たちが残された。


 この日、セイユのあちこちで似たような泥草襲撃事件が起きた。

 そして、そのたびに市民たちは鼻眼鏡にされていったのだ。


 彼らは、自分たちの顔に貼り付いた鼻眼鏡が、引っ張っても、刃物を使っても、火であぶっても、どうやっても外せないことに気付き、このまま一生この変な眼鏡をつけて笑われ続ける人生が待っていることを理解し、絶望の悲鳴を上げるのだった。

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