魔力至上主義世界編 - 4 謀反の下調べ 後編
大神官の面を見た弾正は、今度は彼の住まう大聖堂に行ってみたくなった。
大聖堂はイリスで一番大きな建物である。
わざわざ遠くから運んできたであろう立派な石がふんだんに使われ、天まで届くような尖塔がいくつもそびえ立ち、要するに莫大な金がかかっていそうな建物である。
が、行ってみると、どうもここは金持ちの市民しか入れない場所のようだ。
門番の魔法兵が「身分をわきまえることだな」と言い、鼻で笑って弾正を追い払う。
仕方ないので、小聖堂に行く。
小聖堂は、教団の施設である。
イリスに何十とある。
大聖堂に比べると規模は劣るが、その代わり、旅の巡礼者(つまり弾正の変装姿)でも入ることができる。
中に入ると、ちょうど集会をやっているさなかだった。
金の燭台やら豪華な装飾に囲まれた中、白くてきれいな服を着た太った小神官(小聖堂のトップ)が、聴衆に神の教えを説いている。
この日は泥草がテーマだった。
「神の子は、魔力のない者たちの前で、おっしゃいました。
『このように役に立たない泥と草からも、役に立つものが作り出せる』
そして、泥と草をたいまつの火でさっとあぶると、パンができていたのです」
小神官はそこで、昨晩飲み食いしすぎたのか、少し気持ち悪そうに胸を押さえ、落ち着くと話を続けた。
「このエピソードは、こういう意味です。
魔力がない人間は、泥や草のように役立たずです。前世で罪を犯したため、役立たずとして生まれたのです。
ですが、炎に焼かれるなどの苦痛を受け、前世の罪を償うことで、来世はパンのようにみんなの役に立つ真人間に生まれ変われるのです。
このことから、魔力がない人間は、泥草と呼ばれるようになりました」
神の子とは、およそ1000年前、教団を創設した教祖のことである。
数々の奇跡を起こしたと聖典には書かれている。
病人やけが人を回復させたとか、水をワインに変えたとか、そういうものである。
泥と草からパンを作ったという出来事も、そんな奇跡の一例である。
小神官はこの奇跡を取り上げ、この出来事こそ泥草が罪人である証拠だ、と説いたのだ。
話を聞いた聴衆は感心したようにうなずく。
小神官は、にっこり笑って、話を続ける。
「ですから、泥草が苦しんでいたとしても、それは真っ当な人間に生まれ変わるための大切な試練を乗り越えている最中なのです。邪魔してはいけませんよ。
そして、神様の教えは必ず守ってください。そうしないと皆さんも来世は泥草になってしまいますからね」
小聖堂を出る時、こんな声が聞こえた。
「いやいや、まったく、泥草にだけはなりたくないもんだ」
「まあ、あなた。私たちは神様の教えに従っているのですよ。大丈夫に決まっていますわ」
(勝手なことを抜かしておるわい)と弾正は思った。
聞くところによると、教団の教義とは「魔力の高い者が上に立ち、弱者を救済する」だそうである。
太った小神官を見ればわかるように、「弱者を救済」の部分は形骸化しつつあるが、それでも建前はそういうことになっているらしい。
それゆえ教団は、傷病者や老人に施しを与える。
しかし、泥草に対しては扱いが真逆である。
見下し、差別を推進し、苦しめている。
そして、それこそが正しいことだと思っている。
泥草を「前世で罪を犯したから、魔力なしとして生まれた罪人」と見なし、「罪を償って来世で真人間に生まれ変わるために、できるだけ苦しまなければならない」と考えているからだ。
その考えに基づき、自分達はいいことをしているのだと思っているのだ。
(うむ、やっぱりクソじゃな)
弾正は、出て来たばかりの小聖堂を振り返る。
太った小神官が、出入り口のところで、信者とニコニコ笑いながら話をしている。
余裕顔であった。
自分達は絶対的に正しい側にいるのだと、絶対的に強い側にいるのだと確信している顔であった。
弾正は彼の脳内にある謀反メモリーに、その顔を記録しておいた。
謀反が起き、世界が一変した時、その顔がどうなるかを楽しみにするためである。
「わくわくじゃな!」
◇
「泥草は劣っている」という話を、これまで弾正はさんざん聞いてきた。
教団の人間も、一般市民も、そう言っている。
となると、実際に泥草がどんな扱いをされているのか、肌で感じてみたくなる。
そこで、弾正は泥草の姿に変化し、アコリリスと共に仕事をすることにした(彼女は毎日日雇いで働いている)。
早朝、イリスの広場の隅に集まった泥草たちは、セリに出された牛のように並べられる。
そこに、綱職人だの皮はぎだの石工だのといった職人たちがやってきて、「おまえはこっちだ」とか「貴様は俺と来い」とか言って、一人、また一人と連れて行く。
職人たちは、汚れ仕事だの雑用だのをやらせる者を探しているのだ。
弾正とアコリリスが連れて行かれたのは、道の舗装現場だった。
中世という時代、街路はほとんど舗装されておらず、雨が降れば道は泥だらけであった。
とはいえ、時には舗装する。
特に、大聖堂に続く大通りは、大神官様が通る道ということで、少しずつ石畳で舗装され始めていた。
その大通りに向けて、弾正たちは石を運ぶ。力仕事である。アコリリスもまた、小さな体でうんしょうんしょと運ぶ。
汗がどばっと出る。手足が痛くなる。きつい仕事である。
しかし、休めば職人たちから拳が飛んでくる。血を流し、ゲホゲホ言っている泥草もいる。
現場には泥草以外の労働者もいるが、彼らは殴られない。
泥草は訴える権利がなく、暴力を振ったところで何もされる心配はないと思われているため、拳が飛んでくるのはいつも泥草なのだ。
殴られた泥草もまた、疲れたような、あきらめたような顔をして、仕事に戻る。
罵声も飛ぶ。
「おい、そこのバカ面した泥草。何ひと息ついてるんだ! さっさと働け!」
「気持ち悪い顔してるんじゃねえぞ、泥草。手足を動かすことしかできねえんだから、早く動け!」
そうして、また一人泥草が殴られる。
通りを行く人は、笑い声を上げる。あるいは、気持ち悪い者を見るような顔を泥草に向ける。
泥草たちを哀れむ顔や、職人たちに怒りを向けた顔など、一度も見ない。
アコリリスも一度殴られた。
泥草は、教団の「持ち物」という扱いで、殺すと「器物破損罪」になるため、子供のアコリリスはそれなりの手加減をされているのが救いだったが、それでも腹を殴られ、ゲホゲホとうずくまるところを、足でぐりぐり頭を踏みつけられる様を見た時は、弾正は殺意を抑えるのに苦労した。
アコリリスは痛々しい笑顔を浮かべながら「し、しつけていただき、ゴホッ、あ、ありがとうございます……」と言った。
その顔に、ペッとツバが吐かれた。
日が暮れ、手足が棒になる頃、給金が渡される。
泥草の給金は、他の者たちと比べてずっと少ない。
それでも、ありがたそうに、はいつくばって受け取らなければ、拳が飛んでくる。
職人たちはゲラゲラ笑っている。
弾正は既得権益者が嫌いだが、既得権益者の威を借りて威張っている寄生虫のような連中も嫌いである。
弾正は職人たちを、寄生虫と見なしていた。
教団の主張する「泥草は劣った存在」という話に便乗して威張っているだけの小者だと見ていた。
要するにムカついていた。
(敵はあくまで教団だが、こやつらにも一泡吹かせてやりたいわい。泣き顔で『泥草様、申し訳ありませんでした』と土下座させてやりたい。教団をぶっつぶすついでにそれが実現できればいいのじゃが……ふむ……)
何やら謀反の方向性が見えてきた気がした。
◇
泥草の仕事体験をしたら、今度は泥草たちの暮らしも見たくなる。
弾正は、泥草街に足を運んだ。
泥草街とは、泥草たちが住むところを義務づけられたイリスの一角である。
アコリリスもここに住む。
荒廃した雰囲気の中、あばら屋がそこかしこに立ち並んでいる。
おおよそ3000人余りがここに住んでいるという。
あたりを歩いた。
人の姿はなかった。皆、働きに出ているのだろう。
泥草たちに身寄りはない。ある日突然魔力なしの判定を受け、身ひとつで追い出されてきた者たちばかりである。自分で稼ぐしかない。それゆえ、女も子供も老人も働きに出ている。
働けない者は、あばら屋の中で寝込んでいる。
今も時折、ゴホゴホという音が聞こえる。
健常な泥草たちも病人けが人を助ける余裕はない。彼らの賃金は自分たちが生きていくのさえ危ういくらいなのだ。
病気になったら自力で治すしかない。治らなければ、死ぬ。
夕刻になると、泥草たちが帰ってくる。
誰もかれもが、痩せている。汚れたボロを着ている。
そして疲れた顔をしている。
仕事の疲れもあるだろうが、それよりも精神がすり減ってしまっているように見える。
常日頃から、貧しい生活に苦しめられ、先の見えない不安と恐怖にさいなまされ、市民たちからは暴力と嘲笑と罵声を浴びせられ、もう何かを考える気力というものを失ってしまっているように見える。
弾正は、泥草街にもボスがいるのかと思っていた。
元締めのようなやつがいて、そいつが泥草たちを取り仕切っているのかと思っていた。
だが、そんなものはいなかった。
そんなものなど必要ないくらい、誰も彼も疲れ切っているのだ。
◇
弾正は調査を切り上げた。
次の段階に入るためである。
明日は安息日であり、仕事はない。
「アコリリスよ」
「はい」
「明日は、そちの才能を開花させるぞ」
「ふぇっ!?」
「わはは、楽しみじゃな!」