魔力至上主義世界編 - 45 大神官の地獄の始まり
「むっほん」
咳払いの音に、大神官ジラーと高等神官イーハが振り向くと、料理の盆を持った使用人の男が立っていた。
大食漢のジラーは、絶えず何か食べていないと落ち着かない性格である。
この地域の名物は牡蠣であったが、そろそろ食べ飽きてきた頃でもある。
何か新しい珍しい料理を、と所望していたところだったのだ。
「おおっ。それ? それが新しい料理? ねえ、それが新しい料理?」
「はい」
使用人の男は、野太い声でうなずく。
盆の蓋を取ると、そこにはパンが載っていた。
「ん? なにこれ? ただのパン? ねえ、ただのパンなの? ふざけてるの? 死にたいの?
……ん? いや、違うか。中に何か挟まっているなあ。なんだろう、これ」
ジラーは少し小首をかしげたが、まあいいや、と言うと、そのままガブリとかぶりついた。
「ん!」
ジラーは大きな声を上げた。
まさか毒か? と高等神官イーハは腰を浮かしかける。
料理の現場は絶えず教団の人間に見張らせているし、毒味もしているから(「僕に食べ残しを食わせる気なの? ねえそうなの?」とジラーが嫌がるので、毒味はいつもこっそりとやっているのだが)、大丈夫だと思っていたのだが、まさかの事態が起きたというのか?
(どうする? 助けるか? 見捨てるか? このデブが死ねば、この私が次の大神官の最有力候補だ。だが、同時に真っ先に疑われるのもこの私だ。他の高等神官どもが結託して、私を犯人に仕立て上げようとするかもしれない。となると、ここは全力で助けるのが安全か? しかし、こんな軽薄な男が大神官のままでいいのか? 誰よりも神の教えを理解しているこの私が大神官になるべきではないか?)
そうやってイーハが迷っていると。
「んまい!」
大神官ジラーが歓喜の声を上げた。
「……は?」
「いや、美味いよ、これ。本当に美味い。やばいって。
パンはふっくらとして香ばしくてこれだけで美味いくらいなのにさ。
肉はやわらかくて肉汁がたっぷりあふれ出て、しかもなんかこう不思議な加工の仕方しているんだよね。ただ焼いただけでも煮ただけでもなくてさ、なんかこう、とにかく変わった焼き方をしていてさ。
あと変わった野菜も入っているんだけれどさ、これがまたうまく肉を引き立ててさ。
そうそう、何よりソースだって。なにこのソース。すっぱいのに濃厚で、とにかくめっちゃ美味くて。いや、本当、やばすぎだって!」
ジラーが絶賛しているのはハンバーガーである。
ハンバーグもケチャップもマヨネーズもトマトもなかったこの時代、弾正のこだわりによって生み出された現代日本でも上級クラスと言えるハンバーガーを食べさせられたジラーは、そのあまりのおいしさに度肝を抜かれてしまったのである。
「うひゃあ! うほぉ! これはたまらん!」
叫び声を上げ、ひたすらに喜びながら、むしゃむしゃと頬張る。
「……ぷはぁ、うまかったわぁ!」
ジラーは大満足の声を上げる。
「ありがとうございます。よろしければ、こちらもどうぞ」
ハンバーガーを運んできた野太い声の使用人の男が言う。
いつのまにか次の料理を持ってきている。
「……ん、これなに? 木の欠片? 木の欠片なの? 僕に木を食べさせようっていうの? なにそれ? ねえ、なにそれ、ふざけているの? 死にたいの?
……ん? いや、違うか。木じゃないか。なんだこれ、温かいけど。食べられるのかな?」
ジラーは少しの間、手に取った「木の欠片」をじろじろと眺めていたが、まあいっか、と言って、口に放り込んだ。
「ん!」
ジラーは大きな声を上げた。
今度こそ毒か? と高等神官イーハは腰を浮かしかける。
(どうする? このデブを見殺しにして、敬虔な信徒である私が大神官になるべきか? しかし、俗物の他の高等神官どもが結託して私に反旗を翻すやもしれぬ。だが、これは千載一遇のチャンス! となれば……)
そうしてイーハが決断しかかった時。
「んまい!」
大神官ジラーが歓喜の声を上げた。
「……は?」
「いやあ、いやいや、美味いよ、これ。
外はサクサクでさ、中はほくほくでさ。油と塩がほどよくきいていて。
いやあ、もぐもぐむしゃむしゃ、これ、止まらないって。もうこれ、むしゃむしゃ、やみつきだって」
ジラーはそう言いながら、一心不乱にポテトフライを次々と食べていく。
最初は1本ずつ。
やがて我慢できなくなったのか、2本3本とまとめて口に放り込み、ついには残ったポテトフライを両手でわしづかみにして口に放り込んだ。
「……ああ、うまかったわぁ!」
ジラーは大満足の声を上げる。
「ありがとうございます。よろしければ、こちらもどうぞ」
使用人の男は次なる料理を持ってくる。
こうして大神官ジラーは、ハンガーガーとポテトフライとピザとバニラシェイクとコーラを食べ、たっぷり満足したのである。
「いやあ、さすがだねえ、前に僕が『もっと新しい料理を用意しとけよ』って言ったのを覚えていたんだねえ」
「いや、なに、これからうぬが見るであろう地獄を思うとな。最後の晩餐というわけではないが、せめて最後に何か美味いものを食べさせてやりたくてな」
「……は?」
使用人の男が突然わけのわからないことを言い出し、ジラーはとまどう。
「貴様、何者だ!」
不審に思ったイーハが声を上げる。
そばにひかえている小姓達も警戒の態勢を取る。
彼らににらまれる中、使用人の男はみるみる姿を変えていく。
肩衣に小袖、袴に大小日本の刀、黒々とした総髪を大きく結った髷、ニヤリと笑う悪そうな顔をした若い武将が現れた。
「松永弾正でござる」
「な、なな、なんだ、お前っ!」
「お前とは失敬な。松永弾正と申したであろう。謀反の神にして、イリスの聖職者どもを全員ぶちのめした男よ」
「き、き、貴様っ! その黒い目、泥草であろう! 泥草の分際で神を名乗るとは不届きな!」
敬虔な信者である高等神官イーハは、不届きにも神を名乗る弾正に対し、顔を真っ赤にして怒りの声を上げたが、大神官ジラーは「まあ、待て」と言った。
「お前、今さ、イリスの聖職者どもを全員ぶちのめしたって言ったの?」
「さよう」
「つまりさ、手紙で知らせがあった『イリスの聖職者たちを倒した泥草』ってのは、お前のことなの?」
「無論、わしらがやったことである。ルートよ!」
弾正が叫ぶと、窓が開き、外から背の高い泥草が入ってきた。
そうして、首飾りを7つ床に放り出す。
ジャラジャラ音を立てて床に転がったそれは、教団のシンボルマークのついた純金製の首飾りであった。
泥草街にイリスの中神官たちが攻め込んだ時にぶんどったものである、
この首飾りは、中神官以上の聖職者だけがつけることを許されたものであり、それを持っているということは、つまり、イリスの7人の中神官たちは自分たちが倒したんだ、というアピールに他ならない。
「ふうん」
ジラーは冷たい見下すような目で弾正とルートを見すえる。「泥草ごときがバカなことをやっているなあ」と哀れむような目である。
一方、イーハは、教団の権威の象徴の1つである首飾りを床にぞんざいに投げ出されたことで、激昂した。
「き、貴様らぁ! ここから逃げられると思うなよ!」
怒鳴りながら、さっと手を上げると、小姓たちが弾正とルートをあっという間に囲む。
大神官の側に仕える小姓達である。
主人に逆らう者は容赦なく殺すように訓練されている。
彼らは、余計なことは言わず、ただ黙々と命令に従う。
高等神官がさっと手を下ろせば、淡々と弾正達を殺しにかかるだろう。
だが、弾正の動きは一歩速かった。
「わはは、さらばじゃ」
その言葉と共に、弾正とルートの姿がふっと消える。
「は?」
「き、消えた?」
ジラーとイーハは驚きの声を上げる。
機械のように冷徹な顔をしていた小姓達も、初めて戸惑いの表情を見せる。
「なあに、今日のところは挨拶代わりのジャブとしておこう。地獄はこれから始まる。楽しみにしておるのじゃ」
どこからか声がするが、姿は見えない。
「え? なに? どうなったの? どうなったの?」
「ええい、お前達、何をしている! 探せ! 探し出すんだ!」
ジラーとイーハが叫んでいると。
グワァァン!
すさまじい揺れと音が建物を襲った。
挨拶代わりのジャブの始まりである。




