魔力至上主義世界編 - 43 残された者たちの現状 (2)
イリスには大小7つの広場があり、それぞれ巨大なガラスの塔が建っている。
1階では、いつも泥草たちがグルメを味わっている。
ジュージューと焼ける肉、ふかふかのやわらかそうなパン、生クリームのたっぷりのったケーキ。
それを泥草たちは、笑いながら実に美味そうに食べている。
目的はもちろん嫌がらせである。
「イリスの市民どもに見せつけるのじゃ! 美味そうに食え。イヤミったらしく食え」
弾正はそう命令する。
「ひゃっはー、わかりました、神様! ニヤニヤ笑いながら食ってやります!」
泥草たちはそう答える(このところ、弾正の影響のせいか、泥草たちは随分とノリがいい)。
そうして命令通り、イリスの市民たちの前で自慢げに食べる。
「んー、うまい!」
「この肉、さーいこうだなあ!」
「いやあ、市民の皆様、おいしいですよー!」
イリスの市民たちは、そんな泥草たちを見て、歯ぎしりをする。
彼らは天使騒動の時、泥草たちの食事がどれだかおいしいものかを知ってしまっている。
ふだん食べているボソボソとした固いパンや、野菜や干し肉の欠片が浮いただけのスープなんかとか比べものにならないほど美味な食事であることを理解してしまっている。
もう、あの味が忘れられなくなってしまっているのだ。
その恋しい味を、これまで出来損ないと見下してきた泥草たちが、ガラスの壁一枚隔ててニコニコ笑いながら味わっているのだ。
自分たちはまずいメシ、貧しいメシで我慢しているというのに!
クズの泥草たちがニヤニヤ笑いながら見せつけるように食べている!
「くそぉ! 泥草の分際でふざけやがって!」
「今に見てやがれ! 出来損ないどもめ!」
市民たちは憎々しげな顔で泥草たちをにらみつけるが、どうしようもできない。
そんなある日のことである。
塔の前を通りがかった2人の男のうち、1人が大声を上げた。
「ああっ!」
「ん? どうした?」
「あ、あれ……」
「ああん?」
大声を上げた男はガラス塔を指差した。
中で何十人かの男女が、いくつものテーブルに分かれて、それぞれおいしそうな料理を食べている。
「ちっ、なんだ、泥草どもじゃねえか。あれがどうしたっていうんだ?」
「お、俺の女房だ……」
「……は?」
男の指差すほうをもう一度見てみる。
楽しそうに料理を食べている男女の中に、赤い目の女がいた。
赤い目は市民の証である。
泥草であれば、目は黒や青や水色である。赤くはない。
であるのに、あの女は赤い目をしている。
「あそこで……塔の中で飯食ってるの、出て行った俺の女房だ……」
よく見てみると、テーブルを囲んでいる男女のうち、女たちはみな赤い目をしている。
イリスから出て行った女たちが、今、泥草たちと一緒に笑いながらメシを食っているのである。
「ちくしょう!」
「お、おいっ!」
大声を上げた男は、塔に向けて駆け出す。
「おい、お前! 何やってんだ! お前の亭主はここだぞ! なに泥草どもとメシなんか食ってやがるんだよ! ふざけんじゃねえぞ、こら!」
男はそうわめきながら、ガラスの壁をドンドンと叩く。
妻の名を叫びながら「何やってんだ! 出て来い! この淫売! 売女!」などとわめき声を上げる。
男の妻は、ちらりと男に目をやると、残念そうにため息をついた。
男はますます激昂する。
「なんだその態度は! 殴られたいのか!」
そう叫び声を上げる。
妻はまるで意に介さない。
「このお肉、やわらかくておいしいわね」
そんなことを言いながら、泥草たちと楽しげに食事を進める。
男はますます怒り狂い、ますます大声を上げる。
妻は男の存在を無視して歓談と食事を楽しむ。
やがて食事は終わり、妻も泥草たちも塔の上へとのぼっていってしまった。
後には、ひときわみじめな男が残されるばかりである。
こういった光景は、イリスのあちこちで見られた。
妻が、娘が、妹がガラスの塔の中で泥草たちと食事を取っているのだ。
その光景を見せつけられるのだ。
「くそっ! くそぉ!」
「なんでだよ! なんで泥草なんかとメシ食ってるんだよ! やめろよぉ!」
男たちはガラスの壁を蹴り飛ばし、泣きそうな声を上げ、それでも妻や娘から無視され、みじめな気持ちにさせられるのだ。
「ちくしょう……」
男たちはガラスの壁を力なく叩きながら、屈辱に体を震わせる。
この時代の男たちにとって、妻や娘は「所有物」である。
その所有物が、自分たちが今まで出来損ないだと見下してきた泥草の男と食事を取っている。
しかも、自分たちは貧しい食事をしているというのに、彼らはうらやましいほど豪勢なご飯を食べているのだ。
屈辱以外の何物でもない。
男たちは手が赤くなるまでガラスの壁を悔しそうに叩くのだった。
◇
中神官会議は、キノコでも生えてきそうなほど、どんよりとした雰囲気だった。
神官たちに対する、市民の風当たりは、日ごとに強くなっている。
イリスの人口は半減してしまっている。
人が減れば、都市としての生産力も消費力も落ち込む。
職人ギルドや商業組合から、何とかしてくれという苦情が教団に来ている。
「あんたたちが情けないから、女子供が出て行ってしまったんです。どうにかしてください!」
こんな風に文句を言われる。
ちょっと前までは考えられないことであった。
何しろ教団は絶対的な存在であり、逆らうなんてとんでもないことだったからだ。
しかし、今や、その権威は失墜しつつある。
少なくともイリスの聖職者たちは、完全にナメられている。
「おのれ! たいした魔力も無いくせに、神に選ばれし我らに抗議をするとは!」
中神官ドミルは怒りで拳を振るわせる。
「まったくです。神聖なる我ら聖職者に対し、あの態度、許せません」
「いずれ天罰が下るに相違ありません」
中神官たちは口々に同意する。
同意はするが「であれば、やつらをこらしめてやりましょう」とは言えない。
そんなことをしたら、イリスから出て行ってしまうかもしれないからだ。
何しろ既に半分出て行ってしまっているのだ。
残り半分だって、出て行かないとは限らない。
ただでさえ人が減って色々とまずい状況なのに、これ以上減ってしまったら、都市として機能しなくなってしまう。
来月にはイリスで大市が予定されている。
大市というのは、年に一度、商人たちが集まって盛大に商品を売り買いするイベントである。
イリスの外から商人がたくさん来る。
商人たちを目当てに、近隣から客も大勢やって来る。
だというのに、そのイリスが寂れて、ロクに人もいない状況では、失態どころの話ではない。
ただでさえ、巨大なガラスの塔が7本も建ってしまっていたり、聖職者の頭の上に看板が生えてしまっていたり、泥草たちが空を飛び交っていたり、イリスと目と鼻の先に大都市ができてしまっていたり、その大都市とイリスとが空中道路で結ばれていたり、と訳のわからない状況が目白押しなのである。
大市の外来客に対し、これらをどうごまかすかで頭が痛いのだ。
「ごめーん。泥草に負けちゃって、看板つけられちゃった! でっかい塔も建てられちゃった。てへっ!」
こう言って、笑って済ませられればいいのだが、無論、そんな訳にもいかない。
早急に対策しなければいけない。
泥草を倒し、頭の看板を外させ、塔を奪い、都市ダイアも奪う。
これを大市までに実現する必要がある。
いや、大市も大事だが、何よりも大神官と高等神官が帰ってきて、現状を見られてしまっては、その場で全員処刑もありうる。
解決のめどはある。
金である。
塔とダイアを奪えば、莫大な富になる。
ガラスの壁を切り出して売るだけで、世界一の大金持ちになれる。
金さえあれば、たいていの問題は片づく。まだ希望はあるのだ。
問題は、奪うためには泥草を倒さなければならない、ということだ。
「ともかく泥草どもをダイアから引きずり出して、決戦を挑んで殲滅する。これさえ成し遂げれば、何もかも上手くいきます」
「ドミル殿のおっしゃる通りです! 1回でいいのです! ただ1回、決定的な勝利を得られれば、逆転できます!」
「その通り! 前回はおしくも泥草どもに不覚を取りましたが、なあに、我らが普段通りの実力を発揮さえすれば、しょせんは泥草。出来損ないです。我らの楽勝は間違いありません」
「よろしい。皆の意見は一致しているようですね。それでは具体的な作戦を……」
ドミルがそう言って作戦案を述べようとした時、会議室のドアが勢いよく開いた。
血相を変えた助官が、挨拶もなく、いきなりこう叫んだ。
「たたた、大変です!」
「なんだ、騒々しい」
「じ、実は、大神官様と高等神官様が、すぐそこまで……イリスの近くまで来ているのです!」
「……は? ……へ? ……はああああああ!!!」
中神官たちの驚愕の声が、会議室に響き渡った。
魔力至上主義世界編も、もう43話なのですね。びっくりです。
書き始めた当初は「長くても20話くらいで終わるだろう」と思っていたのですが。




