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魔力至上主義世界編 - 42 残された者たちの現状 (1)

 パドレとその配下の者たちは、牢の中にいた。


 パドレはかつて泥草(でいそう)街の小神官であった。

 小太りで丸顔で人の良さそうな穏やかな顔をしていて、けれども内心はギラギラとした出世欲で満ちていた。

 ゆくゆくは大神官になって、贅沢をしながら、あらゆる連中に偉そうに指図することを夢見ていた。


 夢は途絶えた。

 アコリリスに二度負け、配下の助官やら魔法兵やらと共に、顔に『私は泥草に負けました』と二度と消せないように書かれた。

 パドレたちは、教団に恥をかかせた罪で地位を剥奪され、牢に閉じ込められた。


 そうして数ヶ月が過ぎた。

 彼らはまだ牢にいる。


「くそぉ、早く……早く俺をここから出しやがれ……」


 パドレはやせた顔で目をぎらぎらさせながら言った。


 牢は地下にある。

 暗くてじめじめしている。

 衛生など欠片もない。

 ネズミが走り、悪臭が漂っている。


 出されるメシだってろくなものではない。

 量は少ないし、臭いし、まずい。

 まともに食べられたものではない。


 小太りだったパドレはすっかりやせてしまった。

 立派な法衣は没収され、ボロの麻布をまとわされている。

 髪とヒゲは伸び放題であり、全身がすっかり汚れて悪臭を漂わせ、もはや小神官だった頃の名残はない。


「うるせえぞ、この豚野郎。静かにしろ」


 元助官であり、パドレの部下だったミセは、そう言ってパドレを蹴り飛ばす。

 彼はパドレと同じ牢にいた。

 パドレと同様、ボロ麻を着て、頬はこけてやつれている。

 それでも蹴り飛ばす力はまだ残っているようだ。


「ぐあっ!」


 蹴られたパドレは土がむき出しになった床に顔面から突っ伏す。

 魔法を使えないよう、左右の手のひらが合わさるように両手を縛られているため(魔法は手のひらから出るため、魔法を使うともう片方の手が吹っ飛ぶ)、床に手を突くことができないのだ。


「うげっ! ぺっ、ぺっ!」


 涙目になりながら、口の中に入った土を吐き出す。


「ちくしょう、お前、何しやがる!」

「うるせえ!」


 ミセはそう言って、もう一度パドレを蹴り飛ばす。

 また床に顔面から突っ込む。


「てめえのせいでこうなったんだろうが! このクソ豚野郎が!」


 ミセがそう言うと、牢にいる他の元聖職者たちも、一様にパドレを冷たい目で見る。


「くっ……お前ら……」


 パドレは悔しそうにミセをにらむ。

 すでに彼は小神官ではない。ミセたちの上司ではない。

 それどころか、この惨状を招いた張本人だとみなされている。

 ことあるごとに蹴られ、罵声を浴びせられ、冷たく扱われている。


 パドレがまだ死なずに済んでいるのは、牢番から「パドレが死んだら、お前らもただでは済まないからな」と言われているからにすぎない。

 教団としても「泥草街の聖職者たちが泥草にボコボコに負けた」という事件の責任を取らせるため、パドレに死なれては困るからだ。


 もっとも、その後、それどころではない事件(頭から看板を生やしたり、塔が建ったり、女たちが出て行ったり)が立て続けに起こったため、教団としては既にパドレなどどうでもよくなっている。

 ただ、パドレとしては幸いなことに、その事実は牢にまでは伝わっていないため、彼はまだ殺されずに済んでいた。


 とはいえ、それでパドレが今生きていることを神に感謝し、幸せにむせび泣いているかというと、まるでそんなことはない。

 屈辱でいっぱいである。


「ちくしょう……ちくしょう……」


 口の中はにがくて臭い土の味でいっぱいである。

 手はやせこけている。

 着ているものはボロ麻である。

 牢番にすらバカにされている。


 ほんのちょっと前まで、毎日のように贅沢な食事をしていたというのに!

 手はふっくらとしていて、誰もがうらやむようなきらびやかな法衣を身にまとっていたというのに!

 人々の上に立つエリートだったのに!


「くそぉ……くそぉ……全部泥草のせいだ……覚えてろよ……」


 パドレは悔し涙をポロポロと流しながら、屈辱に打ち震えるのだった。


 ◇


 かつて泥草たちをゲラゲラ笑いながらイジめ、しまいには泥草街に乗り込んで彼らを奴隷にしようとしていた職人たち。

 彼らは見下していた泥草たちにこてんぱんに負けた挙げ句、舌を「何を食べても生ゴミの味しかしない」というものに改造されてしまった。


 石工の男などは、日ごろ力仕事をしていて筋骨隆々のたくましい肉体を誇っていたのだが、今やすっかりやせ衰えてしまっている。

 まともにメシを食えないのだ。

 パンを食べても、肉を食べても、ワインを飲んでも、腐った生ゴミの味しかしない。

 いつまでたっても慣れない。気持ち悪いものは気持ち悪い。吐きそうになる。実際、何度も吐いた。

 それでも死なないために、苦しそうな顔をしながら腹に食べ物を押し込む。無理矢理食べる。


 そんな生活を続けていたものだから、今やたくましい肉体は見る影もなく、骨が浮き出るほどにやつれてしまっている。

 仕事をしていてもふらつく。石を落とす。石の切り方を間違える。仕事道具が手からすっぽ抜けて、他の職人に当たりそうになる。


「クビだ、出てけ」


 とうとう石工を解雇されてしまった。


「くそがぁ……なんで……なんで俺がこんな目に……」


 元石工の男はうなだれる。

 やけ酒でも飲みたい気分だか、金はないし、飲んだところで気持ち悪い味が口いっぱいに広がるだけである。


「何もかも泥草が悪いんだ……あのクズ共が俺たちに頭を下げて、おとなしく奴隷になっていればこんなことにならなかったんだ! クソ野郎どもめ……絶対許さねえぞ……」


 男はそう言いながら、イリスの町をふらふらと歩く。


 グシャ。


 足が何かを踏む。

 何だろうと思ってみてみると、ビラだった。


『都市ダイアへの移住者募集中。

 おいしいご飯、きれいな服、便利な道具、快適な住まいがあなたを待っています。

 飢えることも、凍えることも、病むこともない暮らしを!

 なお、移住に当たっては、次の3つの条件を飲んで頂きます。

 1.今まで泥草(でいそう)にしてきた行為を土下座して、自分たちが間違っていたと謝罪すること。

 2.教団に対し、お前たちは間違っているぞ、と実名で手紙を書くこと。

 3.今後5年間、泥草の下で働くこと。

 ※衣食住は、十分な質のものを保証します。

 ※泥草に対して過去に行った行為によっては、より条件を厳しくします。

 ※条件は日を追って厳しくします』


 やせおとろえた手でビラをつかみながら、男は何ヶ月か前のことを思い出していた。

 あの日、男は仲間と共に泥草街に乗り込み、ボロボロに負けた。

 そして、アコリリスとかいう童女(わらべめ)にこう言われたのだ。


「第一に、土下座して、自分たちと教団が間違っていたと認めること。

 第二に、教団に対して『お前達は間違っている』という非難の手紙を出すこと。

 第三に、わたしたち泥草の下で5年間働くこと。

 以上を守って頂ければ、今日からでもおいしいご飯が食べられますよ」


 ビラに書いてあることと同じである。

 あの時は、教団に逆らうなんて冗談じゃない、と思った。

 教団は絶対的な存在である。

 現代人の感覚で言えば、国にケンカを売ってテロを起こすようなものだろう。


 だが、今はどうか。

 中神官たちは泥草たちにボコボコに負けた。

 頭からバカみたいな看板を生やさせられた。

 彼らが美食と淫行の限りを尽くしている写真がばらまかれた。

 教団自慢の大聖堂がかすんでみるほどの巨大な塔が次々と立ち並んだ。

 その権威は揺らぎつつある。


 そして何より衝撃的だったのは、女たちがイリスを見捨てて出て行った、ということだ。

 男尊女卑のこの時代、男はごく一般的に「女は男より下」と考えていたし、女なんて覇気も勇気もないやつらだと見下していた。

 しかし、その女が、教団にケンカを売ったのだ。


 聞くところによると、女たちがダイアに移住して程なくして、大量の手紙が教団に届いたという。

 いずれも移住した女たちが、教団に対して「お前たちは間違っている」と糾弾する内容であった。


「女が勇気を出して教団にケンカを売ったっていうのに、男である俺たちは教団におびえているのか?」


 イリスの男たちの中には、こういう風に考える者も出て来ている。


「いっそダイアに移住しちまうか……」


 そう考える者すら出て来ている。


 ただなかなか実行に移せない。

 1点、気になることがあるからだ。

 それは「泥草に対して過去に行った行為によっては、より条件を厳しくします」というビラの一文である。


 女たちと比べ、男たちはより積極的に泥草をいじめていた。

 これは別に男たちが残酷で、女たちが優しかったから、というわけではない。

 男尊女卑のこの時代、権力を持っているのはもっぱら男であり、権力を持つ以上それを行使して泥草を虐げる機会が多いのも男だった、というだけの話である。

 とはいえ、事実として男たちは泥草迫害の中心となっていたのは事実である。


 元石工の男も、泥草を殴り、蹴り、土下座させ、唾を吐きつけ、口に泥をツッコミ、罵声を浴びせ、賃金を着服してきた。

 果たしてどんな厳しい条件を突きつけられるのか。

 それを思うと、今一歩踏み出せないのだった。

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