魔力至上主義世界編 - 41 消えた女たち
イリスから女の半分が消えた。
母が、妻が、娘が姿を消した。
ダイアに移住してしまったのだ。
男たちは困った。
女は様々な仕事をこなしている。
洗濯をする。
料理をする。
掃除をする。
買い物に行く。
糸を紡ぐ。
子を産み、育てる。
農家も職人も商人も、妻に本業を手伝ってもらっているというのはよくあることだし、中には妻のほうが腕が立つなんてのも珍しくない。
そういった仕事をやってくれる女の半分がいなくなってしまったのだ。
男たちは困る。
とりわけ既婚の男たちは困った。
これらの仕事をやってくれる妻がいなくなったのだ。
「なあに、独身時代に戻ったようなものさ。
メシはメシ屋で食えばいい。洗濯は洗濯女(独身男など、洗濯してくれる家族のいない者のための洗濯業者)にやらせればいい。
独身だった頃は、ずっとそうやってきたじゃないか」
既婚の男たちは、そう言って安心しようとする。
もくろみは外れた。
メシ屋はすぐにいっぱいになった。
洗濯女たちは「こんなにたくさん洗濯できません!」と悲鳴を上げる。
既婚の男たちが突然客としてわっと押し寄せれば、客の数は一気に増える。
メシ屋も洗濯女たちも、超人ではない。
急に客が増えたからといって、対処できるものではない。
処理能力をオーバーしている。
そもそも人手不足なのだ。
メシ屋にも女の働き手はいる。その働き手が半分に減っている。
洗濯女にいたっては、もとより女しかいない。
人手が激減し、仕事が激増したのだから、メシ屋も洗濯女たちもパンクする。
「ふざけんな! メシを食わせろ!」
「おいおい、洗濯できねえってどういうことだよ!」
男たちは怒りの声を上げる。
怒りはもっぱら立場の弱い者たちに向かう。
つまり、女たちである。
とりわけ、メシ屋で働く女たちは、腹を空かせてイラついている男たちの暴言と暴力の標的となった。
「メシが作れねえってどういうことだよ!? ああん!? 人手が足りない? 言い訳してんじゃねえよ!」
「オレはメシを用意しろって言ってんだよ。できませんじゃねえ。やるんだよ! いいからやれや!」
声を荒げ、襟首をつかまれ、怒りに満ちた顔で怒鳴りつけられる。
それから、顔面を殴られる。腹を蹴られる。
男たちは、近頃の目まぐるしく変わっていく情勢に、不安を感じていた。
ともかくも自分たちの強さを見せつけて、安心したがっていた。
妻や娘が出て行ったことでイラついてもいた。
その不安とイラ立ちが、暴力という形で表に出たのだ。
「や、やめてください、やめっ……」
「うるせえ!」
男たちは殴る。蹴る。
女たちは鼻や口から血を流す。
折れた歯を吐き出す。
苦しそうにゲホゲホ言う。
中には立て続けに殴られたために、倒れて動かなくなった女もいた。
その女は翌日には死んでしまった。
男たちは一言も謝らなかった。
どころかこう言った。
「これで思い知っただろ? これからはちゃんとマジメに働くんだな」
(なに……それ……なによそれ! あたしたちがどんな想いで残っていると思っているのよ!)
女たちは怒りに体を震わせた。
イリスに残っている女たちは、みなそれぞれ理由があって残っている。
まず、信心深くて、教団に深い信仰と信頼を捧げている女たち。当然、教団の総本山であるイリスから出て行くなんて考えたこともない。
泥草を毛嫌いしていて、泥草になんて関わりたくもないと思っている女たちもいる。当然、泥草の都市であるダイアになんて絶対に行きたくない。
それから、新しいものが苦手で、洗濯機なんて不気味で触りたくもないと思っている女たちもいる。当然、新しいものを生み出す泥草たちのことも不気味に思っており、ダイアになんて行きたくもない。
ここまでは年配の女が多い。
若い女たちもいる。
男たちを見捨てることができず、責任感で残っている女たち。
単純に臆病で、現状を変える勇気がなく、惰性で残っている女たち。
こういった女たちは、若い者も多い。
このうち若いほうの部類、つまり責任感で残っている女たちと、臆病な女たちが姿を消した。
「ふざけんじゃないわよ。人が男どものために残ってやったっていうのに、あの扱いはなによ! もういい! 男なんて知ったことじゃないわ!」
責任感の強い女たちは、そう言って出て行った。
「怖い……。このままじゃ、あたしも八つ当たりで殺されちゃうかもしれない……。いやだ、死にたくないよ……。……逃げよう」
臆病な女たちは、そう言って出て行った。
彼女たちは、幼い子供や弟や妹たちを連れ、ガラスの塔に向けて土下座し、ダイアに移住する。
およそ1万7000人の民がイリスから姿を消す。
かつての10万人都市は、すでに人口が半減してしまっていた。
◇
その日、ダイアに移住した女たちは、広場に集められた。
移住してから1週間が過ぎていた。
イリスの広場と異なり、石畳が丁寧に敷かれ、生ゴミだの何だのがちらばっていないきれいな広場である。
コンサートのステージのように、大きな壇が設けられている。
すでに日は暮れ、あたりは真っ暗である。
壇上に焚かれたタイマツの光だけが、唯一の光源である。
壇上には、泥草たちがずらりと並んでいる。
中央には、金髪に水色の目をした12歳くらいの童女がいる。
そして、その後ろ、壇の上にさらに設けられた壇上に、黒々とした甲冑を着込んだ男が、炎に赤々と照らされ、異様な存在感を放ちながら床几に腰掛けている。
「いったい何が始まるのかしら……」
「わからないわ。とにかく待つしかないわね……」
女たちが固唾を飲んで見守っていると、背の高い若い泥草のルートが、壇の上から叫んだ。
「イリスから来た者たちよ!」
男の声はノイズ混じりであったものの不思議なほどによく響いた。
首元に何か石のようなものがついている。
一種の拡声器である。
拡声器越しの声など生まれて初めて聞くイリスの女たちは、すっかり驚いてしまった。
ルートは構わず続ける。
「これより、神の子アコリリス様よりお話がある。心して聞くように。では、アコリリス様、どうぞ」
ルートの言葉にアコリリスはうなずき、さっと手を上げる。
とたん、タイマツの火が消えた。
あたりは真っ暗になる。
「え、な、なに?」
「ど、どうしたの?」
何も見えない真っ暗な闇の中、女たちは不安の声を上げる。
1分が過ぎる。
2分が過ぎる。
何も起こらない。
不安が限界に近づく。
その時である。突然、光がともった。
アコリリスである。全身が光っているのだ。
けばけばしくならないよう、光は弱めに。
太陽光のようにギラギラした光ではなく、蛍のように神秘的に。
宙に浮いて両腕を広げ、天使が着るような白い服をひらひらとさせながら、光っていたのだ。
慣れない場所で暗闇の中放り出され、不安がピークに達していた女たちには、まるでアコリリスがこの世界で唯一の希望であるかのように見えた。
「聞きなさい。イリスの女たちよ」
アコリリスは凜と響き渡るような声で言った。
さきほどのルートと同じように首元に拡声器をつけている。
しかも、ルートの拡声器はわざと質を悪くしてノイズ混じりだったのが、アコリリスのそれは実にクリアな音質である。
より神々しく聞こえるのである。
「あなたがたはこの言葉を知っていますか?」
アコリリスはそう言うと、次の一節を口ずさんだ。
神の子は、魔力のない者たちの前で、こうおっしゃった。
『このように役に立たない泥と草からも、役に立つものが作り出せる』
そして、泥と草をたいまつの火であぶると、パンができていた。
女たちはざわつく。
「あるわ! 聖堂で聞いたことあるわ!」
女の1人が闇の中で叫ぶ(まあ、この女は弾正の用意したサクラなのだが)。
「わたしもあるわ! この間、聞いたもの!」
別の女が叫ぶ(これはサクラではない)。
そうして次々と賛同の声が上がると、みな、なんとなく、そういえば神官がそんなことを言っていたなあ、と思い出していく。
「いいでしょう。では、これを見なさい」
アコリリスは両手を高々と掲げる。
すると、左から大きな茶色い塊が、右から大きな緑色の塊が、光を発しながら浮かび上がる。
泥と草の塊である。それが光を放ちながら宙に浮いているのである。
2つの塊は、ゆっくりと飛んで、アコリリスの目の前で合わさると、ゴオッと炎に包まれる。
炎が消えた時、そこには香ばしい匂いを漂わせる、手でつかめるほどの小さな物体がたくさん浮かんでいた。
「え……、うそ……!?」
「あれ……まさかっ……!?」
良い匂いを漂わせるその物体は1つ1つ光を放ちながら飛んでいき、女たち1人1人の手におさまる。
「パンよ! これ、パンだわ!」
「うそ!? これ、パン!? まさか!?」
「本当よ! おいしいわ!」
「ああっ、本当! ふかふかで、やわらかくて、すごくおいしい!」
最初に「おいしいわ!」と声を上げたのは弾正の仕込んだサクラであるが、そこから先はイリスの女たちの素の反応である。
女たちは「パンよ! パンだわ! 本物のパンだわ!」と興奮しながら声を上げる。
アコリリスの目の前では、泥と草が次々と合わさっていき、たくさんのパンへと形を変えていく。
パンははじけるように飛んでいき、1つ1つが女たちの手のもとへとおさまっていく。
「ああ、神の子だわ!」
女たちはアコリリスに崇拝するような目を向けながら言う。
「そうよ! 聖堂で聞いた通りだわ!」
「神の子よ! 間違いないわ! だって、泥と草からパンをお作りになられたんですもの」
その光景は、かつてと同じであった。
かつて、泥草たちがアコリリスの一寸動子を目にして「神の子だ!」と声を上げた時と同じように、今、イリスから来た女たちはアコリリスに対し「神の子だわ!」と叫んでいる。
ひとつ違っていたのは、アコリリスが「わたしが神の子なら、このお方は神様です!」と言って、アコリリス以上のまばゆい光と派手な演出で、弾正を紹介したことである、
いわゆるサプライズ演出であり、これには弾正も苦笑いをしつつも、誰より大きな声で、
「わしが謀反の神、弾正である!」
と叫び、女たちに強い印象を残したのだった。




