魔力至上主義世界編 - 34 洗濯機騒動 (1)
中世という時代、洗濯は重労働だった。
水の入った大きなたらいに、汚れた衣服を入れ、ひたすら足で踏む。
石けんは高級品であるから、そう簡単には使えない。
石けんがないから、汚れはなかなか落ちない。
何度も何度も足で踏む。1日中踏み続ける。
肉体的にも精神的にもきつい。
この時代、洗濯はもっぱら女の仕事であったが、彼女たちはこの労働にうんざりしていた。
こんなことに人生を浪費してしまっているかと思うと、たまらなく嫌な気持ちになるのだった。
そんなある日のことである。
女たちは、いつものように洗濯物を持って水場へ向かおうとする。
ガラスの塔の前を通りがかる。
すると、塔の1階で泥草の少女が妙なことをやっているのに気がついた。
泥やら油やらで汚れた衣服を、水で満たされた大きなガラスの箱の中に次々と放り込んでいる。
箱にはスイッチがついている。
そのスイッチを押すと、驚くことに衣服がぐるぐると回り始めたのだ。
「ね、ねえ、何かしら、あれ?」
「さ、さあ……」
こんな光景、初めて見る。
一体何なのだろう?
泥草の少女は何度か操作する。
そのたびに、水が入ったり、排水されたり、衣服がぐるぐる回ったりする。
やがて箱の動きが止まり、泥草は中の衣類を取り出す。
衣服を見て、女たちは驚きの声を上げた。
「……え? はあ? う、うそでしょう!?」
「な、なんで……!? どうして!?」
泥草の少女が取り出した衣服は、新品のごとくピカピカだったのだ。
少女はテキパキと衣類を取り出しては、1枚ずつ干していく。
どれも汚れひとつない。
完璧なまでにまっさらである。
「あ、ありえないわ……こんなの嘘よ……」
「で、でも、現に今、きれいになったじゃない……」
女たちは確かに見た。
箱に入れる前の衣服が、汚れていたこと。
中にはひどい油汚れもあった。
ああいった汚れを落とすのに、自分たちがどれだけ苦労しているか!
どれだけの時間と労力を費やしているか!
それをあの泥草は、鼻歌交じりで、変な箱をぽちぽち操作するだけで、あっという間に自分たち以上の仕事をしてしまったのだ!
「……信じられないわ」
「き、きっと何かの幻覚よ! そうに決まっているわ!」
「そうかしら……」
「そ、そうよ! あんなに洗濯物がすぐにきれいになるはずがないわ!」
「……ねえ、あれ、何かしら?」
見ると、塔の外に、大きな空の容器が置かれている。
容器には、こんな貼り紙がしてあった。
『どなたでも洗濯物をお入れください。きれいにします』
女たちは顔を見合わせる。
意味はわかる。
泥草が洗濯してくれるというのだ。
だが、本当にいいのか?
泥草に任せていいのか?
そもそも、中世において、服は高価なものである。シャツ1枚が現代換算で50万円の時代である。
うっかり入れて、衣類が返ってこなかったら?
あるいは台無しにされてしまったら?
そう思うと怖くて入れられない。
ところが。
「入れるわ」
赤毛の若い女が洗濯物をどさどさと容器に入れた。
「ちょ、本気なの!?」
「ええ、本気よ」
赤毛の若い女は足をケガしていた。
洗濯物を踏むだけで、痛みがひどい。
けれども、洗濯を休むと父が激怒する。
「俺に汚い服を着せて恥をかかせる気か!」と言って殴る。
そのため、痛いのを我慢して洗濯をする。
周りの女も多少は手伝ってくれるが、彼女たちもそんなに余裕があるわけではない。
結局は自分でやるしかない。
「痛っ……!」
足は日ごとに悪くなる。
どんどん痛みを増してくる。
このままだと取り返しの付かない事になってしまうかもしれない。
でも、それを言うと父は殴る。
教団に訴えても「親子のことは親子で解決しなさい」と言って、何の役にも立たない。
正直、もう疲れていた。
(いいや、どうでも……)と思っていた。
やけになっていたのだ。
「見て! 洗濯物が吸い込まれていくわ!」
見ると、どういう原理か、女の洗濯物の入った容器が塔の中に吸い込まれていく。
そこに泥草の少女がスタスタとやってきて、容器から女の洗濯物を取り出し、どさどさと透明な箱の中に入れる。
また箱を操作をする。
透明な箱が再び動き出す。
そうして、あっという間に衣類をピカピカにしてしまったのだ。
「またあんなにピカピカに……」
女たちから驚きの声が漏れる。
泥草の少女は、きれいになった衣類を容器に入れる。
容器は壁に吸い込まれていき、いつのまにか塔の外に置かれていた。
赤毛の若い女は容器から洗濯物を取り出した。
「うっ……あうっ……!」
気がつくと、赤毛の若い女の目から涙がこぼれていた。
ああ、もうあんな痛い思いをしてまで、洗濯をしなくていいんだ……。
一生足が不自由になってしまうんじゃないかって恐怖におびえてまで、洗濯をしなくていいんだ……。
少なくとも今日だけは、解放されたんだ……。
そう思うと、涙が出て来てしまうのだ。
一方、他の女たちは顔を見合わせた。
塔の外には、さっきと同じように、大きな空の容器が置かれている。
『どなたでも洗濯物をお入れください。きれいにします』
貼り紙は変わらず容器に貼り付けられている。
「ねえ……」
「ええ……」
女たちはこくんとうなずき合うと、一斉に洗濯物をどさどさ入れた。
容器があふれかえらんばかりであったが、洗濯物の入った容器はそのまま塔の中に吸い込まれ、泥草の少女によって洗濯機に入れられ、すぐにピカピカになって戻ってくるのだった。
◇
噂はたちまち広まった。
塔には、衣類を持った若い女たちが押し寄せる。
「……え?」
「何かしら、これ……」
女たちが見たのは、塔の外に何十個と並べられた洗濯機であった。
「ご自由にお使いください」と書いてある。
マニュアルまでついている。
使い方は、さほど難しくない。
洗濯物を入れ、水を入れる。
後は時々スイッチを押してやるだけである。
あっという間にピカピカになる。
親切なことに水道の蛇口まで塔の壁に付いている。
蛇口と言っても、中世の人間はそんなの見たことないのだが、ひねると水が出ますと書いてある。
女たちは半信半疑で蛇口をひねり、きれいな水があふれんばかりに出るのを見てびっくりするのであった。
「ああ、でもこれで洗濯から……あのきつくて汚い嫌な仕事から解放されるのね……」
女の一人が深々とため息をつきながらそう言うと、周りの女たちも、うんうん、と同意するのだった。
ところが、そうはいかなかった。
教団が激怒したのだ。
「わけのわからないものを作って、世の中を乱そうというのか!」
そう言って、怒り狂った。
教団には「今の世の中を作り上げたのは我々なのだ。我々こそが、聖典の教えに従って民を導いてきたのだ」という自負がある。
その世の中を変える可能性のあるものは、なんであれ悪なのである。
聖職者たちは、怒りのままに洗濯機に魔法を打ち込む。斧を叩きつける。
まるで歯が立たない。
ならば、洗濯機を使い物にならないようにしてやろうと、泥やら生ゴミやらを洗濯機の中に入れようとする。
すると、塔の中から泥草が近付いてきて、笑顔で手をかざす。
「ひひゃああああーーー!」
「わぎゃあああーーー!」
聖職者たちは勢いよく吹き飛ばされる。
ある者は屋根の上にのせられ、またある者は頭の上の看板が屋根に引っかかってぶらさがる。
「こ、こら、市民ども! 見てないでさっさと助けろ! 俺は神官様だぞ!」
そうやってわめく。
頭の上では『泥草さん、ごめんなさい』という文字がピカピカ光っている。
(何やってんだ、こいつら……)
市民たちはそんな目で神官たちを見るのだった。
◇
一方その頃。
中神官会議に変な男が現れていた。
「松永弾正でござる」
「な、なんで貴様がここにいるんだーーー!」




