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魔力至上主義世界編 - 33 ガラスの塔

 イリスの市民は、この頃いつも驚いている。

 驚きすぎてショック死しないか心配なくらいに驚いている。

 びっくりするような出来事が次々と起きているからだ。


 例えば、天使たちが、とてつもなく美味い食べ物を降らせたかと思ったら、実は天使の正体は泥草だった。

 例えば、教団が泥草たちを成敗に行ったかと思ったら、頭から看板を生やして帰ってきた。


 これだけでも一生分驚いたというのに、今度はイリスの郊外に謎の都市ができつつあるという。

 もっとも、イリスの中にいるぶんには、高いところにでも上らない限り、イリスの城壁にはばまれて噂の都市を見ることはできない。

 が、農作業などで外に出ている者たちは既に何度も見ている。


「おいおいおいおい、見たか、あの都市!? なんだよ、あれ!?」

「ああ、俺は見たぜ。すさまじく高い塔がいくつも立っている。おまけにどの塔も、大きなガラス窓がたくさんついていて、キラキラ光ってる。いや正直、驚きすぎてしばらく動けなかったぜ……」

「嘘だろ!? ガラスだって!? あんなクソ高価なものが使われているっていうのか!?」

「塔どころか、城壁までもが分厚いガラスでできているって話だ。近くに行ったやつの話だと、ガラスの向こうには豊かできれいで立派な町並みが広がっていたとか」

「おいおい、冗談だろ!? おとぎ話じゃねえんだぞ!?」


 現代人の感覚で言うと、ある朝突然、近所にSF映画に出てくるような未来都市が出現した、というところか。


「いや……しかし、神官様が言うには、あれは泥草どもの作り出した幻覚ってことじゃねえか」

「ああ、まあ、神官様が言うにはな……」


 市民たちが『神官様』と言う時、そこには若干軽蔑の響きがある。


 以前は決してそんなことはなかった。

 神官様と言えば雲の上の存在である。

 馬鹿にするなどとんでもない。

 するやつがいたら、袋だたきにされていただろう。


 ところが、今やその神官様たちは頭からバカみたいな看板を生やしている。

 決して教団そのものを批判するわけではないが、この町の神官に対しては、尊敬の念が薄れつつある。

 その神官が「幻覚だ!」と主張したところで、どうにも説得力がないのである。


 とはいえ、それでも。


「……いや、でも、やっぱり幻覚じゃねえか?」

「だ、だよな。泥草だもんな……」


 市民たちは「幻覚だ」と信じたい気持ちが強かった。


 なにしろ市民たちは、小さい頃から泥草たちのことを見下してきた。

 子供の頃から泥草は出来損ないだと教えられてきたし、実際にやつらは魔法を使えないのだ。

 同じ人間だとは思っていない。


 その泥草にすごいことができるだなんて、信じたくないのだ。


 美味い飯を作れる?

 飯を作るなんて使用人の仕事じゃねえか。


 空を飛べる?

 幻覚か何かだろう。

 現に空から食べ物が降ってきたじゃないかって?

 つまらない手品でも使ったんだろ。


 神官様たちを撃退した?

 幻覚でも使って卑怯なことをやったんだ。

 インチキだ。


 都市をつくった?

 それも幻覚だ。


 市民たちは、そんな風に自分たちに言い聞かせていた。


 ◇


 市民たちがそのように噂をしていたある日の朝のことである。


 大聖堂前の大広場中央に、突如として、直径40メートルほどの太くて低いガラス張りの円柱のようなものができていた。


「な、なんだ、これ?」

「さ、さあ……」


 そこに大勢の泥草たちが飛んでくる。


「え? え?」


 市民たちがとまどう間もなく、泥草たちはぷかぷかと浮かぶ箱から、土だの小石だのを円柱の上にぶちまけ、手をかざす。

 すると、その土だの小石だのがガラスの壁になっていく。ガラスの床や天井になっていく。

 みるみると上空へと伸びていく。

 高々と成長していく。


 昼ごとには、高さ200メートルの塔ができていた。

 巨大なガラスの塔である。

 壁も床も天井も、全てが分厚いガラスで作られた塔である。

 そばにある大聖堂が、可哀想なくらいに小さく見えてしまう。


 入り口は地上から100メートルほどの高さにある。

 泥草たちはそこから出入りしている。


 市民たちは呆然と見上げる他ない。


「嘘だろ……?」


 そう言いながら、塔のガラスの壁をぺたぺたと触る。

 コンコンと叩く。

 しまいには力一杯蹴りを入れる。

 塔はビクともしない。代わりに足がジンと痛くなる。


 どう見ても幻覚などではない。

 が、認められない。


「なんだよこれ……嘘だろ……」


 そう言いながら、ただただ呆然とする。


 イリスの郊外に大都市が現れたと言っても、実際にそばまで行った者は多くなかった。

 だから市民たちは「そんなの幻覚だ」と言うことができた。


 が、今や、市民たちの目の前に塔がある。

 黄金のように高価なガラスをふんだんに使った巨大な塔を、現にこうして触ることができる。


 なんなんだ!?

 これはいったいなんなんだ!?

 幻覚ではなかったのか!?


 しばらくすると、聖職者たちが大勢やってくる。

 みな、頭から看板を生やしているのですぐわかる。


「おのれ、泥草どもめ! またもや幻覚を!」


 そう叫ぶが、塔には触ることができる。コンコンと壁を叩くこともできる。


「……これは触ることのできる幻覚なんだ!」


 聖職者はそう叫ぶ。


「このような不届きな幻覚は、我々が破壊する!」


 そう言って、一斉に手を構える。

 魔法を放った。

 赤い弾丸が次々と塔の壁へと命中する。

 これまで数多くの教団に逆らうものたちを殺してきた、文字通り必殺の攻撃である。


 が、塔にはまるで効果が無い。

 自慢の魔法は塔の壁に当たると全てはじけ散り、傷一つ与えることができないのだ。


「ぜえ、はあ、ぜえ、はあ……」


 聖職者たちは、苦しそうに息を切らす。

 頭の上では看板がピカピカ光る。


 市民たちは疑わしそうな目を彼らに向けた。



 ガラスの塔が何のために作られたのか、市民たちはほどなくして理解することになる。


 塔は、いくつもの階層に分かれている。

 1階、2階、3階……といった具合だ。

 各階は、4分割され、それぞれ部屋がある。

 そして、それぞれの部屋では、泥草たちが実に楽しそうに暮らしているのだ。


 ある部屋では、美味そうな食事を腹一杯食べている。

 ある部屋では、一面泡風呂になっているらしく、湯と石けんを贅沢に消費しながら、気持ちよさそうに浸っている。

 ある部屋では、白くてやわらかそうなソファでくつろぎながら、美味そうにワインを味わっている。

 ある部屋には、高価な香辛料が山のように積まれている。

 ある部屋には、色とりどりのきれいな衣服がどっさりと積まれている。


 そんな泥草たちの豊かさを、ガラス1枚隔てた向こう側で、毎日のように見せつけられるのだ。


 市民たちはごくりとつばを飲む。

 泥草たちのご飯がどれだけ美味いか、天使騒動の結果、市民たちは知ってしまっている。味わってしまっている。

 それが目の前にあるのだ。

 手の届きそうなところにあるのだ。


 いや、飯だけではない。

 きれいな服。ぜいたくな風呂。やわらかそうなソファ。

 欲しくて仕方のないものが、すぐそこに、見えるところにあるのだ。


「やめろ! やめてくれ! 俺にそんなもの見せないでくれええ!」


 ある市民は泣きながら、そう叫んでいた。

 彼は鍛冶屋だった。

 今まで、それなりに幸福に暮らしているつもりだった。

 仕事はきついし、食事は貧しいが、それはどこも一緒である。

 贅沢は言ってはいけないし、自分はまだマシな方、恵まれている方なのだと思っていた。


 ところが、今、目の前で、自分よりもはるかにいい服を着て、はるかに美味いものを食べ、はるかに快適そうに暮らしている泥草たちがいる。

 すぐ手の届くところで、自分よりもずっといい暮らしをしているのだ。

 最下層民だと思って見下していた泥草があんなにいい暮らしをしているというのに、自分ときたらみすぼらしい服を着て、貧しい飯を食べ、毎日へとへとになるまで働かされている。

 見ていると惨めになってくる。

 嫉妬が湧いてきて、気が変になりそうなのだ。


 鍛冶屋だけではない。

 市民たちは塔の前を通るたびに、強烈な感情に襲われてしまう。

 うらやましい。

 ねたましい。

 許せない。

 惨めだ。

 恥ずかしい。

 ああ、あんな暮らしがあるなんて、知らなければ幸せのままでいられたのに!


 塔のある大聖堂前広場は、イリスの中心地であり、あらゆる道が通じている場所である。

 どこかに行くには、だいたいここを通ることになってしまう。

 そうして、そのたびに市民たちは、ねたましいほど豊かな泥草の暮らしを見せつけられてしまうのだった。



 イリスがガラスの塔で騒ぎになっている頃、泥草たちの作った新興都市ダイアでは、メイハツが新たな発明品を作り上げた。


「いやあ、どうです、これ、すごいでしょう? 便利だと思いませんか? キャッチフレーズはどうしましょう。『すごい! 簡単! 便利!』。うーん、これじゃ何の道具だかわからないですねえ。じゃあ、えっと……」


 メイハツはいつもの調子ではしゃぐが、泥草たちの評判は今ひとつである。


「こんなもの使わなくても、一寸動子であればいいのでは?」


 そんな声が多い。


 が、弾正(だんじょう)は違った。

 大いに喜んだのだ。


「わはは、いいぞ、メイハツ。よくやった。これで、また面白いことができそうじゃ」


 そう言うと、さっそく新たな計画を立てるべく、(たくら)みを巡らせるのだった。

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