魔力至上主義世界編 - 32 都市ダイア
イリスの中神官ドミルは、屈辱の日々を過ごしていた。
ちょっと前まで、彼は尊敬と敬意をたっぷりと集めていた。
何しろ10万人都市イリスの支配者なのである。
「こ、これはこれは、中神官様っ!」
ドミルの顔を見ると、大商人もギルド長も、そう言って頭を下げる。
「顔をお上げなさい」
ドミルは口調こそ丁寧にそう言うが、内心は優越感でいっぱいである。
富豪として権勢を誇る大商人も、大勢の職人たちを従えるギルド長も、みんなみんな自分に頭を下げるのだ。
(私は偉いのだ。魔力は高いし、中神官様なのだからな)
そう思っていた。
それが今ではどうだろう。
頭にピカピカ光るバカみたいな看板を生やしてしまっている。
よりにもよって、魔力のない出来損ないである泥草に植え付けられてしまったのだ。
「ああ、中神官様ですか」
大商人もギルド長も、心なしか態度がそっけない。
以前ほど丁寧にもてなしてもくれない。
視線はちらちらと頭の上の看板に行く。
そうして何とも言えない、少なくとも尊敬とはほど遠い顔をする。
(こいつはもう終わりだな)
心なしか、そう思われている気がする。
ドミルはイリスの支配者だが、イリスで一番偉いわけではない。
大神官と高等神官が上にいる。
彼らはじきに帰ってくる。
そうなったら、ドミルは「イリスの聖職者の9割がバカみたいな看板を頭から生やしている」という異常事態を招いた責任者として、間違いなく処罰の対象となるだろう。
地位剥奪。
投獄。
拷問。
処刑。
惨めで、苦しくて、痛くて、絶望的で。
そんなロクでもない未来が待っているに違いない。
(なんとかしなければ!)
ドミルは焦っていた。
その日は中神官会議の日だった。
会議の席上で、ドミルは机をドンと叩き、こう叫んだ。
「早急に何とかせねばなりませぬぞ! このままでは、我々はおしまいです!」
看板を頭から生やした中神官たちは口々に同意する。
「さよう、なんとかせねばなりませぬ!」
「我らの未来がかかっているのです!」
「……で、どうすればいいので?」
一同、しんとする。
それがわからないから困っているのだ。
「泥草どもを皆殺しにすればいいのでは?」
「しかし、やつらは卑怯な手を使ってくる。対策を立てねば、また失敗しますぞ」
「ですが、どんな対策を講じればいいか……」
「神に対する祈りを捧げればいいのではないでしょうか? さすれば神が我らに力を授けてくれるはずです」
「祈りなら毎日捧げている。我らの祈りが足りないとでも?」
「朝から晩まで、1日中祈りを捧げる、というのはどうでしょう? そうすれば神にも祈りが通じるのではないでしょうか」
「祈りもいいが、まずは泥草どもを何とかしないと」
「そのための祈りなのです」
話が堂々巡りをし始めた頃である。
バン、とドアが開く音がして、助官が会議の席に入ってきた。
正確には、入ってこようとして、頭の看板がドア枠にガンッとぶつかり、痛そうにしばらくもだえ、それからあらためて入ってきた。
横1メートル、縦50センチの看板が頭から生えている以上、ドアを通る時は上にもぶつかるし、横にもぶつかる。
だから、聖職者たちはみな、ドアをくぐる時は、体を屈めて横になりながら通らねばならず、そのたびに、こんな格好をしなければならない屈辱に体を震わせるのだった。
さて、慌てて入ってきた助官である。
「たたたた、大変です!」
「何事か?」
「イリスの郊外に、奇妙なものができつつあるのです!」
「奇妙なもの?」
「と、とにかく見て頂きたいのです!」
10分後、彼らは大聖堂の塔の最上階にいた。
70メートルもの高さ、現代で言えばビル20階ぶんの高さを階段で上るのは、40歳を越えている中神官たちには骨が折れたが、とにかく上った。
上ると、異常なのがわかった。
イリスはおよそ直径4キロの円形の形をしている。
この円の中に、10万人もの人が暮らしている。
外には農地が広がっている。
イリスの住民の一部は農業に従事している。彼らは、昼間は自分の農地、あるいは雇い主の誰かの農地で働くのだ。
さらにその外には森が広がっている。
森の中に、か細い道が通っていて、よその都市や村とつながっている。
都市や村とつなぐのは道だけではない。
川もある。
イリスは、その中央を横切るように川が流れていて、ここを船が通って人や物資を運搬するのだ。
その川の上流に少し行く。
すると、岩場がある。
あちこちに、ゴツゴツした岩が転がっている。
あるいは地面に埋まっている。硬くて大きな岩が数え切れないほど、地面に深々と埋まっているのだ。
そんな有様なので、このあたりは都市にも農地にも適さない土地とされ、放置されていた。
「あそこです! あそこ!」
助官が指差したのは、その岩場だった。
岩場を囲むようにして、直径4キロほどの円形状に、ガラスの城壁ができていたのだ。
要するに、イリスから目と鼻の先にある土地に、謎の巨大なガラスの城壁が築き上げられていた、ということになる。
「……はあ? はあ? はあああああーーー!」
「な、な、な……なんだ、あれは! なんなんだあれは!」
「そんなバカな……いつの間に、あんなものが……」
「し、信じられん……じょ、城壁? しかもガラス? ど、どういうことだ……」
中神官たちはそろって驚愕の声を上げた。
城壁というのは、何ヶ月、あるいは何年という歳月を費やして作るものである。
良質の石をそろえ、職人たちを集め、材料費と輸送費と人件費を惜しみなく使い、長い時間をかけてやっと作り上げられるものである。
だが、目の前にあるのは何か?
わずか1日で、イリスに匹敵する規模の巨大な城壁が作られてしまっている。
しかもガラスである。
中世という時代、ガラスは黄金や宝石に匹敵するほど高価な材質であった。それが城壁に使われているとは一体どういうことか。
「げ、幻覚だ! 泥草どもの幻覚だ!」
「そうだ! ちょっと驚いてしまったが、よく考えてみたら泥草街を囲む城壁もあんなものだったではないか! どうせ、あれもまた泥草どもの幻覚に違いない! あんな城壁を1日で作るなど我らでさえできぬのだ。出来損ないの泥草どもにできるはずがないではないか!」
中神官たちは、幻覚だ、幻覚だ、と騒ぐ。
「し、しかし……」
助官が恐る恐る声をかける。
「なんだ?」
「実際にあのガラスの城壁に近寄った者の話ですと、触ることもできた、とも……」
ガラスの城壁は、農地に隣接する形で建てられている。
畑を耕しに出かけた者たちは、昨日まで無かった巨大な透明の城壁にびっくりする。
勇気を出して近寄ってみた者もいる。
そうして、城壁に触ることができたと言うのだ。
「その者は、頭がボケているのだろう」
「で、ですが、10人以上もそう証言しておりまして……」
「ええい、うるさい!」
中神官ドミルは一喝した。
「我らの言うことが間違っているというのか!」
「い、いえ、そんな決して……」
「であれば、教団の名で宣言しろ! あれは泥草どもの卑怯な幻覚だ。恐れるには足らん!」
◇
数日後、「幻覚」の城壁の中に、塔が建てられた。
高さはおよそ100メートルもあろう。
イリスが誇る高さ70メートルの大聖堂よりも高い。
さらに数日後には、200メートル級の塔が建てられる。
ここまでくると、もう誰がどう見ても大聖堂を圧倒している。
中神官たちはこれも「幻覚だ!」と言う。
これまでの市民たちであれば教団が幻覚だと言えば、疑いもなく受け入れたことだろう。
だが、今のイリスの神官たちは頭に看板を生やしている。
泥草たちにも負けたという噂である。
どうにも信用できない。
「本当に幻覚なのかな……?」
市民たちは生まれて初めて、神官たちに疑いの目を向け始めた。
◇
「良い感じで作られておるのぉ」
弾正は、都市ダイアの建築現場を訪れた。
ダイアとは、イリス近郊の岩場(岩は残らず綺麗に取り除かれて、整地されてしまっているが)に建てられた都市である。
命名したのはアコリリスである。
「わたしたちは泥草なんかではありません。宝石です。だから、わたしたちの都市の名前も宝石からつけましょう」
そう言って、ダイアという名をつけたのだ。
(ちなみに、泥草たちはすでに自分たちを宝石と呼んでいるのだが、物語上ではややこしいので泥草で通す)
その都市ダイアの建築現場を弾正が眺めていると、声をかける者がいる。
「神様じゃないですか! よく来てくれました」
宝石団の建築部門長のピルトが、訪れた弾正を迎えたのだ。
「うむ。大儀である。にしても、あっという間に進んだのお」
「はい、すべて神様とアコリリス様のおかげです」
ピルトはそう言って笑う。
彼らの言う通り、ダイアの建築は順調に進んでいる。
100メートル級の塔を建てた。
200メートル級の塔を建てた。
塔ばかりではない。
道ができつつある。
広場ができつつある。
住居や商店ができつつある。
「ピルトよ。一段落ついたら、例のあれを作るぞ。聞くところによると、イリスの連中は、この都市ダイアを幻覚だと言い張っているらしいからの。幻覚ではない、まぎれもない現実なのだと思い知らせてやろうではないか」
「任せてください!」
ピルトは力強く叫んだ。
本日から不定期更新とします。
不測の事態が起きない限り、更新間隔は3日以内とします。
今日が8/25なので次回は8/28までに更新します。




