魔力至上主義世界編 - 1 謀反の神
魔力が高いやつは偉い。
魔力がないやつはゴミ。
そんな世界の話。
アコリリスは11歳の童女である。
この日、いつものように雇い主から殴られた。
「なんだよ、その目つきは!」
「がはっ!」
腹を殴られ、苦しそうに咳き込む。
「げほっ! げほっ!」
それでもアコリリスは、体をふらつかせながら、土下座して言う。
「きょ、教育していただき……ありがとうございます……」
そうしないと余計にひどく殴られるからだ。
「ふん、ゴミが」
雇い主は、土下座するアコリリスの頭をぐりぐりと踏みつける。
通りがかる人々は、そんなアコリリスを見てニヤニヤ笑っている。
いつものことである。
殴られる。バカにされる。迫害される。
アコリリスに魔力がないからだ。
迫害を率先しているのは、世界の支配者である教団だ。
「ぐひっ! お前らのような魔力のないやつらは、苦しんで苦しんで苦しめばいいんだよ」
教団のトップである大神官は、太った体を揺すりながらそう言う。
だからアコリリスは、教団も、彼らの信奉する神も嫌いで、きっとどこかに本物の神様がいるのだと、そう信じていた。
◇
松永久秀(通称は弾正)は、一風変わった男である。
無類の謀反好きで、行く先々で謀反を起こすというように、人格面でも風変わりな人物ではあるが、能力面でもいささか変わっている。
弾正の七つ能力、と呼ばれる不思議な力を持っているのだ。
例えば不老である。弾正は歳を取らない。
例えば異言語理解である。弾正は初めて聞く言語であっても理解できる。
そして、異世界転移である。
これは能力、というより体質といったほうがいいかもしれぬ。
勝手に発動する。
体が青く光り、気がつくと見知らぬ場所、つまり異世界に立っているのである。
この時の弾正も、まさに新たなる異世界に転移したばかりであった。
「さて、ここはいかなる世界か」
弾正はあたりを見回す。
そこは粗末なあばら屋の中だった。
泥にワラを混ぜて固めた壁に、土がむき出しになった床。入り口には、ドアのつもりかひび割れた板が立てかけてあり、隙間から赤い夕日が射し込んでいる。
「む?」
その夕日に照らされ、1人の童女が口をぽかんと開けて、床に座り込んでいた。
年の頃は10ほどだろうか。
南蛮風の長い金色の髪に、白い肌。水色の瞳はやや垂れ目でおとなしげな印象を与えるが、綺麗な形をしており、鼻筋はすっと形良く通っている。
(まだまだあどけないが、いずれ成熟すれば美しい女になるのではないか)
弾正は、そう思った。
とはいえ、今は栄養不足のためか痩せている。顔色もあまり良くない。
元は綺麗であったろう金髪は泥やら埃やらでボサボサで、白い肌と同様、薄汚れている。
着ているものは麻のボロで、見るからにみすぼらしい。
無論、弾正はそんなことで童女に悪印象を抱いたりしない。
元々そういうことは気にしない性質であるし、何より彼の視界の中で、童女に対し、このような説明文が見えていたからである。
名前:アコリリス・ルルカ
性別:女
年齢:11歳
能力:一貫(約4キログラム)の物体を一寸(約3センチ)動かすことができる(一寸動子と心の中で唱えながら、手をかざすと発動)
「むほっ!」
弾正の口から、思わず興奮の声が漏れる。
すさまじい能力だと、ひと目で直感した。
(かように優れた童女が、このような粗末な小屋でみじめに暮らしているということは、ろくでもない世の中に違いない。これは……謀反じゃな!)
弾正はニヤリと笑うと、早速このアコリリスという童女を謀反に誘おうとして、口を開きかける。
「あの……」
しかし、それより早くアコリリスが声を上げた。
「む?」
「あなたは……神様ですか?」
弾正の見た目は神というより、若武者である。
光沢のある黒々とした総髪を髷で大きく結い、油断すると謀反を起こしそうな悪そうな顔をし、口元は何かを企んでいるかのようにニヤリとしている。背は高く、全身は筋肉質だ。
服は小袖に肩衣に袴、腰には大小二本の刀、と戦国武将らしい出で立ちである。
その若武者は、アコリリスの問いかけに対し、反射的にこう答えようとした。
「わしは神ではない、人間じゃ」と。
しかし、アコリリスの顔を見て思いとどまった。
ものすごく期待に満ちた顔をしていたのである。
なんというか、つらい現実の中でようやく希望を見いだしたというか、ようやく自分の信じるものを見つけられたというか、そんな顔だったのである。
「……いかにも、わしは謀反の神である!」
「ああっ!」
弾正が宣言すると、アコリリスは感動に満ちた声を上げた。
そうして、ひざまずき、両手をぎゅっと握りしめ、形の良い水色の目をきらきらさせながら弾正を見上げ、「神様、ありがとうございます……ありがとうございます……」などと言っていたが、やがて、はっとした表情をする。
「も、申し訳ございません! わたし、何のおもてなしもできずに……い、今すぐ!」
いや構わぬ、と弾正が言う前に、アコリリスは狭いあばら屋の中をあたふたと駆け回る。
やがて、弾正の前に「ごちそう」が出された。
冷たく固くなった黒パン。
古いチーズの欠片。
わずかばかりに塩漬け肉が浮いている豆と野菜のスープ。
アコリリスの表情と雰囲気から、これが彼女にとっての精一杯のごちそうであり、もてなしなのだろうと弾正は察した。
「いや、結構なごちそう、痛み入る。ありがたくいただく」
弾正は礼を言うと、固くてスープに浸さないと食べられない黒パンや、酸っぱいチーズを、なるべく美味そうに食べる。
そうして、アコリリスがほっとした顔をするのを見て、弾正もまたニヤリとする。
悪そうな顔をしているので、ニヤリとしか表現できないが、この男なりに安心しているのだ。
「さて、見事なごちそうであった。あらためて感謝いたす」
食べ終わると、弾正は礼を述べた。
すでに辺りは暗くなっており、弾正が用意した蜜蝋のロウソクが光っている。
のちに中世と呼ばれるこの時代、ロウソクは高級品であり、アコリリスは随分と恐縮したが、弾正は「わしは明るいのが好きなのじゃ」と言って強引に火をつけたのだ。
そのロウソクの火に照らされ、顔を赤々と光らせながら、弾正は言った。
「これは礼をせねばならぬな」
「そ、そんな、お礼だなんて!」
アコリリスは、ぶんぶんと首を横に振る。
弾正は構わずに言う。
「神、というものはな」
「は、はいっ!」
「願いを叶えるものじゃ」
「願いを……」
「さよう、願いじゃ」
願い、という言葉がアコリリスの頭の内に浸透するまで、弾正は一拍おく。
「むろん、わしは謀反の神じゃ。願いは謀反で叶えることとなろう」
「謀反……」
「ムカつく偉そうな連中を落ちぶれさせることじゃ」
「あ……」
アコリリスは口を開けたまま固まった。
長年、人間というものを見てきた弾正は、その表情の内にあるものが、ためらいであることを察した。
(なるほど、この童女にも一泡吹かせたい連中がおるのじゃな。しかし、あと一歩が踏み出せずにいる。ならば!)
「アコリリスよ!」
「ひゃ、ひゃい!」
弾正は立ち上がると、刀を抜いた。
ロウソクの炎に照らされ、白い刀身が怪しく光る。
アコリリスがごくりと息をのむ。
「わしは嘘は申さぬ。この不動国行の真刀にかけて誓おう。必ずそちの願いを叶えると」
そう言うと、刀の切っ先で左手の親指を少し切る。
その左手を高く上げた。
赤い血がぽたりと一滴垂れ、ロウソクの炎をジュッと揺らす。
「アコリリスよ、左手を前に」
「こ、こうですか?」
アコリリスが、おずおずとその小さな左手を弾正に向けて突き出す。
弾正も左手を出す。
二人の親指が重なった。
弾正のゴツゴツとした大きな親指と、アコリリスの小さな白い親指が、ちょうど指紋同士を重ね合う形で、ぎゅっとくっつく。
「あっ」
「そのままにいたせ」
「は、はいっ」
弾正の親指の血がアコリリスの指を濡らす。
アコリリスは不快ではなかった。
どういうわけか、温かくて、くすぐったくて、ここちよいくらいであった。
神様だと信頼しているからだろうか。それとも、この男に何かを感じているからだろうか。
まるで、ずっとこうしていたいような……。
「あっ……」
弾正の指がすっと離れる。
「これにより儀は終わりじゃ」
何の儀かは言わぬ。
正直に言えば、アコリリスを安心させるためにやっただけのそれらしい即興の儀式に過ぎぬのだが、むろんそんなことは口に出さない。
代わりに身を乗り出し、アコリリスにぐいっと顔が近づける。
「アコリリスよ!」
「は、はい!」
「一度儀を交わした以上、いかなることがあろうとも、この謀反の神、弾正は全身全霊でアコリリスを助けよう。必ずじゃ!」
「あ……」
アコリリスは、しばし呆けたような顔をした。
気がつくと、その目からポロポロと涙が流れている。
「あっ、あうっ! ……ひぐ、えぐっ!」
「む? どうしたのじゃ?」
「も、申し訳ございません……うくっ、お父さんと、お母さんが、えぐっ……」
アコリリスは涙をこらえようとしながら、嗚咽混じりに言葉を発する。
「うむ?」
「……ひくっ、お父さんと、お母さん以外に、その、助けてくれると言ってもらったことがなくて、えぐっ……う、嬉しくて、その……」
弾正は「さようか……」とだけ言うと、アコリリスが泣くに任せる。
やがて、アコリリスは涙をぬぐい、まっすぐに弾正を見つめるとこう言った。
「や、やりたいです!」
「む?」
「謀反を! 神様と一緒に、謀反、やりたいです! 謀反を起こして、教団をやっつけたい! それが……それがわたしの願いです!」